「天人合一思想」というものがあります。
何謂人与天一邪?
仲尼曰。有人,天也。有天,亦天也。《荘子 (外篇・山木) 》
【訳】
人と天 (大宇宙) が一つである…とはどういうことか。
仲尼 (孔子) 曰く、
人という存在は天 (大自然) から生じたのである。
天 (大宇宙) という存在もまた天 (大自然) から生じたのである。
大自然と人体は相似関係にあるのです。大きい正三角形と小さい正三角形は、大きさは違っても形は同じですね。こういうのを相似といいます。
東洋医学の原典《黄帝内経・霊枢》にも、各所に記載があります。
…天有日月.人有両目.…地有草蓂.人有毫毛.…天有昼夜.人有臥起.…此人与天地相応者也.《霊枢・邪客71》
【訳】
天に日月があるように、人には両目がある。…地に草があるように、人には毛がある。…天に昼夜があるように、人には起き伏しがある。…これが人と天地の相応なのだ。
しかも、その大きな正三角形と、小さな正三角形を、大小という「陰陽」と捉えます。陰を見て陽を察する。陽を見て陰を察する… という方法が、東洋医学的な考察の方法です。つまり、大自然を見て人体のありようを知る。人体を見て大自然のありようを知る。
善言天者.必應於人.
善言古者.必驗於今.
善言氣者.必彰於物.
善言應者.同天地之化.
善言化言變者.通神明之理.《素問・氣交變大論69》
【訳】
天 (大自然) のことをよく知っているものは、人 (人体生命) のこともよく知っている。
いにしえの歴史をよく知っているものは、現在がどのような状況に置かれているかもよく知っている。
気をよく知っているものは、物質のこともよく知っている。
このような「相応の法則」をよく知っているものは、天地転変の法則と一体化している。
天地転変の法則をよく知るものは、大自然の意図するところに通じている。
天 (大自然) と人 (人体生命) は陰陽関係にあって、全く正反対の立ち位置にありながら一つの世界をつくる。お互いがお互いを高めあって成長し合う関係にあるのです。
〇
地球は、70億を超える人間が集まってできています。
人体は、30兆を超える細胞が集まってできています。
これを相似関係と考えてみましょう。
それら細胞の一つ一つは、どの細胞からでもクローンが作れるそうです。髪の毛一筋でも、一人の独立した人間になるポテンシャルを持っているのです。
そんな細胞たちの「寄り合い所帯」である人体ですが、おそろしく「まとまり」のある集合体だと思いませんか? これだけたくさんの細胞があれば、一つくらいは「オレはお前らとは関係ない。独自に細胞分裂して、いずれ独立し好き勝手をさせてもらう。」という奴がいてもおかしくない。でもそういう奴はいません。
少なくとも健康であれば、そういう奴は存在し得ないのです。
実は、これが「自然な姿」です。
この「自然な姿」にケンカをふっかける奴がいる。ガン細胞みたいな奴です。ではガン細胞は人体を征服できるかというと、その成れの果ては皆さんご存知ですね。人体という大自然が滅びるとともに、ガン細胞も生きる糧 (かて) を失い、死んでゆくのです。
こういう常識を知らない国家指導者がいますね。今般の戦争です。戦争は、右手で左手を切り落とすような行為です。
では、
「自然な姿」とは?
「健全な体」とは?
そこでは何がおこっているのか。
手は手の職掌に甘んじ、足は足の職分に安んじ、心臓は心臓の天分をまっとうする。
乾以易知,坤以簡能。《易経・繋辞伝上》
【訳】
乾 (天) は知 (上から管掌すること) が易 (天分) である。
坤 (地) は能 (下を強固にすること) が簡 (職分) である。
心臓は働き詰めは嫌だから足になりたいなどと無責任なことを言わず、足は踏まれるのが嫌だから手になりたいなどとワガママを言わず、手は尻を拭くのが嫌だから心臓になりたいなどとゼイタクを言いません。なぜなら、皆それぞれが自身の「特性」を生かし、人体という「公共」のためにつくすからです。
公共のため。
その原動力は、まるで犠牲的とも言える「真心」です。
そういう真心がなければ、誰が「肛門」などに なろうとするでしょうか。
戦争をしたがる指導者には、これがありません。
先日テレビで、「国境なき医師団」としてウクライナに入国された医師がインタビューに答えておられるのを見ました。その映像を望診すると、顔面の「気色」が全面で浮いている。
気色が全面で浮く…というのは、健康であることの指標の一つです。そして、めったにいません。顔の画像や影像を公開しておられる方を見ていくと、僕が知る限りで数えるほどです。問題の指導者は、もちろん全面で沈んでいます。
われわれ一人一人は、地球という「大きな体」を構成する一つ一つの「小さな細胞」です。だとすると、地球という「全体」がすこやか (平和) でないことには、それを構成する一つ一つがすこやか (健康) にはならない…ということになります。
全体を良くしようという気持ち。
全体を大切にしようという気持ち。
自分勝手ではない。
至人者.淳徳全道.和於陰陽.調於四時.《素問・上古天眞論01》
【訳】至人 (到達した立派な人間) は、徳 にあつく人道を完徹する。陰陽 (敵対するもの) に和をあたえ、四時 (自然のおきて) に調をあわせる。
和と調。
平和と調和。
われわれの手の細胞・足の細胞。
そして、肛門となって働いてくれている細胞…。
健康な体における、健康な細胞の一つ一つ。それら細胞たちは、その「生きざま」で大切なことを教えてくれているのではないでしょうか。この地球における、人間の一人一人。それら人間たちは、細胞たちのような「生きざま」ができているのか?
道沖,而用之有弗盈也。淵呵! 似万物之宗。…吾不知其誰之子,象帝之先。
《老子・第四章》
神であろうが人であろうが敵であろうが、「道」のもとではみな等しく兄弟です。それは、獣であろうが魚であろうが植物であろうが虫であろうが同じことです。
兄弟を「大切に」扱わなければならない。
それを食べるのならばなおさらのこと。犠牲となって職分をまっとうする兄弟たちがいるのです。
「この世界」が平和であるために、われわれ一人一人が持っているべきもの。
それは、
「この体」をもすこやかにするための、必要条件であると信じて疑いません。