間違ってる。そうじゃないよ。
相手からそう言われた。
本当だね。
そう言えない。
自分には正当性がある。あなたの言ってることは筋違いだ。
そう、もちろん相手が間違っていることもある。
宝石店に行ったのになんで盗まないんだ。お前、間違ってるよ。…って言われたら?
盗みは悪いことだ、だからやらない、そう言えばいい。
しかし、間違っているか正しいかは別にして、信じていいことがある。
盗みがやっていいことだ…というのは信じてはいけない。
なぜなら、信じたら損になる。警察に捕まるじゃないか。
では、信じていいこととは?
信じて損にならないものを、信じる。
たとえば感謝。
感謝は健康に良いよ…って言われたら?
本当だね。一度やってみるよ。そう言えばいい。
毎朝、毎夜、食事のたびに手を合わせる。家族に「ありがとう」って言ってみる。
根拠など無くとも、ウソでも構わない。
そう信じる。行う。
信じて損があるだろうか?
外れていたとしても損がない。
別に何かが減るわけでもない。
だから信じていい。
だから信じる。
それが素直さだ。
たとえば百万円の壺。
これを買えば健康になれると聞いた。
だからそれを購入する。これも素直さだが…。
損がある。お金が減ってしまう。
外れていたとしたら損がある。
これは信じちゃダメだ。
感謝するといいよ。そう言われた時、
ああ、本当だね。…そうは言わない。
感謝? 感謝ならやってるよ。…これが素直じゃない。
「本当の感謝」など、この世の誰にもできないのだから。
感謝? いそがしくてヒマがないんだ。…これも素直じゃない。
「言い訳」とは、話の本筋をはぐらかし自分を正当化することである。
「感謝」のところには、それ以外にも、人それぞれでいろんな〇〇が当てはまる。
それを探し出す。
そして信じ抜く。
良い人生を送るコツである。
健康で生き抜くコツである。
〇
春になれば芽が吹き花が咲き、
夏になれば陽光が射照り輝き、
秋になればたわわに結んだ実りが得られる。
たとえ凍てつく冬が続いていようとも。
生長収蔵という永遠無窮の命のいとなみ。
逆らってはならない。
こばんではならない。
秋の実りを、今得ようとしてはならない。
力づくで、奪おうとしてはならない。
まっすぐに太陽に向かって伸びる植物。
素直に季節に従い、姿を変える植物。
そこには、良い変化が必ずある。
そうだ、自然は、素直である。
そのなりゆきは肯定的である。
春の芽吹き。
夏の陽光。
秋の結実。
そのように、おのずと導かれる。
それが「自然」というものの特徴である。
そこに、私意はない。
信じていいことを、自分を守るために否定してはならない。
信じていいことを、自分を立て通すために退けてはならない。
私意を捨て去る。我 (が) を折る。
良いことが起こる。
花咲き、実る。
〇
信じていいものを信じる。
真上に輝く太陽にむかって樹木が伸びる。
太陽が指し示す方向に。
それを信じて。
真っ直ぐ、上に。
信じてはいけないものを信じる。
真上に伸びずに、横方向に枝が伸びる。これが邪 (よこしま) だ。
変な方向に元気になる。
変な所が元気だ。
変な所にこだわる。自分を押し通そうとする。
気がついたら変な方向にいってしまっている。
邪 (よこしま) に伸びた枝は、切り取ればいい。
これはいけないことだと、信じ切る。
そうすれば、上に上に伸び始める。
変なこだわりを捨て去って、
真っ白にする。
そして、
これから信じるべきことを、素直に信じる。
赤ちゃんが、
何もかもを吸収していくように。
信じることによって心は作られていく。
良いことを信じ、良い心を育てる。
良い食材を取り入れ、消化吸収すれば体が丈夫になるように、
良いことを取り入れ、消化吸収すれば心が丈夫になる。
「脾」が丈夫になるのだ。
スーッと真っ直ぐ行く。
心も体も気血の流れも。
「肝」が正しく疏泄するのだ。
肝脾は健康の土台。
素直さは、健康になるために不可欠。
たとえ、行路は険しく、暗く、波高くとも。
それは、いつでもできる。
大人になろうとも、年を取ろうとも、床に臥せっていようとも。
できる。
信じる。
損などありはしない。