奔豚とは、下腹からノドに向かって、豚がドドドドドッと走るような感覚があり、死を意識するほどの苦痛を伴う病証です。
パニック障害も、発作で「死ぬかと思った」という表現を患者さんはされます。共通点があります。
65条「発汗後、其人臍下悸、欲作奔豚、茯苓桂枝甘草大棗湯主之、」は応用編といった方がいいでしょう。ですから、まずは奔豚についての基本的な知識が必要です。傷寒論では、奔豚を周知のこととして話を進めているからです。
奔豚病.従少腹起.上衝咽喉.発作欲死復還止.皆従驚恐得之. <金匱要略>
奔豚とは何か。傷寒論にはその説明がないので、金匱要略を見ながら考えてみましょう。
成書を紐解くと、奔豚は「水寒の邪」が原因とされます。これは傷寒論にも金匱要略にも説かれていません。水・寒という下に降る性質のものがなぜ上に昇るのか、この矛盾こそが、病理を解くための切り込み口になります。
▶結論から
まず結論からです。
人体生命を球形と見ます。地球に例えて説明します。
地球と人体の相関関係 (天地人) については、「三陰の図」 (三陰三陽って何だろう) をご参考に。
地球は土でてきており、土の表層部には大気、土の深層部にはコアがあり、コアには求心力があり、自転する遠心力もまたコアにかかっています。求心力と遠心力は釣り合っていて、ゆえに地球は散らばらずに形体を維持します。もし求心力を持ちすぎると、圧縮されて火の玉と化してしまうでしょう。もし遠心力が力を持ちすぎると、地球は散らばってしまい、蓄えていた水も宇宙に飛び散ってしまい、灼熱のコアはむき出しになるでしょう。
その地球に人体が立ちます。人体のうち下半身 (下焦・下腹) はコアに近く、よってコアと下腹は相似関係にあります。コアは精であり、精は神を蔵しています。
遠心力は肝気です。求心力は腎気です。その中庸に土があり、木気を支える土台となり、また形体が崩れないように求心力を守っています。散らばらないのは土のおかげなのですね。脾土が薄っぺらいと脾陰が火や水を抱けず、また土の安定した重濁さが保てず、遠心力 (肝) が強くなったり求心力 (腎) が弱くなったりします。
いま、肝気が力を持ちすぎ、土が急激に力を失う、あるいは飲食不養生で土が急激に力を失った結果、肝気が相対的に高ぶると、精 (水) は上 (表層) に飛び散り、神 (火) は陽動性を露わにして上 (表層) に飛び出します。
精は、動になる寸前の静で、無形の陽動性を秘めた有形の水です。生命はこの水によって養われています。この水が飛び散ると水寒の邪になります。水寒の邪は有形邪なので、下腹から起こって徐々に咽喉に至る…という過程がハッキリと自覚されます。
地球が破壊されると、元の宇宙の塵に戻りながら四方に散らばり、海水が飛び散るとイメージします。
▶「欲死」の意味
まるで地球が崩壊するようなイメージですね。実は、それが「欲死」という詞に通じます。
奔豚の主証は、死との境界線に極めて近い、はげしい驚恐です。これは心神が露出してしまったからです。もし心神が完全に飛び出せば、気脱証から亡陽証となり、死に至ります。
▶奔豚の定義
改めて、冒頭の条文を読んでみましょう。
奔豚病.從少腹起.上衝咽喉.發作欲死.復還止.皆從驚恐得之.
奔豚病は、下腹から起こって、ノドに上衝し、発作して死なんと欲し、また発作が止む。みな驚・恐が原因でそうなるのだ。
何が上衝するのでしょうか。
65条の苓桂甘棗湯は、桂枝湯証に桂枝湯を与え発汗過多が起こったことが原因で、「欲作奔豚」になった結果、驚・恐を軽く自覚するものです。金匱要略でいう典型的な奔豚は、驚恐が原因で、奔豚 (付随症状として腹痛・往来寒熱) となったものです。
奔豚は数例経験がありますが、驚恐を激しく表現し怖がりです。奔豚がましになるにつれて、胆力が座ってきます。
金匱要略の奔豚湯
奔豚気上衝胸.腹痛.往来寒熱.奔豚湯主之.
●奔豚湯方 (金匱要略)
甘草.川芎.当帰各二両.半夏四両.黄芩二両.葛根五両.芍薬二両.生姜四両.甘李根白皮一升.
▶熱 (肝) による奔豚
この奔豚湯は、平肝降逆を目的としたものらしいですが、ぼく的には熱による奔豚といった方が分かりやすいです。
驚と恐が原因です。甘李根白皮で強烈に清熱します。
驚恐により、肝胆が急激に求心性に鬱結し、化火し、乗じて脾を急激に弱らせています。激しい求心力は、極まって遠心力に転化します。土 (地球) の重濁さを弱らせ、精 (コア) が崩壊したのです。すると、遠心性に好き放題に肝胆が上逆し、精は水寒の邪として、ともに上逆するのです。このときの脾の弱りは、肝が本で脾が標で、肝を治療すれば脾は勝手に治る段階のものです。
この時、以下2つの現象を伴います。
▶肝脾の陰陽幅
肝胆の熱は、最終的には陽明に集められます。健全な陽明は肥えた土で、すべてを緩衝材のように受け止める土壌です。だから肝胆の熱も臭い便が出ればスッキリするのでしょう。
もし熱源である肝胆の熱が止まらなければ、肝胃ともに熱ということになります。
また肝胆の熱があれば、少陽枢が病んでいるということですから、陽明は熱・太陰は寒というケースもあるわけです。これが往来寒熱でもあり、暑さ寒さの幅が少ない人…つまり少し寒くなると寒がり、少し暑くなると暑がる人…の病態でもあります。こういう人は自律神経的な症状を強く訴えます。
これらは「肝脾の陰陽幅」とも言い換えることができると思います。分厚く豊かな土は熱しにくく冷めにくい。薄い鉄板のような土は熱しやすく冷めやすい。その土を土台とする木もまた、同じです。
肝脾の陰陽幅が小さいから、肝胃ともに熱を持ったり、胆熱と脾陽虚が錯綜したりするのでしょう。魂と意がいかにユッタリしているか…とも関わります。
▶驚恐とは
五志には、喜・怒・思・悲・恐 があります。
驚は「急」です。急激な興奮を言います。驚喜する。驚き怒る。驚き恐れる。急喜・急怒・急恐と言い換えると分かりやすいでしょうか。悲・思はジワジワくることもあるので驚と相性がよくありません。だから驚は心・肝・腎を傷るというのです。特に、恐は驚の大部分を占めます。
理性は心・胆が支配します。胆は中正の官といわれるように客観的決断力です。心はそれを映し出す自意識です。腎の精がそれを支えています。
感情は心・肝が支配します。肝は肝魂といわれるように無意識 (なんとなく〇〇) です。心はそれを映し出す自意識です。腎の精がそれを支えています。
結局、心・肝 (胆) ・腎です。
驚・恐は理性がシッカリしないからです。
驚・恐は感情がユッタリしないからです。
▶熱による奔豚の発作…各段階の解説
▶【段階①】
肝胆は相火 (宰相) で、君火 (君主) である心が傷つかないよう守るべき役目です。君主は腎精という宮殿深く鎮まり、政治は宰相に任せています。しかし宰相は、得てして力を持ちすぎ、勝手な行動 (誤った疏泄) をすることがあります。しかし、それに君主 (自意識) は気づくことができません。知らぬ間に脾土 (他の閣僚・官僚・国民) を疲弊させ、腎精 (国の財政) を使い過ぎています。それにも君主は気づけません。本来、心神と肝魂は表裏一体のもので、息があっているのですが、この状態は表裏バラバラです。これが奔豚病を起こす前の素体です。
「誤った疏泄」については、「疏泄太過って何だろう」をご参考に。
▶【段階②】
そこに、驚・恐の原因になる事象 (他国の侵入) が襲い掛かると、宰相はややシラフに戻り、誤った疏泄 (身勝手な行動) は一部止んで、求心性の滞りに変化して鬱結します。もともと「正しい疏泄」ができなくなっているので、胆 (理性) はその事象をさばけず、肝 (感情) はその事象を受け入れられないのです。ただし、シラフに戻ったことにより、この時の心神と肝魂は、表裏一体としての姿を曲がりなりにも取り戻します。しかし、腎精 (落ち着き) のサポートも受けられず、力となってくれるはずの脾土も機能しません。
▶【段階③】
次の瞬間、宰相は慌てふためき、遠心性に化火して上に「誤った疏泄」をします。宮殿 (腎精) は瓦解し、宰相と表裏一体の関係を取り戻した君主も、一緒に上に飛び出してしまう。これが奔豚の発作期です。瓦解した宮殿の破片 (水寒の邪) も上に飛び散ります。その破片は有形なので、いま下腹を出て、胸に来て、咽喉まで来た…という経過が自覚されます。誤った疏泄は上逆だけでなく、脾に横逆して脾陽を損ないます。脾土の弱りが、ますます肝木の上逆を激しいものにします。
熱証に陥りやすかったのは、以下の2点が原因です。
▶【段階④】
そもそも、どんな症状でもそうですし、人生そのものがそうなのですが、つらさを自覚することにより、正しい道にフィードバックするものです。
肝気が昇り奔豚の発作が起こると、段階②よりも一層シラフに戻ります。
そもそも肝気の上逆というものが、すでに誤った疏泄でもあります。ただし純粋な誤った疏泄はノンブレーキ (無症状) で、これが段階①の状態です。段階③は、誤った疏泄でありながらも、つまりアクセルを踏んでいる状態でありながらも、ブレーキも踏んでいます。このブレーキが自覚症状 (つらさ) です。遠心性のスピードが出ていながらも、求心性のブレーキが効いている。
段階④では、段階②よりも一層シラフに戻ります。驚恐の自覚とともに肝気の上逆が止み、奔豚の発作が収まります。
▶【段階⑤】
奔豚の段階④で発作は収まりました。しかし発作が静まった後、驚恐を過度に自覚します。その後も肝気が不安定で驚喜・驚怒となりやすく、腎がひ弱なので恐となりやすい。こうして驚が心・肝胆・腎にさらなる負担をかけ、それが一定のラインに達したとき、再び発作が起こります。
そして、段階②③④⑤を無限ループで繰り返します。それを断ち切る工夫をしてあるのが、金匱要略の奔豚湯です。
千金方の奔豚湯
●奔豚湯方 (千金方) … 半夏 呉茱萸 生姜 桂心 人参 甘草
▶冷え (脾) による奔豚
「千金方」にも「奔豚湯」があります。ついでにこれも見ていきます。これは理気降逆を目的としたものらしいですが、ぼく的には、冷えによる奔豚といった方が分かりやすいです。
これは金匱要略の奔豚湯に比べると、傷寒論の茯苓桂枝甘草大棗湯と主旨がやや似ています。桂心で心の深い脈を温通し、呉茱萸・生姜・人参・甘草で脾胃の陽気を補い、半夏と呉茱萸で肝気をやわらげ引き下げます。土気を補って、結果として木気を下げるという旨に重きが置かれています。
金匱要略の奔豚湯と基本は同じです。異なるところだけを説明します。
▶冷えによる奔豚の発作…各段階の解説
各段階の解説は、上記の金匱要略の奔豚湯を参考にしてください。
▶【段階①】
肝胆の誤った疏泄に心が気づけないでいる状態です。
▶【段階②】
驚・恐が襲い掛かり、それによって肝胆はややシラフにもどり、誤った疏泄は一部止んで、鬱結します。
▶【段階③】
落ち着きを取り戻すための腎精は、誤った疏泄下で弱っており、驚・恐によってさらに傷つき、水寒の邪となります。力になってくれるはずの脾土 (他の閣僚・官僚・国民) も機能しません。
この状態に慌てふためいた肝胆の偏旺は、横逆という形で矛先を脾土に向けて逆ギレし、誤った疏泄をします。木乗土です。それによって、脾土は陽気を失うところまで弱体化し、水寒の邪が蔓延します。肝木を支えていた脾土が弱くなることで木気は相対的に高ぶり、肝気が昇り、奔豚が起こります。この時、肝気は水寒の邪を伴って上逆し、隠れ家を失った心神もまた上昇します。
▶【段階④】
発作によりシラフにもどり、誤った疏泄が止んで発作が止まります。
▶【段階⑤】
発作による驚恐が心・肝胆・腎にのしかかり、特に肝胆の偏旺・横逆が一定ラインに達すると再び発作が起こります。
▶まとめ
土の重濁が、どれだけ急激に、どの程度ひどく弱まるか、どんな原因で弱まるのか、それをポイントとして見れば、奔豚病における証の多様性の中に整合性が得られると思います。
地球の土 (脾土) が弱まると、それはコア (腎精) にまで影響する。
茯苓桂枝甘草大棗湯は桂枝が四両です。桂枝加桂湯は桂枝が五両です。両者とも冷えによる奔豚です。奔豚をキッチリと理解しておくことは、厥陰病の理解にもつながると思います。