正気と邪気って何だろう

我々の体のエネルギーを、東洋医学では「正気」といいます。正気とは体力です。生命力・回復力・持久力・適応力・治癒力…とも言い換えることができます。

「邪気」とは、正気を邪魔するものです。邪気は2種類に大別できます。
㋐体の内側で生み出される病理的産物
㋑体の外側から襲ってくる外邪 (気候の影響力) …寒邪・暑邪・湿邪など。

ここでは、㋐の体の内側で生まれる病理的産物 (気滞・痰湿・邪熱・瘀血・湿熱) について説明します。

虚実とは (補法・瀉法)

正気の不足が病気の主要原因になっている状態を、「虚」と言います。治療方法は補う治療 (補法) です。
脾と腎が正気の生成に深くかかわります。
正気は「気」と「血」のことです。
これらが弱ると、当然、病気です。
この場合の病気は、体が弱いとか、食欲がない、体力がない、というもので、
これがひどいレベルになれば、命は消えてしまいます。

でも、病気はもっと色々ありますね。
例えば痛い。熱が高い。苦しい。大小便が出ない。血圧が高い。癌のような塊ができる。免疫が狂う、などなど。
体力はあるのに病気だ、ということがあり得ます。
これには「邪気」が関与します。
邪気が病気の主要原因になっている状態のことを、「実」と言います。治療方法は取り去る治療 (瀉法) です。

簡単に言えば…
味方が正気、敵が邪気です。
味方が少ない状態が虚、敵が多い状態が実です。
味方を増やす方法が補法、敵を減らす (追い出す) 方法が瀉法です。

正気に対する邪気。
正と邪は対義語で陰陽関係にあります。
正とは正常なもの。邪とは異常なものです。

邪気は4種類に分けられます。

①気滞 (きたい)
②痰湿 (しったん)
③邪熱 (じゃねつ)
④瘀血 (おけつ)

以下に説明を試みます。

気滞とは

気滞は気の滞りのことです。気とは機能です。正常な機能、つまり気とは正気です。

体の機能はさまざまな種類があって、それぞれが絶妙な連係プレーで生命を営みます。そのバケツリレーが、どこかでモタモタしだすと、異常なものとして気が変化します。
これを気滞と言います。

多くは緊張状態により機能不全に陥ります。ゆえに気滞は緊張とも言えます。緊張は、精神的・肉体的、両方の緊張です。

精神的緊張とは、ストレスです。肉体的緊張とは、運動不足あるいは運動のし過ぎです。運動不足でも運動過多でも体がガチガチにになるとイメージすれば分かりやすいでしょうか。

現代人では、ストレス・運動不足によるものがほとんどですね。

気には色々な機能があります。すべて列挙すると…推動作用・温煦作用・栄養作用・気化作用・固摂作用・防御作用…です。

気の6つの作用 をご参考に。

推動とは流通させる力のこと。体を動かすとすっきりするのは、この推動作用が強化されたからです。悩み事が解決した時も、すっきりしますね。気の大きな働きとして、「めぐらせる力」があることをイメージしてください。

気滞は痛みに深くかかわります。「不通則痛」という言葉が東洋医学にはありますが、通じなければ痛む、という意味です。気滞は最も大きい「不通」の原因です。痛みがあれば、必ず気滞が関与します。

気滞は以下に述べる②③④の邪気の生みの親ともいえるものです。ですから、気滞の配下で②③④は連携して結びつき、正気を邪魔して滅ぼそうとします。ガンはその典型例です。「病は気 (気滞) から」です。

気滞があると、めぐりが悪くなるため、②③④の邪気が取れにくくなると理解してもいいでしょう。

気滞は肝と深く関わります。

痰湿とは

痰湿は水の滞りのことです。水湿 痰飲とも言います。水邪も同義です。

https://sinsindoo.com/archives/two-qi.html#痰湿の図

ここでいう水とは、栄養分を含んだ水分のことです。水は体の各細胞に届けられ、そこで活動力 (機能=気) に変化し、消滅していきます。この過程そのものが生命を支えます。

それが、どこかでモタモタしだすと、異常なものとして水が変化します。流れを失った淀んだ水のように、濁り、粘り、臭くなります。これを痰湿といいます。ネバネバしたものをイメージするといいでしょう。

濁り、粘り、臭さがなく、単にサラッとした水が滞ることを水邪と言います。

こんな例え方もできます。

お腹にはバケツのような容器がある。そこに口から飲食物の栄養スープが入ってくるのですが、そのバケツに八分目が入ると「腹八分目に医者いらず」です。栄養スープが、たとえば腕に足りなくなるとそこまで運んで注ぐ、目に足りないとそこに注ぐ。

もしバケツに十分目が入るとします。腕まで運ぶ際にこぼれてしまいますね。バケツに十二分目が入ると、その場であふれてこぼれます。

こぼれる前はいいにおいで栄養たっぷりのスープでしたが、下にこぼれた瞬間に汚く臭くベタベタして取れにくい汚れになってしまいます。これが痰湿です。

食べすぎていなくてもあふれてしまう場合があります。容器 (バケツ) が小さくなる場合です。小さくなると中身が入り切らず、あふれてしまいますね。この場合も痰湿ができます。

容器を小さくするものは、間食・夜更かし・目の使い過ぎ・運動 (労働) のし過ぎ・運動 (労働) 不足・ストレスなどが挙げられます。

痰湿の特徴は「重さ」です。そもそも痰湿は水からできていて、水は重く下に降る性質があります。体が重くて仕方ない、下半身がむくむ…このような症状は、痰湿が原因だと疑うことができます。痛みならば重い痛みになります。

また痰湿は陰湿でシツコイ。気血の流れを阻害したり、気血の出入り口を塞いだりして、重篤な病気を引き起こします。体の中で血栓やガンのような塊を形成することもあります。

食べ物の種類は、とくに糖分 (あまいもの) ・油脂分 (あぶらっこいもの)に注意です。これらは少量でも食べ過ぎになりやすく、痰湿を生じ、それが原因で脾を弱くしてしまいます。

痰湿は脾と深く関わります。

また、食べ過ぎの大きな原因はストレス…つまり気滞です。気滞が痰湿を生むのです。

邪熱とは

邪熱は熱の滞りのことです。

熱は気が生み出すエネルギーの一形態です。

気には「温煦作用」=温める働き があります。その温かみ (=熱)は体全身をめぐり、余分な熱は体外に皮膚を通して発散されます。その過程が体を温め、生命を支えます。つまり体温調節です。

その過程がモタモタして、一部に蓄積したり、発散できずに全身にとどまったりすると、温かみが過度なものとして変化します。これを邪熱といいます。

正常な気から正常な熱 (温かみ) が生み出されるように、気滞から邪熱は生み出されます。

気滞=緊張です。緊張が長く続くと熱を生む。これは法則です。空気も圧縮すると熱くなります。注射器のようなシリンダーに燃えやすい綿などを入れ、ギュっと圧縮すると、パッと発火します。また地球の深部は引力で高圧・高温です。人体生命は自然から生まれてきたものなので、自然現象と同じ現象が起こるのです。

邪熱は、気を傷めつけたり、水を乾かしたり、血を乾かしたりして、生命を弱らせます。気も水も血も、生命の材料です。

モタモタする原因は…
◉ストレスによる気滞。
◉糖分・油脂分の過剰摂取による気滞。
≫食べ過ぎは痰湿のもとでしたね。痰湿は、気を阻害し気滞を生みます。その気滞が邪熱を生みます。痰湿と邪熱がくっつくと「湿熱」という邪気を形成します。ちなみに香辛料はそのまま邪熱になります。
◉冷たい飲食の過剰摂取による気滞。
≫冷たいものを過度に飲食すると、宣発・粛降機能に異常がでます。宣発で邪熱を発散できなくなります。これは魔法瓶と同じ意味合いがあります。また、粛降で陽気 (正常な熱) を引き下げて下半身を温煦できなくなります。
また、こうも言えます。肺は肝の条達と共同作業をしていますから、気滞が生じてめぐりが悪くなり、熱が動かなくなり、邪熱をこもらせやすくなります。
◉外邪 (暑さなど) による気滞。

これら邪熱は最終的に腎のクールダウンする力 (腎陰) に負担をかけてきます。腎に負担がかかった邪熱は取れにくく強いものになります。

夜更かしは腎を弱らせるので、邪熱を助長します。夜更かしする原因はほとんどがストレス (気滞) です。

邪熱が原因となる症状は、まず炎症が挙げられます。痛みならば激痛です。それから「熱く感じる症状」…たとえばノボセなど。それから「赤い色を伴う症状」…例えば充血などです。

邪熱は肝・脾と深く関わります。

邪熱も気滞から生じる…ということがよく分かりますね。

瘀血とは

瘀血は血の滞りのことです。

血は、言わずと知れた体のエネルギーですが、これがモタモタすると異常なものとして血が変化します。これが瘀血です。瘀血は、塊を形成したり、気の動きを邪魔して病気をひどくしたりします。

モタモタする原因は…、
◉気滞によって血も滞り瘀血を生む。
◉気が弱り血が動きにくくなって瘀血を生む。
◉邪熱によって血が蒸し乾かされ瘀血に変化する。
…などです。

このうち、気滞や邪熱による瘀血が最も多く、そのため瘀血は肝と深く関係します。瘀血もやはり気滞から生じることが分かります。

瘀血の症状の特徴は、まず痛み。刺すような痛み・シャープでピンポイントの痛みが特徴です。この痛みは、昼より夜の痛みが強いという困りものです。これでは疲れが取れず、体はどんどん悪くなってしまいます。関節の可動制限も瘀血が原因です。

まるでイガ栗のような剣山のようなものが部分的にあると考えると分かりやすいでしょうか。そういうものが、例えば腰にあったら、ジッとしていると痛むこともあり、角度によっては痛まないこともあり、動かすと痛むこともあり…という複雑な症状も説明がつきやすくなります。

また瘀血は、痰湿とともに腫瘍などの塊を形成します。とくに悪性腫瘍は堅いことが特徴ですが、これは瘀血が関わります。瘀血がからむと堅くなります。よって瘀血のからまない腫瘍は治りやすいと言えます。

血瘀証 をご参考に。

湿熱とは…邪気のステージ

気滞・痰湿・瘀血を、それぞれのものとして説明してきましたが、少し見方を変えてみましょう。

気滞の性質は風船玉みたいなもので、障害物にはなりますが、鍼でつつくとパッと消えてしまいます。痰湿はネバネバしたもので、一度つついたくらいでは消えません。瘀血はカチカチのもので、痰湿よりも強固なので、取るのに時間がかかります。

このように見ると、気滞がひどくなると痰湿になり、痰湿がひどくなると瘀血に変化する…という連続性があることが分かります。気滞はめぐりの悪さなので、めぐりが悪ければとうぜん体液も滞り、痰湿となり、もっとめぐりが悪くなると瘀血のような岩みたいなものができると理解してもいいでしょう。

瘀血は外傷でもできますが、これは一過性の瘀血の場合もあります。

内傷的に長期に渡って形成された瘀血は、カチカチになった「おもち」のようなものです。痰湿はまだ柔らかいネバネバの餅です。このような瘀血は除去が難しく、臨床的にもっとも問題になるものです。

芯がカチカチで表面がネバネバのものが、患部にあるとイメージしていいと思います。表面のネバネバ (痰湿) を取り去ることで、芯のカチカチ (瘀血) もふやけてネバネバになります。ネバネバならばサラサラにすることが可能です。サラサラになれば循環して体外に排出できます。サラサラなのに循環しなければ気滞です。

カチカチがあるということは、ネバネバが長く放置されたということです。ネバネバの柔らかいお餅も、放っておくとカチカチになりますね。

気滞をストレスだとします。ストレスが高じると、ストレス食いによって気滞を緩める代わりに痰湿を生み、それでもなおかつストレスがかかり続けると、食べたところで もう緩まないレベルの強い滞り (瘀血) になる…と理解してもいいでしょう。

そして、これら気滞・痰湿・瘀血が、それぞれレベルが強くなると熱を持つのです。すなわち、邪熱・湿熱・瘀熱です。

湿熱という概念は、このように理解するのが、最も簡単で実用的だと思います。

気滞・痰湿・瘀血は、すべて気滞を伴います。気滞が高じると熱化するということは、「邪熱とは」で説明したとおりです。

正邪という陰陽

優劣という陰陽

正気と邪気は、陰陽関係です。

陰陽とはお互いがお互いを助け合う関係にあります。正気と邪気が助け合うとはどういうことでしょう。

地面が濁っているから澄んだ空があるように、この世は必ず裏表というものがあります。悪があるから善を認識できるように、邪気が完全に消えてしまうと正気は存在できません。

別のたとえで考えましょう。一般市民が陽なら、警察は陰です。警察は絶対に必要ですね。警察がいなければ、一般市民は悪い方向に行ってしまいます。同じように、邪気がなければ、正気は悪い方向に行ってしまうのです。警察は存在しているが、仕事がなくて退屈そうにしている。逆に、一般市民は生き生きと仕事をしていて勢いがある。そういう世の中が一番いいのです。

そういうわけで、正気の優勢・邪気の劣勢という陰陽関係で、互いに助け合っているのです。よって、正気の優勢が大きくなればなるほど、邪気の劣勢は大きくなる。紙の表が大きくなればなるほど、裏は大きくなるのと同じです。

正気は必ず優でなければなりません。これは空が必ず上になければならないことと同じです。これは天地開闢以来の決まりです。

高次の陰陽

素問・陰陽応象大論では、以下のように陰陽を説いています。

「陰陽は、天地の道なり。万物の綱紀、変化の父母、生殺の本始、神明の府なり。」

これを見ても分かるように、陰陽とはまず「道」です。道は人が歩くところで、常に真ん中にあります。ぼくは「道」という言葉を「何にも左右されることのない絶対法則」と訳します。

しかしそれは「変化の父母」でもあります。

つまり、高次の真理 (陰陽) は変化しないものであり、そこから変化する真理が生まれるのです。正しいことが何かということが腹に入っていたら、それを軸にして臨機応変が生まれますね。軸がなければ臨機応変ではなく「いいかげん」になってしまいます。

移ろい流転してやまない中に、確固たる絶対法則を潜ませている。それが陰陽です。

人体生命において、正気・邪気という要素は非常に高次元です。よって正気は優でなければならない。邪気は劣でなければならない。そういう軸が備わっているのです。太陽は常に上にないとダメなのです。

正常な正と邪

高次の陰陽は、陰極まって陽となる…という、陰陽の基本的な法則である「転化の法則」に左右されません。地面が極まって空になることはないのです。空はいつまでも上にあり、地面はいつまでも下にあります。正邪は高次の陰陽なので、正気が極まって邪気になる、邪気が極まって正気になる…ということは、通常はあり得ないのです。

つまり、
●正気が強くなると、邪気は弱くなります。これが健康です。
●邪気が強くなると、正気は弱くなります。これが病気です。

この法則を使って、治療の仕方を工夫します。
●邪気を治療で取り去ると、正気が回復する。
●正気を治療で補うと、邪気が消える。
こうした方法を組み合わせることで、邪気を少なくし、正気を旺盛にします。これは、治療の眼目であり、病気を直すために絶対に必要なことです。

これは正気は優、邪気は劣という、優劣の法則が効いているから起こる現象であり、正常です。

異常な正と邪

もし、この法則が効かなくなったら…。これは非常事態です。

正気が正気らしくなればなるほど、邪気が邪気らしくなる。
邪気が邪気らしくなればなるほど、正気が正気らしくなる。

これがよくありません。優劣の法則が効いていない。一般市民が元気になればなるほど、警察の仕事が増える。これは良くありませんね? 元気になればなるほど、まじめに仕事をせずに、犯罪行為を盛んに行っているのです。

絶対法則が誤っている。「道」をたがえているのです。

つまり、
●正気が強くなると、邪気も強くなる。
●邪気が弱くなると、正気も弱くなる。

これでは病気が治りません。難病などの治りにくい病気は、この現象が起こっています。

元気になればなるほど、ウォーキングに励めば、もっと元気になりますね。
元気になればなるほど、深酒をするようになれば、病気の原因を作ります。

優劣の法則が動かなくなる原因は、ここにあります。これを支配しているのは
肝の魂
心の神
です。魂・神は、虚実正邪という陰陽を支配するのです。正邪の優劣という陰陽が正常に働くかどうかを決定するのです。

魂・神については、
「東洋医学の肝臓って何だろう」
「東洋医学の心臓って何だろう」をご参考に。

まだ話が分かりにくいですね。「絶対法則」とは何でしょう。

「天地の道」

たとえば、幼い子供がカゼをひいたとします。明日は幼稚園の運動会です。「あれだけ一生懸命お遊戯の練習をしたんだろから、何が何でも明日までに治そうね!」というお母さんAと、「もう十分頑張ったんだから、明日は休むつもりでゆっくりしようね。もし熱が下がったら行けばいいんだから。」というお母さんBがあったとします。この場合、早く熱が下がり、運動会に参加できる確率が高くなるのはBの方です。

これはBが真理だからです。

「病気と闘う」という考え方では健康になれません。これは誤った考え方で、優劣の陰陽が働かなくなります。正気が正気らしくなればなるほど、邪気も邪気らしくなってしまう。元気になればなるほど、体に悪いことをしてしまう。

この秋は 雨か風かは 知らねども 今日つとめに 田草取るなり

こんな道歌がありますが、「人事を尽くして天命を待つ」 (かんたんにいうと「ダメ元」) という考え方こそ真理であり、病気を治すうえでの基本となる考え方です。

ダメで元々、やるだけのことはやる。後は天の神さまの言うとおり。

これが「何にも左右されることのない絶対法則」つまり、「天地の道」 (素問・陰陽応象大論)であり、この道を歩む限り、正気は優勢であろうとするのです。

病気を治す道… 反省

反省」もまた、「天地の道」です。人間は反省することによってのみ、前に進歩します。それは真理です。病気を治して健康への道を進むためには、「自分のどこかが悪いんだ。どこが悪かったんだろう」という気持ちが大切です。

それなしには、前に進めません。自分を省みることなしに何ほどあせっても、本当の意味で良くなるものではありません。症状さえなくなればいいという考え方では、病気から健康に向かうという舵が切れないのです。

病気になるのは、自分のどこかが悪かったからです。そういう気持ちを持てば、自然と魂・神を整え、どこか落ち着いた気持ちになります。正気の優勢・邪気の劣勢という陰陽が動き始めます。

そういう気持ちで、信頼できる先生に治療をしていただくことです。どんな医療であろうと、こういう哲学をもった治療家のやる治療は、そこを動かす力を持ちます。

絶対法則のもとでこそ、陰陽は正常に動くのです。

テキストのコピーはできません。
タイトルとURLをコピーしました