ここに夫婦がある。
病んだ妻がいる。夫が看病する。
妻はそれを喜ぶ。本当は他にやりたいことがあるはずなのに、夫が身を犠牲にして寄り添ってくれることがありがたい。そして妻は感謝する。
感謝する妻を見て、夫も幸せになる。
「ありがとう。」「いいよいいよ。」
幸せが生まれる。
もし妻が、
「気を使う」と言ってそれを断ったらどうだろう。
「こんなの当たり前だ」と喜ばなかったらどうだろう。
「ギブアンドテイクだ」と冷淡であればどうだろう。
幸せは生まれない。
病んだときは夫に甘えればいい。夫は命を与えてくれる。
この広い世界で、一緒になった中なのだから。
働くとは命を与えることだ。夫は妻のために犠牲となって命を与える。妻は感謝し、またいずれ夫のために犠牲となって命を与える。そして夫は感謝する。
ここに陰 (看病されるもの) と陽 (看病するもの) の交流が生まれる。
幸せが生まれる。
健康は「犠牲」の上に成り立つ。土 (脾) が身代わりに をご参考に。
〇
ここに魚料理がある。
空腹を抱えた人がいる。魚は、自らの肉を与えても良いと思っている。
人はそれを喜ぶ。本当は自由に海を泳ぎたいはずなのに、身を犠牲にして食物になってくれることがありがたい。そして感謝する。
感謝する人を見て、魚も幸せになる。
「おいしいなあ、ありがたいなあ、ごちそうさま。」
幸せが生まれる。
もし人が、
「おいしくない」とそれを拒んだらどうだろう。
「こんなの当たり前だ」と喜ばなかったらどうだろう。
「栄養さえ取れればいい」と冷淡であればどうだろう。
幸せは生まれない。
腹が減ったときは魚に甘えればいい。魚は命を与えてくれる。
この大自然で、一緒になった中なのだから。
大自然 (世間) は人のために犠牲となって命を与える。人は感謝し、またいずれ大自然 (世間) のために犠牲となって働く、命を与える。そして大自然 (世間) から大きなギフトが与えられる。お金はその中の一つにすぎない。
ここに陰 (命を与えられるもの) と陽 (命を与えるもの) の交流が生まれる。
幸せが生まれる。
〇
他の好意による犠牲を拒んだり、自らが犠牲になることを拒んだりしてはならない。
そうだ、幸せとは…。犠牲の上に成り立つ。感謝の上に成り立つ。
犠牲と感謝…という陰陽。
陰陽とは夫婦のようなものである。真逆の概念でありながら、お互いがお互いを助け合い、生かし合い、諌め合い、高め合う関係である。
一人では幸せになれない。相手が必要だ。その相手は人だったり魚だったりする。
陰陽はそれをハッキリと教えてくれる。
犠牲になればなるほど感謝される。
感謝をすればするほど助けられる。
大いに感謝し、大いに犠牲になろう。
他に身を犠牲に供し、今すぐにギフトが得られるとは限らない。だから、そんなことはつまらないことだと考えてしまうのである。世の中は、大自然は、複雑に絡み合い渾然一体としてつながっている。タイムラグがあったとしても、いずれ返ってくるのである。
陰陽は、交流するからである。
その交流は、大きければ大きいほどよい。大きな犠牲。大きな感謝。
そして、より大きな幸せが生まれる。
そうだ、幸せを得よう。
健康 (まったけき陰陽の交流) は、その中の一つに過ぎない。