ホッとするとしんどくなる。
週末になると症状が出る。事が一段落すると痛みが出る。そんな場合がある。
どうしてだろう。症例を挙げて考察してみよう。
初診
42歳。男性。営業マン。
2024年3月25日初診。
他府県からの患者さんで、調子が悪なると治療に見える。この日は、休日になると熱が出るという症状で来院された。昨日は日曜日、39℃の熱が出た。そういうのを毎週繰り返すのだという。お子さんの日曜参観があったときなど、予定が入っているときは発熱しない。
2月初めにコロナにかかり、その熱は2日ほどで引いたが、それから調子悪い。
現在、3月末で決算期、多忙でイライラしている。
マイホーム建設中で、ローン最終審査の段階。落ち着かない。
今日は月曜日、出勤日なので熱はなし。午前中に電話予約して、仕事帰りに来院されたのである。
さあ、熱のないこの状態で治療して、今週末の発熱を未然に防ぐことができるか。
体を診ると、短期邪熱スコアが危険域に達している。右不容まで反応が達しており、入院レベルの事態が起こってもおかしくない状態である。
だがそもそも、なぜ休日になると熱が出るのだろう。正しい理由を説明して、理解してもらうことが先決だ。その理由が真理であるならば、理解するだけで気持ちが落ち着く。つまり、邪熱のレベルが低くなるのである。この短期邪熱スコアを早急に落ち着かせる必要がある。そのためのインフォームドコンセント (説明と納得) である。これを軽視していては、原因療法にならない。
「ホッとするのが悪いことではなくてね、ホッとした休日に “素 (す) の状態” になるんです。今は平日なので “素の状態” ではなくて、 “戦闘状態” ですね。仕事で気が張っているから、本来出るべき発熱が出ていません。ホッとした休日に発熱するのは、 “休日くらいは休んでくれ” という体のメッセージなんですよ。」
休むことが必要なのだ。それを、休日になっても気ぜわしくしようとするから、体がブレーキを掛けているのである。本当は、仕事日である今日も休んだほうがいい。だが体は、 “平日もできたら休んでほしいけど無理だよね” と大目に見てくれている。そして一緒に頑張ってくれているのである。
しかし、休日はそうではない。休もうと思えば休める。そういう事情を、体はよく知っている。にも関わらず、の勢いのままに休日も体を休めようとしない。だから体が “発熱” というブレーキを掛けて、休日だけ強制的にジッとさせるのである。平日は大目に見てくれるが、休日はそうはいかないのだ。
このように「からだ」は、本人の状況や都合までも判断しつつ、ブレーキを解除したり効かせたりする。決算期でイライラしていたり、マイホーム建設でソワソワしていたり、そういう “心のスピード” を調節しようとしているのである。
スピードオーバーの状態を疏泄太過という。
ブレーキがかかった状態を疏泄不及という。
相手が平日の事情を察して大目に見てくれているのであれば、休日は埋め合わせをしてやる。それが人情というものではないか。「からだ」は人間である。モノ扱いにしてはならない。
「あー、やっぱりそうですかー。ちょっとゆっくりしないといけないんですね。大工さんが知り合いなので、日曜日は家を立てるのを手伝ったりもするんですよ。そういうのがいけないんですねー。」
実は、当該患者は胸痛 (狭心症的な) が持病で、月に数回ひんぱんにある。胸に手を当てて屈み込むのが狭心症の特徴である。そのたびに治療で消してきたが、完治には至っていない。これもブレーキなのだが、これくらいのブレーキでは効かない。「からだ」としては、もっと強い狭心症発作を出してブレーキを踏み込む選択肢もあったのだろうが、そうではなく、39℃の発熱というブレーキを選択した。これならば、さして命を危険にさらさずともブレーキが踏める。なぜ命の危険がないのか。
カゼだからである。
「そのとおりです。疲れが溜まっているんですよ。今日はね、その疲れを取っていきます。このお体もね、疲れを取ろう取ろうと頑張ってくれているんですけど、それを強烈に後押ししていきます。発熱する休日が悪いのではないんです。発熱しない平日が悪いんです。つまり、ホッとする休日が悪いんじゃなくって、ほっとできない平日に問題があるのですね。その問題を今から取ります。」
短期邪熱スコアを確認する。スッキリと納得がいったので、すでに安全域にまでレベルが下がっているる。この時点で「こころ」が変わったのである。考え方が変わったのである。それが変わると、未来が変わる。未来が変わったことを、「からだ」は先読みして、瞬時に良い変化を表現するのである。
そのうえで、百会に一本鍼。
2診
3日後、木曜日 (3/28) に再診。
前回治療から3日間、毎晩寝汗をぐっしょりかいた。 >> 寝汗は陰虚内熱によるものが一般的だが、まれに少陽相火による場合もある。少陽相火とは、一言で言えば “スピードオーバーによる熱” である。それが外に漏れ出るとき、寝汗として現れることがある。この寝汗は、出したほうがよい寝汗である。寝汗をかいたあとにスッキリするのが特徴である。
前回治療から、37℃の微熱が続いている。 >> 発熱によって疲れをスムーズに洗い流そうとしている。ウイルスは洗剤のようなもので、汚れを洗い流すような働きがある。ただし、できるだけ安静にしておかないと、逆に洗剤まみれの状態から抜け出せない。
日中に咳が出る。夜は出ない。 >> 咳を出すことによって肺を動かして肺に蓄積した疲れを除去する。ただし、夜に咳が出ると眠れないので疲れが摂れない。だから日中に咳をしているのである。「からだ」は、矛盾なく疲れを取ろうとしている。
百会に一本鍼。
3診
2日後、土曜日 (3/30) に来院。
寝汗が無くなった。
日中の咳は少し残っている。
全体に調子が良い。胸痛も出ていない。
百会に一本鍼。
その後の経過
この週末、発熱は起こらなかった。
以来、6月20日現在で、発熱は一度もない。
ついでに、今日までの3ヶ月間、胸痛も起こっていない。
考察
コロナの発熱に端を発した一連の「からだ」の反応であると考える。
そもそも、ウイルスは敵ではないという考え方がある。人類とウイルスは、何百万年も共存してきたパートナーであると考えるならば、発熱によってスピードオーバーにブレーキがかかり、そのままいけばクラッシュすることころを救われていると考えることができる。そもそもウイルスや細菌に感染するのは、スピードオーバーで疲労が蓄積し、免疫が下がったからであるという側面が大きい。カゼを引けば、しんどいので強制的に休息 (ブレーキによる減速) ができる。
本症例はまさしくその可能性がある。決算期に向けた2月にコロナに感染し、つかの間の休息の後も忙しく働き続け、「からだ」は、仕事ゆえの忙しさを大目には見てきた。ただし休日くらいは休める必要があると考えた「からだ」は、高熱を発することで何とかスピードオーバーを回避してきたのである。
この反応がなければ、狭心症の大発作を起こしていたという可能性すらある。
当該患者への説明、そして納得、そして百会の一本鍼は、その夜からの睡眠と修復を大きく後押しして、数カ月、いや数年にわたって蓄積し続けた疲労を取り除いたのである。
その転機となったのは、ウイルス感染という “洗剤” 。
だから発熱が消えたとどまらず、狭心症様の胸痛までが洗い流されたのであろう。