東洋医学を勉強してみたが、イメージがしにくい。そう感じる方は少なくないと思います。それは当然のことでもあります。
なぜなら、東洋医学で説かれる内容は、実用を中心に説かれているからです。ふつう、自然科学は実体あるものを物質的に説明します。われわれは、そういう思考方法は幼い頃から鍛えられていて得意なのですが、実用を思考するのは苦手です。
たとえば「砂糖」で考えます。甘さは実用です。白い粉は実体です。
白い粉は化学式でも説明できるし写真にも撮れます。しかし甘さは説明しにくいですね。炊きたての白米を「甘い」という人もいるし「甘くない」という人もいます。同じものを味わっているのに、違いが出る。ではその違いはどういう機序で生じるのか、理論的に説明するのは難しいですよね。
病気か健康かで語られることの多い「つらさ」もこれと同じです。
肉体は実体です。
東洋医学は、この実用と実体の2つ (陰陽) をバランス良く見ながら理論を展開します。ところが、そういう前提が古代中国では当たり前だったのでしょうか、これを前もって断らずに論じます。そのため余計に難しく、矛盾撞着があるかのように感じるのではないでしょうか。
「甘さ」で分かるように、「実用」は目に見えません。このようなものを織り交ぜながら図形化することは、そもそも無理があります。しかし、それをやらないと始まらない。古から先人たちは、この難問に挑んできたのではないでしょうか。
これから五臓についての立体的なイメージを図形で示そうと思いますが、「甘さ」を写真に取るような作業であることをご酌量のうえ、読み進めてください。
▶五臓とは “いのち”
五臓とは生命の根幹です。つまり、生命でもっとも深い場所にあるのです。生命はとらえどころがありません。それは、生命発祥の起源が分からないことからもうなずけることです。明確ではない。
五臓という概念は、「いのち」と同じく、ハッキリとした形のないものを指すことがある。それを前提としてください。
▶二精の合体
生命がどこから生まれてきたかというと、地球からです。また生命を究極までさかのぼると受精卵に行き着きます。地球が球形であるのと同様に、受精卵も球形です。そしてそれは、すき間のない実質的な形でもあります。これが五臓のイメージです。この辺は “実質臓器” という概念につながります。
受精卵が大きくなっていくのですね。
まず、機能的に言えば、点 (ドット) が生まれます。これが生命の基準となります。これを基準に前後左右上下のある立体形ができ、浅深が生じます。
この点 (ドット) は、物質的に言えば受精卵です。父親の精と母親の精、つまり二精が合体したものです。
▶母体と合体
二精のままでも陰陽ではありますが、このままでは生命は存続しません。着床し栄養を母体から得ることで初めて生命の存続が得られます。よって、着床した受精卵こそが、真の陰陽 (持続可能な陰陽) …つまり「太極球」です。
この太極球は、ただの球ではありません。中心があります。臍です。ここから栄養 (陰) を受け取って活動 (陽) に変えていきます。
この「陰陽」とは、先天の精 (受精卵) と後天の精 (母体から得られる栄養) です。先天・後天は陰陽です。
先天とは腎のことです。後天とは脾のことです。先天は土台であり最も “深い” のですね。後天はその球に重ね塗りして、雪だるま式に拡大します。
着床した部分が臍になりますね。
臍を中心に陰陽 (生命) が回り (活動し) 始めます。そして、その回転によって拡大していきます。この状態が五臓です。
五臓は、のちに形成される五体 (皮毛・肌肉・脈・筋・骨) の原型でもあります。それも同時に見ていきます。
皮毛… 肺
肌肉… 脾
脈 … 心
筋 … 肝
骨 … 腎
▶中心軸と回転
最初の点 (受精卵) はドットです。これが回転の中心軸にもなります。着床によって点が球に拡大していきます。
ドットとは、直径ゼロではないが直径の長さを示せません。中心にも全体にもなり得る、定義できないもの、有と無の間にあります。この辺は「球形の浅深」という概念そのものが混沌としている部分です。中心でもあり、全体でもあり、土台でもある。
このドットは、もともとは腎 (先天の精) です。ドットには拡大・縮小という概念がありません。ですからドットして捉えるならば、大きさに関係なく、球そのものが腎です。また、腎は拡大前の一点 (中心点) として捉えることもできます。
拡大し、回転すると中心が生まれます。これが心です。
すなわち少陰 (枢) …腎と心です。
着床して後天の気である脾が加わったことによる回転で、回転しつつ拡大していきます。よって、回転と拡大そのものが脾であるということも言えます。
腎 (骨) は球形の土台なのでコアでもあり下 (下焦) でもあります。骨はすべての基幹となります。縁の下の力持ちです。
心 (脈) は中心なので真ん中で浅くも深くもない。求心力は腎ですが、求心力は本来はブラックホールのように図に示すことが (視覚化することが) できません。中心軸のなかに異次元空間として存在します。しかし、それでは図形にならないので、無理に求心力も図示しています。このように考えると心腎一体 (少陰) …中心軸と求心力は一体…という理が分かりますね。心 (脈) の力はすべての組織に行き渡り養います。社長さんみたいですね。よって地位は上 (上焦) です。
▶遠心力… 肌肉と皮毛
回ると遠心力が生じます。これが太陰 (開) です。
遠心力とは、さきほど言った「回転と拡大」のことで、球体が大きくなる、これが脾 (肌肉) です。そして生命の最も外 (皮毛) を支配する肺もこれに相当します。
肌肉とは皮毛の下にあり、目で伺える「肉付き」のことです。あの人は痩せてるとか太っているとかムキムキだとかは、すべて肌肉のことを言っています。日本では肌肉のことを皮下脂肪と解釈することが多いですが、現代中国語では「肌肉」とは筋肉のことを言います。中国語を知れば、肌肉が何を指すかは自ずと明らかです。肌肉と筋の違い をご参考に。
痩せて骨と皮だけになり、肌肉 (肉付き) がなくなると命が保てません。
皮毛とは皮膚の防御作用です。肺は五臓のうちでも浅い部分 (外・上) です。肺は上にあり、皮膚は外ににありますね。地球のような球形では、上と外とは一致します。外気と通じ、その気と生命とを橋渡しします。必要な気 (酸素など) を取り込み、有害な気 (外邪) を排除します。
▶求心力… 筋と骨
それに見合った求心力も生じます。これが厥陰 (闔) です。深い部分であり、深く深く引き込む力です。この場合は肝の蔵血作用、また肝の筋をイメージします。蔵血と疏泄は一体です。
筋とは外からは伺えない、筋肉に秘められた力のことです。筋肉は非常に荒々しい性を秘め、普段はそれを露出させません。そういう深い場所にあります。一朝ことあらば、その力を開放させて爆発します。火事場の馬鹿力です。
筋は引っ張る力 (求心力) で骨をギュッと束ねてまとめ上げ、正確な動作を可能にします。筋と骨は一体なのですね。
骨とは一番深いところにあるものですが、それを深くに向かう力でまとめるのが筋です。
宗筋主束骨而利機關也.…皆屬於帶脉.
<素問・痿論 44>
重りを糸でつないで横軸回転でグルグル回すと分かるのですが、強く引っ張るときと、引っ張るのを緩めるときがあります。引っ張っている時が肝の蔵血です。緩めているときは肝の疏泄であり、また肺の宣発・粛降が働きます。
遠心力と求心力が協調して回転が生じます。横軸の回転ですので上に昇る回転 (肝の昇発) と下に降る回転 (肺の粛降) があります。回転や求心力遠心力の本体はあくまでも (脾の力を借りた) 腎です。
臍を中心とした横軸回転 (右回り) はよく用いられます。臨床でもよく使われる神闕・滑肉門・天枢・大巨などは、ここを動かしていると考えられます。 意味が明確になるようですね。
〇
ここで五臓が完成します。
求心力に支えられた遠心力によって、五臓は陰陽幅をどんどん増やし、大きくなっていきます。これが最も土台、深い部分、基礎になります。
その基礎の上に「ふくろ」が乗っかります。「ふくろ」とは?
(つづく)
求心力は、出口がないブラックホールのようなものです。臨床では体に問題があるのに自覚症状が出ないことがよくあります。大病はそれが多いですね。ぼくは「押入れに疲れが入っている」と患者さんに説明します。この出口をつけること、それが治療で本当に大切なことなのです。だからこそ、こういう勉強が必要なのですね。