自由と束縛。
これは陰陽である。陰陽とは「夫婦」のようなもので、全く真逆の概念でありながら互いが互いを助け合い、高め合って「一つの家庭」を形成するものである。どちらかが欠けては成り立たないし、どちらかが力を持ちすぎると、それは崩壊する。
自由と束縛は、互いが互いを助け合い高め合って「秩序」を形成する。
秩序は、大は世界の平和に、小は個人の健康につながる。すなわち「健全な組織」のもとになる。体にも社会にも、秩序があるのは当然のことである。
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自由と束縛。
分かりやすい例えが、敷居と鴨居だ。
障子は上下から敷居と鴨居に挟まれている。上下から挟む力が強すぎる(束縛)と、障子はつっかえて固く動かない。上下から挟む力が弱すぎる (自由) と、障子は倒れてしまう。
開け放てば涼しい風が通り、閉め切れば温かい空間をつくる。そんな便利な障子だが、自由と束縛のバランスが悪いと、部屋に入れなくする障壁になったり、倒れた障子が邪魔で歩きにくい障害物になる。役に立たないばかりか、邪魔なだけである。
もう一つの例えが、親鳥と卵の関係だ。
親鳥は上に覆いかぶさって卵を抱く。その力が強すぎる (束縛) と、重みで卵はつぶれてしまう。その力が弱すぎる (自由) と、卵は冷えてヒナが生まれることはない。どちらにしても、命をこわしてしまう。
戦時中は束縛に偏った社会だった。戦後は欧米の自由主義が重視されることになる。
今の社会をジッとよく見ると、依然として衆人環視のいらざる「束縛」があちこちに見られる。また他人の迷惑をかえりみないやりたい放題の「自由」も散見する。
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自由と束縛。
これは陰陽である。夫婦と同じく、どちらが欠けてもダメだし、どちらかが力を持ちすぎても「秩序」が崩壊する。組織の「健全さ」が失われ、病的となる。
では、どうすればバランスの取れた「中庸」が得られるのだろうか?
他人には絶対に迷惑をかけたくないという気持ち (束縛) を持ちつつ、そのなかで最大限に、自分の心にきざした欲求のままにやりたいことをやる (自由) のである。
束縛… 特に大切なのは約束だ。かわした約束を守り合うのは、大は国家の戦争を防ぎ、小は夫婦喧嘩を防ぐ。どちらも相手を傷つけ、命や健康を害する決定打となる。約束を破ったら、交わした相手に迷惑をかけることになる、だからよくない。結婚は人生最大の約束である。そして最終的には「自分との約束」が守れるようになりたい。小さな約束を軽く見る人は、大きな約束も軽く見ることになる。
自由… 夜ふかしもやってみなければ、それがどんなものか分かるものではない。食べすぎ・間食もやってみてはじめてその快さと不快さが分かるものである。これは他人に迷惑をかけるものではない。だから、やりたいようにやればいい。体に良くないということを知った上で、 “ほんとうだ” と気づくまでは、思うように自由にやってみることだ。経験に無駄はない。
気をつけたいのは、「絶対に他に迷惑をかけない」ということは不可能ということだ。われわれは食べなければ生きていけないが、そのために他の生きた命をうばって食材にしている。夫婦にしても互いに助け合うということは、互いに迷惑をかけ合っているということである。だから、大きな迷惑にならない範囲において、頼みがあれば自由に頼めばよく、断りたいなら自由に断ればいい。それがお互いのためになる。そこには感謝がうまれ幸せがうまれる。
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自由と束縛。
お互いがお互いを助け合う。そして高められてゆく。それが陰陽である。
バランスが大切なのだ。
道の真ん中 (中庸) を歩むためには、右に行き過ぎて側道の溝で足を引っ掛けたり、左に行き過ぎて壁にぶつかったりして、はじめて「真ん中はここか」と分かるものである。つまり道にはそもそも両サイドに障壁という「束縛 (陰) 」があり、まっすぐに進むという「自由 (陽) 」があるのだ。
そのときベストだと思えることを、失敗を恐れず、むしろ失敗してやろう、失敗して学んでやろう…という気持ちで、真剣に実践し続けることによって、いつの間にか歩いている道が中庸だろうか。
道法自然.《老子》
【訳】人の歩むべき道は、いくらでも前に進める自由さがある。その自由さは、自然のオキテを守る (道の真ん中を歩む) という束縛のなかでこそ得られる。
五行の相生相剋は、まずこれを踏まえて考察すべきである。「生」み続ける五行の循環とは、道を前に進み続けることである。それを「剋」する制御とは、道の真ん中を進み続けるためにある。
自由にやれば必ず束縛に出会う。束縛から学べば必ず真の自由が開ける。
健康であれば必ず病気に出会う。病気から学べば必ず真の健康が開ける。
平和であれば必ず揉事に出会う。揉事から学べば必ず真の平和が開ける。
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自由と束縛。
どちらかが欠けても、どちらかが力を持ちすぎても「秩序」が崩壊する。
秩序は、体にも世の中にも、なくてはならないものである。
平和な体 (健康) を手に入れるためになすべきこと。
その方法は、平和な世の中を実現する方法と一致する。
なぜなら大小の違いこそあれ、「体」と「世の中」はどちらも「組織」だからである。
それが「天人合一思想」をもつ東洋医学の考え方である。
自由と束縛の中でこそ、組織は正常に機能する。