傷寒論私見…苓桂甘棗湯〔65〕

65 発汗後、其人臍下悸、欲作奔豚、茯苓桂枝甘草大棗湯主之、

桂枝湯証に桂枝湯を与え、発汗過多となる。65桂枝甘草湯証では胸に動悸がありましたが、本証は臍下に動悸がある。たまに見かけます。下腹に動悸がしてしんどい。

“欲作奔豚” …いまや奔豚を起こそうとしている状態です。

一般成書で奔豚は、水寒の邪が心陽の虚に乗じて上亢する、と説明されます。しかし、どうも納得いかないのは、豚が奔走するような、ドドドドドドドドドッという勢いが奔豚にはあるのですが、そんな陽動的なものが、どうして冷えだけで説明できるのか、という部分です。熱は上に昇り、寒は下に降る、というのがセオリーのはずです。そこで、生命というものの陰陽を、もう一度、原点に立ち戻って考えてみたいと思います。

▶精とは

静から動は生まれます。物体が動くとき、必ずその前段階に静止状態がありますね。ただし、その静は「いまにも動くぞ!」という用意のある静であり、ただの静ではありません。こういう静を「精」といいます。

そして動いたとき、さっきの静はより明確な静となります。動と対比されるからです。このようにして静と動…つまり陰陽が生まれる。精が陰陽を生み出すのです。

“動” は生命の特徴です。 “精” は生命の根源と言われるゆえんです。

精とは…生命誕生の謎◀けいれん…東洋医学から見た6つの原因と治療法 をご参考に。

▶生命の誕生

そもそも、陰陽というのは先天の精から生まれます。先天の精とは静のことです。ただし、動を生み出す直前の静です。動は陽、静は陰です。これは受精卵が誕生した初発のものですから、先天の話です。ゆえに先天の精が、先天の陽 (動) と先天の陰 (静) とを生みだしたのです。動はエネルギーであり火の性質をもち、静は消し止める力であり水の性質を持ちます。静水が動火を生むのです。ただし、この段階では実体は未完成で、性質のみが現れたに過ぎません。

受精卵が着床すると、後天の精を取り入れることになります。後天の精とは濁、すなわち土 (実体) のことです。ただし、清を生み出す直前の濁です。清は陽、濁は陰です。これは受精卵が着床した後発のものですから、後天の話です。ゆえに後天の精が、後天の陽 (清) と後天の陰 (濁) とを生み出すのです。濁は実体であり、清は実用です。濁 (地) では、動は火として体現化し、静は水として体現化します。

先天ではただの性質に過ぎなかった火と水に、実体の伴った機能 (実用) が備わります。

つまり、土の存在によって、火と水が、それぞれの機能を果たす、実用化する、存在意義を持つ。そういう変化が現れるのです。

▶天地人

これを自然環境に当てはめてみます。

宇宙空間がありました。そこに太陽の光が生じ、それに対比されて闇という概念が生まれます。太陽は、主観 (人間) のない宇宙空間にあっては八方に光を拡散するのみで、実用 (意味) を伴いません。生命がなければ存在意義がない。名あって実なきものです。そういう宇宙空間が、そもそもあった。

その宇宙空間にただよう塵が集まり、その集まりに吸い寄せられるように、また塵が次々と集まり、それが凝集して巨大化し、地球になります。大地が生まれ、そこに人が宿り、人によって天空が認識される。天地人です。宇宙空間を天という尊い高い位のものにしたのは、ほかならぬ大地と、それを認識する人 (主観) です。

地球 (土) があると、生命 (主観) は地球を基準としますので、太陽は下に降り地を照り付ける、という「働き」を持ち合わせるようになります。火は上に昇るものですが、下に降るという例外的な働きをするのです。

地上で我々が使う火は、太陽の火が降りてきたものです。土があると、火は下に降るのです。火は上にあるだけでは何の意味も持ちません。下に降るから値打 (意味) があるのです。

じっさい、太陽のない極寒の世界で火は起こせません。

▶適度な温かみ

これは理科の授業になりますが、太陽そのものは熱源とはなりますが、これだけでは温かみになりません。土が温められて初めて機能するのです。冷やす作用も土が冷えて初めて機能します。だから上空ほど気温が低いのです。

脾陽 (地温) はそもそも心 (太陽)によって温められることによって生まれます。脾陰は土の濁そのものです。濁が濁らしくあればあるほど、太陽の火を蓄えて脾陽が脾陽らしくなります。たとえば、薄いアルミホイルに火をかざすと瞬時に熱くなり、火を遠ざけると瞬時に冷めますね。分厚い鉄板だとなかなか熱くならず、なかなか冷めません。濁が希薄だと、大地の安定した温かみは得られないのです。

▶脾が火を降ろす

人間も頭は冴えて涼しく、足元は温かい状態が健康です。土 (脾) が分厚くシッカリしているから、熱は下に、寒は上に、となるのです。

火は上にあり、水は下にありつつ、火は下に降り、水は上に昇る。これが火と水の実用的な機能です。心は上にあり腎は下にある。そして心火は下に降り腎水を温め、腎水は上に昇り心火を冷まします。これを牛耳っているのが、ハザマにある脾土です。

土は陰陽交流の土台になります。天の火が地にくだり、地の水が天に昇るのは、土があるからで、生命の営みが「適度」にできるように調整してくれています。たとえば太陽の激しい火は、生命を瞬時に消し去るほどのものです。しかし、土という緩衝材に吸収され、土に蓄えられた水によって適温に冷まされて、生命の「あたたかみ」となるのです。

下に降るのは陰、上に昇るのは陽ですね。ご存知のように、地の水が上に昇るための陽は脾陽です。ここで言いたいのは、天の火が下に降るための陰は脾陰だということです。そもそもの “地球” がなかったら太陽の光は “くだる” ということができません。脾の卦は☷で、純陰です。だから脾陰とは「脾」そのものなのです。

▶水火を包み込む実体

膈より「上」は清で、心は太陽、肺は天空です。

膈より「下」は濁で、脾は地表 (土) です。その下 (土よりも低い場所) に腎が二つあって、一つは命門 (地熱) 、もう一つは腎水 (地下水・川・海) です。

地表には人がいて、ここが基準となり、清と濁の境界となります。つまり「中」(中焦) です。 中は清濁を分けるので、清も濁も支配します。

先天では、水から火が生まれた。これは受精卵です。そして着床し、濁った実体 (後天の精=清を生む直前の濁) がその水火を包み込む。濁った実体 (地球) は清 (天空) を生み、清が生まれることで、濁った実体はハッキリとした濁となる。つまりその濁った実体は清濁を生み、清濁 (上下) の境界となるのです。

膈より下は濁であり、濁は中 (地表) であり下 (地下) であり、脾であり腎であり、腎は火であり水である。中 (土) は下 (濁) と上 (清) を生む。このように考えると何も矛盾がありません。

ちなみに、ここまでは人の上下の話でした。上下は人が地表で暮らす限り、絶対的なものです。しかし、左右は絶対ではなく、人が平面を移動すれば左右はそのたび変化しますね。「左右」は肝が支配します。肝は上にも中にも下にも存在します。上下を貫き (百会~大敦) 、上とも中とも下とも影響し合うのが肝なのです。

▶水火の激しさを緩和する重濁

天空は澄んでいるからこそ、太陽の光が瞬時に降り注ぐことができます。また水蒸気が速やかに昇ることができます。スピードがあって露骨、激しさがあります。

それに対して、大地は重濁で、太陽の光が舞い降りても瞬時に灼熱化することがありません。また重濁である (引力がある) からこそ、地球の水は天に昇って散らばることがありません。スピードと露骨さを受け止め緩和する包容力があるのです。

▶水寒の上逆とは

もし地球が急に小さくなったらどうでしょう。つまり、もしこの天地から、土 (地球) の表層…つまり地表が瞬時に消えるとどうなるでしょうか。もともと宇宙の塵が凝集してできた地球は、小さくなった分だけ引力を失います。

その結果、まず、蓄えていた水をつなぎ留めておくことができない。水は宇宙に拡散して飛び散り (不制水・不統血) ます。またマグマ (コア・相火) が露見して高熱 (陰火) となるでしょう。地球の重濁性は、ここまで希薄になったことがないので、想像に過ぎませんが理論上はそうなります。土があるからこそ太陽の火 (君火) を穏便に蓄え、水を逃さずに済んでいるのです。

しかし人体生命の場合は、土がそこまで希薄になることがあり得ます。

発汗過多により、太陽の光が閉ざされ、そのうえ急に地球が小さく薄っぺらくなれば、マグマの熱はすぐに冷めてしまい、そして水だけが飛び散る。これが心陽虚による奔豚…水寒の邪の上逆です。

これは、脾土の固摂 (地球の求心力) が急激に弱ることにより、相対的に肝木の疏泄 (地球の遠心力) が高じた姿でもあります。肝木が水寒の邪を伴いながら昇るのです。

もちろん本証は、昇ろうとはしているが、まだ昇っていない状態です。臍下で動悸がするというのは、降りてきた心神が腎精を家屋として住まいしているからです。だから精神といいます。肝 (相火) が昇ろうとするとき、心 (君火) もともに昇ろうとします。君火の性質は陽動なので、動悸がするのです。

求心力と遠心力については、「傷寒論私見…奔豚とは」をご参考に。
君火と相火についても、「傷寒論私見…奔豚とは」をご参考に。

昇る寸前の静の状態が動悸であることも注目です。動く寸前の静が精だという私見を冒頭に展開しましたが、奔豚が精に関わる疾患であるという問題提起と照らし合わせて、面白い符合ではないでしょうか。

茯苓桂枝甘草大棗湯方 茯苓半斤 桂枝四両 甘草二両 大棗十五枚右四味、以甘爛水一斗、先煮茯苓、減二升、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升、日三服、作甘爛水法、取水二斗、置大盆内、以杓揚之、水上有珠子五六千顆相逐、取用之、

▶桂枝甘草湯と比較

▶もともと脾土が小さい

桂枝甘草湯が基本になっています。桂枝甘草湯も桂枝は四両でしたね。ちなみに桂枝湯は桂枝三両です。発汗によって、心陽の受けたダメージは、桂枝甘草湯証と同等なのです。ただし脾土 (地球) がもともと小さかった…。

桂枝甘草湯証と同じく、桂枝湯証を発汗させ過ぎた。すると臍下に動悸が出た。

桂枝甘草湯と比較します。発汗過多によって陰陽幅が急激に狭まり、正気・邪気 (風邪) ともに弱くなり、表裏の境界・陽分陰分の境界 (下図) という壁が、区別できなくなるほど薄くなった。それだけでなく桂枝甘草湯と異なるのは、生死の境界 (下図) までが区別できなくなるか…というほどに薄くなったということです。そして肌表の弱い風邪が生死の境界の近くまで衝撃を与えた。

奔豚の特徴は「欲死」です。「傷寒論私見…奔豚とは」をご参考に。もちろん、本条は奔豚に至っていませんので、生死の境界は動揺していません。

▶脾土が冷えた

これほどまでに一気に陰陽幅が小さくなるということは、もともと陰陽幅か狭かったということです。つまり、そもそも地球が小さくなっていた、地球が薄くなっていた。

そこに発汗があり、脾土がさらに縮小し、そのうえ心陽虚が起こります。つまり太陽が隠れてしまいます。分厚い鉄板なら、太陽が隠れたくらいでは、すぐには冷えません。ところが、アルミホイルのようにもともと薄いと、太陽が隠れたらすぐに冷えてしまう。

桂枝甘草湯と同じく、急性の陽虚…すなわち心陽虚が起こっています。ちがうのは脾土 (地球) も同時に冷えてしまったということです。太陽の力によって保っている地球ですが、地球が分厚く巨大であれば、光が届かなくとも一日二日は保てるのです。しかし、もともと地球が薄っぺらく脆弱だったうえ、発汗によってますます小さくなったため、瞬時に冷えた。崩壊寸前となってしまった。これが「欲作奔豚」です。

実際に崩壊すれば地球に蓄えられた海水などの水が宇宙に飛び散ることになります。

別の言い方をしてみます。地球が小さくなり急激に冷えた。地球には水火が包含されています。とうぜん冷えることで火は弱まります。水は小さくなった地球に入りきることができず、あふれてしまいます。

こういったことが、精が崩れて水邪に変わる…と言い換えられるかと思うのです。

▶苓桂甘棗湯の組成

急激に脾が弱ることによって、急激な水寒の邪が生じる。つまり土が弱る、重濁が希薄になる、固摂が弱くなる、だから水が拡散する、つまり上逆しようとするのです。ただし、まだ上逆はしていません。地表 (中焦) にあふれて、いまや宇宙 (上焦) に飛び散ろうとする寸前です。この水邪を、中焦にあるうちに大急ぎで取る必要があります。これが茯苓八両です。茯苓は清濁を分けます。使える水は地球に戻して正気に変え、不要な水は取り去る。

刮目すべきは茯苓半斤つまり八両です。苓桂朮甘湯でも四両、傷寒論中でも突出して多くなっています。つまり、脾をバックアップして水邪を早く除去する。それをものすごく意図した組成です。

大棗で地球の重濁さ・巨大さを回復させます。土の量を増やし、太陽の光熱を蓄える力を強化しています。また土をフワフワにスポンジ化して水を制する力を強化します。

地球が小さい…つまり陰陽幅が狭いので、下手に乾姜などで脾陽を補おうとするとすぐに熱化してしまう。しかも冷えやすい。薬を煎じるための水でさえ、冷やしてしまわないだろうか。もしこれ以上冷やすことがあれば、今にも飛び出そうとしている水が上に飛び散ってしまう。だから「甘爛水」を使って、熱化もさせず寒化もさせないように細心の注意を払っているのです。限界ギリギリの状態であることが分かります。

あとは桂枝甘草湯とおなじ、桂枝と甘草です。桂枝で太陽の光を強くします。甘草で、桂枝で補った陽に見合う陰を補います。発汗で陰陽ともに失っていますから。

傷寒論私見…桂枝甘草湯〔64〕」をご参考に。

▶まとめ

桂枝湯証を発汗しすぎた結果、心陽・脾土を同時に損ないます。脾土が急激に冷えるとともに、制水が急激に効かなくなり、同時に肝気の遠心力のタガが外れて暴走しそうになる。その上逆しそうになっている水寒の邪が、なんとか中焦で止まっている。脾土の求心力が急激に弱くなり、脾土が抱擁している精 (神舎) 、その精のなかに封された神が、ともに上逆の構えを見せつつ、封じられた激しい陽動性がやや垣間見えるのが、下腹部腎間の動悸です。

この激しい陽動性は、言い換えれば、いまだ真の陽気は衰えていない…ということの裏返しでもあります。

本条は、「奔豚を起こしそうで起こさない」という証です。後述しますが、124条の桂枝加桂湯証は「奔豚を起こした」という証です。前者はまし、後者はひどい。この違いは何かというと、心陽の輝き・脾土の重濁という性質が、すこし弱まったのか、すごく弱まったのか、という違いです。これを承けて、桂枝加桂湯では桂枝を五両に増量しています。

このように考えると、火は陽動で水は陰静といいますが、じつは火も水もどちらとも、猛々しい性質を先天的には持っていて、その性質を土 (後天) が緩衝材のようにやわらげ、暴走しないようにしてくれていることが分かります。

58条「凡病、若発汗、若吐、若下、若亡津液、陰陽自和者、必自愈、」に照らし合わせると、心陽を補い、中焦の陽を助けることにより、腎 (封蔵・コア) を回復させ、陰陽自和にもっていきます。

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