傷寒論私見…芍薬甘草附子湯〔68〕

68 発汗、病不解、反悪寒者、虚故也、芍薬甘草附子湯主之、

▶悪寒があるのに桂枝がない

28 服桂枝湯、或下之、仍頭項強痛、翕翕発熱、無汗、心下満微痛、小便不利者、桂枝去桂加茯苓白朮湯主之、

28枝去桂加茯苓白朮湯でも、「翕翕 (=衣服をたくさん着込むさま) 」すなわち悪寒があるのに桂枝がない…つまり表証なのに桂枝を用いていません。

理由は28条で説明したように、心下満は陰陽幅の小ささを意味し、その小ささゆえにに表証が見られます。同様に、芍薬甘草附子湯も陰陽幅が小さいために表証があると考えられます。表と外界の境界がぼやけるので表証がある。だから陰陽幅が増えれば表証が取れるのです。

60 下之後、復発汗、必振寒、脈微細、以内外倶虚故也、

68 発汗、病不解、反悪寒者、虚故也、芍薬甘草附子湯主之、

60条と比較すると、本条は下法は用いていませんが、発汗している点は同じです。振寒とまではいきませんが、悪寒があります。それは「虚故也」つまりこれは、60条「内外倶虚故也」を承けたものと考えられます。本条も “内外倶虚” である。これはすなわち、陰陽幅が少ないということです。桂枝は必要ない。

以上が前提です。

▶桂枝湯で「不解」の意味

「発汗、病不解、反悪寒」。直訳すると、発汗した。病が解さない。反って悪寒がする。意をくみ取ると、…発汗したら、解表すると思ったのに、それどころか悪寒がひどくなった…。なにか、意外に思っているニュアンスを感じますね。

12条の桂枝湯に、「微似有汗者益佳、不可令如水流漓、病必不除、」と、すでに定義があり、本条の “発汗” がもし発汗過多ならば、当然 “不解” となリます。もし微似汗ならば、これは意外ですね。

実際、仲景の文体は簡潔に過ぎ、重複はことごとく避ける傾向があります。傷寒論は自分用にまとめたものなのかもしれません。

16 太陽病、三日、已発汗、若吐、若下、若温針、仍不解者、此為壊病、桂枝不中与也、観其脈証、知犯何逆、随証治之、
24 太陽病、初服桂枝湯、反煩不解者、先刺風池風府、却与桂枝湯則愈、

上の条文を見ると分かるように、桂枝湯証に正しく桂枝湯を飲ませたのに癒えない場合があることは、すでに述べられています。また、69条と85条にも、同様の文体があり、ハッキリさせる必要があります。

69 発汗、若下之、病仍不解、煩躁者、茯苓四逆湯主之、
85 太陽病、発汗、汗出不解、其人仍発熱、心下悸、頭眩、身瞤動、振振欲僻地者、真武湯主之、

▶もともと桂枝湯証ではない

本条での「発汗」は、おそらく桂枝湯を使っているのですが、使い過ぎて発汗過多になったのか、それとも証に従って順当な使い方をしたのに意外にも…という意味なのか。一般成書では、前者です。発汗過多で陰液と陽気が漏れ過ぎた証として説明されます。しかし僕は、前後の文脈から、後者と見ます。

この条文で言いたいニュアンスは、桂枝湯証をあんばいよく発汗させて、よく効いただろう、という手ごたえがあったのに、患者さんが「余計に寒くなった」と言い出した。そんな感じです。

60条の流れで、61~66条までは、すべて発汗過多 (余計な発汗) として読んできました。67条で初めて発汗と無関係、そして本条でいきなり微似汗とは、どうしてでしょう。その文脈からみると、前者の発汗過多として読みたくなります。

▶文脈は「亡津液」

冒頭にも述べたように、あくまでも本条は、60条「下之後、復発汗、必振寒、脈微細、以内外倶虚故也、」を承けています。 “虚故也” という、60条と本条に共通するフレーズに注目します。

本条は、発汗過多はなくとも、発汗過多の結果であるところのものと同様に、津液不足や陽虚が関わるのです。

津液不足があると、脈そのものが養えません。脈は陰陽の境界なので、陽分 (外) ・陰分 (内) ともに虚になります。60条の「下之後、復発汗、必振寒、脈微細、以内外倶虚故也、」とはこのことで、陽分が虚だと寒がり、陰分が虚だと桂枝湯では効きません。しかもこれは、陽不足と陰不足が両方あることを示します。つまり、内外倶虚は陰陽倶虚なのです。

内外倶虚は桂枝湯では治りません。本条の「虚故也」は、桂枝湯で効かなくても当たり前だよ、もともと内外倶虚なんだから、…と言いたいのです。芍薬甘草附子湯は、慢性的な内外倶虚、陰陽倶虚を補う、もっともオーソドックスな処方といえます。本条は、初めから芍薬甘草附子湯を出しておけば、標の風寒を解すことができ、良い結果が得られたと思います。それを桂枝湯で発汗したので、虚がひどくなって、かえって悪寒がひどくなったのです。

▶芍薬甘草附子湯証は慢性疾患

61~67条とちがうのは、本条では大きな誤治がないという点です。なのに虚である、慢性的な虚である。慢性疾患が出てきたのは、初めてではないでしょうか。58条に、「凡病、若発汗、若吐、若下、若亡津液、陰陽自和者、必自愈、」とありますが、それを承けた61~67条は陰陽が不和のものばかりです。本条は陰陽が和す以前に、陰陽が足りていません。だから68番目に置いたのではないでしょうか。

そもそも標本が間違っていたんですね。表虚証はある。しかし本は裏証で、裏を治さないことには表は治せない。表証はあっても、表証として治療すれば効くということは言い切れない、という難しい場面があることを指摘しています。

▶「虚」ならば細脈のはず

「虚」という言葉は、23条と前出の60条に出てきます。

23 太陽病、得之八九日、如瘧状、発熱、悪寒、熱多、寒少、其人不嘔、清便自可、一日二三度発、脈微緩者、為欲愈也、脈微而悪寒者、此陰陽倶虚、不可更発汗、更下、更吐也、面色反有熱色者、未欲解也、以其不能得小汗出、身必痒、宜桂枝麻黄各半湯、

60 下之後、復発汗、必振寒、脈微細、以内外倶虚故也、

共通するのは、微 (細) 脈・悪寒です。これらは陰陽倶虚・内外倶虚である、といっています。本条の「虚」も、これを承けて表裏陰陽の虚を言っていると見るのが自然です。細脈とは幅の細い脈、微脈とは細脈かつ輪郭がハッキリしないもの。細脈も微脈も細い脈で、陰陽幅 (浮沈幅) がない脈です。

では、なぜ、「虚」が見破れなかったか。微脈ではなかったからです。おそらく、脈は浮緩だったはずです。だから迷わず桂枝湯に行った。

▶脈診の難しさ

これは脈診の難しさです。脈はホースのようなもので、そこを水が通る。それを波動として感じ取っています。

脈診の技術はなくとも、脈はとれますね。しかし素人の診る脈は、ホースの上っべらをみているだけに過ぎません。実際にはホースの下っぺらにも脈の波動はあります。これを診ることができなければ脈診とは言えません。また、これらは上下の波動ですが、水平方向の波動もあります。心臓から指先に向かって流れる波動です。これも診ることができなければ脈診とは言えません。

脈管の上っぺらの波動、下っぺらの波動、まん中を流れる波動…。この3つを同時に診る技術が脈診の基本です。この基本ができて、はじめて脈の分類が可能になります。

このような診方ができたならば、まったく違う視野が広がってきます。今まで幅があると感じていた脈が、実は幅が無かったり、今まで幅がないと感じていた脈が、実は幅があったりします。脈診とは、そういう難しいものなのです。脈が浮いているか浮いていないかさえ、この技術が必要です。

本条で桂枝湯に行ったのは誤治です。正しい脈診をすれば、幅のない細い脈が出ていたはずです。しかし、それは相当の熟練がいるので、とりあえず桂枝湯を与えた後の変化を見てからでもよい。芍薬甘草附子湯を使うタイミングは脈診の腕に合わせてやりなさい、ということでしょう。

芍薬甘草附子湯方 芍薬三両 甘草三両 附子 (炮) 一枚 右三味、以水五升、煮取一升五合、去滓、分温三服、

▶肉桂・桂枝・附子のちがい

【私見】まず、肉桂・桂枝・附子の違いをまとめておきましょう。

▶肉桂

肉桂…辛・甘・大熱。
・純陽。引火帰原。補陽散寒。
・温営血。助気化。散寒凝。
・命門を補い、血分を中心に散寒する。

ニッキの幹なので、太い脈に働きかけます。最も太い脈は臓腑です。脈中の脈は心です。
脈に直接働きかけるので、太陽としての心陽の光を増し、地球を温めます (引火帰原) 。それによって、地表 (境界) に光が達し、地表以下の土 (脾) を温め、それが伝導してコア (命門) に至り、腎陽を温めます。温められたコアの温熱はジワジワと表面に達し、大気を温めます。しかしジワジワ達するので、どちらかというと表面ではなく内側 (血分) を温めます。

太陽は光なので、それだけでは温める働きはありません。土があって初めて、土を温めることができます。その温かみが輻射熱として大気を温めるのです。だから宇宙空間は極寒となり、上空は寒く地表は温かいのです。こういう純粋な光のことを、純陽 (☰) と言います。

▶桂枝

桂枝…辛・甘・温。
・平衡降逆。通陽化気。温通経脈。
・温営血。助気化。散寒凝。
・衛分を中心に散寒する。

ニッキの枝なので、細い脈に働きかけます。浮絡を中心とした浅く細い脈に作用します。脈という境界に直接働きかけて、全体としては温めます。
脈 (太陽の光) はまず、下に働きかけます。脈 (地表に届いた光) の下には営陰 (土) があり、脈の上には衛気 (気温) があります。まず営陰を温める (平衡降逆) ことにより、衛気が生まれる (気化) のです。

脈 (境界) に働きかけることは営血 (陰) に働きかけ、衛気 (陽) に働きかけることになります。もう少し詳しく言うと、脈を強くして (境界を明確にして) 下にある営血を活性化する (陰をハッキリさせる) のが主作用です。営血は営血としての働きが明確となり、衛気に気化します。結果として衛気を補う (陽をハッキリさせる) という二次的作用が起こります。衛気による温煦は推動を後押ししますから、温通というのです。

桂枝の温性

桂枝湯を服用して発汗後、壊病に陥る例が傷寒論では多く見られます。これは桂枝湯をしつこく服用し過ぎておこるものですが、桂枝の温営血作用が関係します。営血分が弱い (地球が小さい) のに、これを温めすぎると、とうぜん加熱しすぎて陰を傷ります。陰弱は発汗するに足る条件ですので、陰液をも損なうのです。そうならないように芍薬で陰を補い、生姜甘草大棗で陰陽幅を増す (地球を大きくする) のですが、それでも追いつかない場合がある。 “桂枝の温性に耐えられない” といわれるのはこの部分です。

また、桂枝は衛気を直接補うわけではなく、営陰を気化することで間接的に衛気を増すのですから、直接補うよりはずっと緩和です。 “桂枝は発汗する力が緩和だ” と言われるのはこの部分です。

要は土台がどの程度シッカリしているかどうかを洞察する力が求められるのです。

引火帰原と平衡降逆は同じ現象のことを言っています。いずれも、太陽の光が地球を温める、上から下に陽を下ろしています。外から内に陽を入れています。これと逆なのが附子です。

▶附子

附子…
・大辛・大熱。
・回陽救逆。補陽散寒。
・命門を峻補し、気分を中心に散寒する。

命門を直接強化し、腎陽を温めます。温められたコアの温熱はスムーズに表面に達し、大気を温めます。放散がスムーズなので、どちらかというと内側ではなく、表面近く (気分) を温めます。
太陽 (純陽・君火) を強化するのではなく、相火を直接強化します。なので肉桂 (あるいは桂枝) のような下に降る (内に入る) 作用はなく、外に放散する (上に昇る) 力が主となります。

芍薬甘草附子湯は、芍薬で陰を補い、附子で陽を補い、相反する陰陽の境界を甘草でハッキリさせることにより、芍薬 (陰) は陰らしく、附子 (陽) は陽らしく、陰は陽を助け陽は陰を助け、互いが互いを活かし合う関係をつくっていると言えます。

甘草が境界に働くという説は、66条で展開しました。

もし、芍薬甘草附子湯に生姜・大棗を入れたとしたら、中焦をより強化できていいように思いますが、抜いているのは意図があります。もし生姜・大棗をいれると、甘草は生姜・甘草をまとめる方に効いてしまいます。生姜は中焦の幅を大きくし、用 (陽) を強化します。大棗は中焦の材料を増やし、体 (陰) を強化します。この用と体の陰陽の境界に、甘草が効いてしまう可能性があります。

中焦 (中央) の幅を増やすよりも、血と命門にタッグを組ませた方が、陰陽の幅が増えるのでしょう。血は肝に、命門は腎陽に帰属します。肝は左右を、腎陽は上下を支配し、幅を大きく増やせると考えることができます。

他方剤との比較

比較したい処方を列挙します。

桂枝湯…桂枝3 芍薬3 甘草2 生姜3 大棗12    
芍薬甘草湯…芍薬4 甘草4  
桂枝加附子湯…桂枝3 芍薬3 甘草2 生姜3 大棗12 炮附子1
芍薬甘草附子湯… 芍薬3 甘草3 炮附子1

桂枝加附子湯との比較

桂枝加附子湯には、生姜・大棗と、桂枝が加わります。

21 太陽病、発汗、遂漏不止、其人悪風、小便難、四肢微急、難以屈伸者、桂枝加附子湯主之、
68 発汗、病不解、反悪寒者、虚故也、芍薬甘草附子湯主之、

本条は悪寒、桂枝加附子湯は悪風で似ています。ただ本証では桂枝加附子湯ほどの汗は特記していません。組成では生姜・大棗の有無に違いがあります。

桂枝加附子湯は表衛不固・腎気不固に加えて、脾虚の程度がきついので不制水としての発汗が加わり多汗となるのでしょう。だから生姜・大棗と甘草で胃の気の幅を増しているのです。桂枝があるのは表裏同病だからです。もともと桂枝湯証で、微似汗で止めなかった誤治によって裏虚が発生し、同時に標も解さない状態と言えます。

芍薬甘草湯との比較

芍薬甘草湯の場合は、芍薬で肝血を補います。血と陰陽関係にあるのは気ですから、この陰陽の境界に甘草が入り、調整しています。だから柔肝…肝気を柔らかくする方に効くと思われます。芍薬甘草附子湯は、芍薬と附子を陰陽互根 (互いに助け合う関係) にするために甘草が効いています。

両者は、甘草の効き方が違うと言えます。附子が足されるだけで、意図するところが全く違うものになります。

▶鍼灸

鍼灸でやるなら関元・陰谷などでしょう。腎陽を高めつつ、陰も補える穴処を選びます。もちろん、その穴処に反応が出ていることが前提です。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました