どの患者さんを見ても、腸胃に熱がある。これはどうも全国的のようだ。…とは、偶感 (2022.11.25) に書いた。
東は川崎・浜松、西は明石の患者さんを定期的に診ているが、全員同じ反応が見られるのである。一本鍼で治療しても、右上巨虚 (腸胃の熱を取るツボ) に反応が残り、二本目の鍼を使ってこれを瀉法しないと平脈にならないのだ。
できたら一本の方がいい。効果がシャープだからである。しかし仕方なく、ここのところは “二本鍼” になっている。
その後12月6日に、初診の患者さんが「食欲がなくて食事が摂れない」と来院されてから、12月17日までに同じ主訴の初診が立て続けに3人も続いた。こういうことは経験がない。当院で継続治療する患者さんでは見られなかったが、流行っているのだろうか?
そしてあらためて、ほとんどの患者さんで上巨虚を瀉法し続けていることが、非常に重要なことであったという認識を深めた。
そんな中、このところ僕自身が実践していることがある。食事の最初の一口目を、おかずは添えずに白米だけをいただくのである。舌に全神経を集中し、目を閉じて、しゃべったりせず、ほのかな甘味を探して味わう。舌の上に米粒を並べて舌先・側面・奥とそれぞれの味覚や香りを感じ取ることに集中し、味わいきれなかったら、二口目、三口目もそうする。白米の美味しさを味わう心地よさを知り、最近は白米だけで半分くらい食べてしまっている(笑)。
そうすることで、味覚が鋭敏になる。すると、後で食べるおかずもまた、あまりに美味しくて、今度は自然に目を閉じてしまうのである。
この状態は、ほとんど「感謝」に近い。ありふれた日常 (白米) のなかに、溢れんばかりの恵み (甘み) が隠されている。それを意識して見つけ出す。感謝は難しいが、これなら僕にも簡単にできる。食事を終える最後の一口も、そうするといい。もう一度甘み (恵み) を探すことによって、清らかな落ち着いた気持ちで食事を終えることができる。腹八分目が心地よい。これを濁したくないと思えてくる。満足感とは胃袋に入った量ではなく、どれだけ味わいきったかの度数と関わるのだろうか。
人間は感謝されると元気になる。
体だって人間だ。だから感謝は体を元気にする。体にいいのである。
体には器 (うつわ) があって、口から入れた食べ物は、この器に入る。食べ過ぎると器に収まりきらず、あふれて滞るから腸胃に熱がこもるのである。ただし、食べすぎていなくてもあふれることがあり、これは器が小さくなったときである。
器が大きくなれば溢れることはないのである。感謝は、この器を大きくするのだ。具体的に器とは、肝臓の許容量 (キャパ) である。食べた栄養は全て肝臓で「人体」に変えられる。体調不良は肝臓が忙しすぎて「出来損ないの人体」を作ってしまうからである。肝臓とは、子宮と並べて考えてよい「命を生み出す臓器」である。
そして、感謝されると肝臓が喜ぶのである。
「目を閉じて白米だけ」という話を、必要と思われる患者さんだけに話をしていた。すると変なことが起こった。お決まりのように反応していた上巨虚が、消えたのである。ん?なぜ? と思った瞬間、あ! この話のせいか ! ? と直感した。
その後は簡単だ。
【診断の手順】
>> 臍に邪熱の反応がある。後渓に実の反応がある。これで熱証と診断する 。そのうえ上巨虚に実の反応がある。これで熱の中心は腸胃だと診断する (背部兪穴なら右脾兪胃兪に邪熱の反応) 。
ここで「あの話」をする。その瞬間に上巨虚の反応が消える。
然るべき穴処に最初の一本をうつ。そのあと、上巨虚の反応は、もう残らない。全ての患者さんに「あの話」をする。すると、全ての患者さんで同じ反応が診られた。「あの話」で、腸胃の熱が取れたのである。患者さんが「そうか、それならやってみよう」という決心 (腎志) が、体を変える。
“一本鍼” にもどった。