傷寒論私見…復煩〔57〕

57 傷寒、発汗解、半日許復煩、脈浮数者、可更発汗、宜桂枝湯、主之、

▶二陽併病で劇症

二陽併病です。だから桂枝湯なのです。経過の短いパターンです。劇症です。これも難解ですね。単純に考えてみましょう。

傷寒を発汗したら解した。

半日したらと書いているのに、傷寒になってから何日とは書いていません。傷寒にやられてすぐに治療していると見るのが自然です。これを麻黄湯で発汗させています。

発汗して気分が良くなった。

桂枝湯で発汗させているなら「解」とはならないでしょう。

しかし半日したら再び症状が出てきて、煩悶し出した。

実は治っていなかったのです。こういう場合は何を疑うべきかというと、陽明に転属した可能性です。原因は表寒が非常に激しく、裏虚があったからです。だから発表が徹底しなかった。

では、発汗は何だったのか。そういえば、陽明にも自汗があります。よく似た条文がありましたね。48条です。

48「二陽併病、太陽初得病時、発其汗、汗先出不徹、因転属陽明、続自微汗出、不悪寒、若太陽証不罷者、不可下、下之為逆、如此 (桂枝湯) 小発汗、」

48条では、桂枝湯で発汗したが不徹底で、そのまま陽明の自汗となり、微似汗ではなかった…というものでした。

本条では、麻黄湯で発汗させた汗と、陽明に転属して生じた自汗が混ざっていた可能性があります。その自汗を微似汗と見誤り、いったん気分もよくなったので「解」としたのでしょう。しかし、浮脈である。これはまだ表証が残っているということです。発汗させて、しかしそれで治癒とならず、半日後に発汗前とは違う病態を呈した。これは二陽併病です。

アウトラインをイメージしたうえで、細かく見ていきましょう。

▶煩は劇症

まず、「煩」からです。この症状が出てくるのは、

  • 24「太陽病、初服桂枝湯、反不解者、先刺風池風府 、却与桂枝湯則愈、」
  • 26「服桂枝湯、大汗出後、大渇不解、脈洪大者、白虎加人参湯主之、」
  • 38「太陽中風、脈浮緊、発熱、悪寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、大青龍湯主之、」
  • 46「太陽病、脈浮緊、無汗、発熱、身疼痛、八九日不解、表証仍在、此当発其汗、服薬已、微除、其人発、目瞑、劇者必衄、衄乃解、麻黄湯主之、」

の4つです。

  • 24条は風邪の勢いが強すぎて、補法ができません。
  • 26条の白虎加人参湯は、裏熱で陽明病です。
  • 38条の大青龍湯は、表寒裏熱で、表裏同治です。
  • 46条は、表寒裏熱ですが、表寒が本で裏熱が標です。


いずれも激しい証ですね。本条も劇症であることが分かります。

▶もともと煩はなかった

次に、本条で「復煩」とあるのに注目して考えます。その前に、「傷寒、発汗解」という文調・リズムから、発症からの経過は短いと考えます。それを前提に話を進めます。

この「煩」は、発汗する前からあったのか、発汗した後から出てきたのか、です。経過を短いとするならば、この煩は後から出てきたもので、「半日許復煩」は、半日ばかりしたら再び症状が出て、その症状は (太陽証ではなく陽明証の) 煩だった…と訳せます。

「復」ではなく「反」 (かえって) という表現を使ってくれていれば分かりやすいのですが、この辺は難しいところです。

もし、発汗前から煩があったとしたら、発汗前から二陽併病の可能性が出てきます。その場合は1週間から10日くらいの経過の長さがあって、二陽併病を起こしていると考えられます。しかしその明記はなく、かつ本条の文のリズムから、これは発汗後に二陽併病になったものと考えます。

傷寒なので麻黄湯を出す。すると、いったん気分が良くなったが、半日ほどすると煩悶し出した。おまけに数脈です。相当しんどいはずです。

▶さあ、どうする…

さて、こんな時はどうすべきなのか。

治療する側としては、自信が持てなくなるパターンです。しかし、なぜぶり返したのかという機序が分かっていれば、確信をもった治療ができます。ここの違いは非常に大きい。だから勉強するのです。

普通に考えると、煩が出たということは もともと陽明病だったのか? と思わせます。しかし浮脈です。しかも数、熱がひどい、しんどそう。発汗してダメなら、下してみようか。しかし「逆」になるのも恐い…。

ここで、仲景先生は桂枝湯に行けばよいというのです。

▶2度目の発汗に桂枝湯

48条に「二陽併病、太陽初得病時、発其汗、汗先出不徹、因転属陽明、続自微汗出、不悪寒、若太陽証不罷者、不可下、下之為逆、如此可小発汗、」
とありますが、2回も発汗させていましたね。

48条「太陽病」→「発其汗」→二陽併病→「小発汗」
本条 「傷寒」→ 「発汗解」→二陽併病→「桂枝湯」

48条の「太陽初得病」の太陽病とは、傷寒の場合もあるでしょうが、中風の場合もあるはずです。12条に「微似汗が得られるまで何度でも桂枝湯を服用させよ」とあり、発汗が不徹底になるケースが考えられるからです。

二陽併病は2回の発汗が必要な場合があるのです。

56条「傷寒、不大便六七日、頭痛、有熱者、与承気湯、其小便清者、知不在裏、仍在表也、当須発汗、若頭痛者必衄、宜桂枝湯、」は1回の発汗ですが、これは経過が非常に長いために二陽併病になっています。48条は汗出不徹によって二陽併病になっています。だから同じ二陽併病でも発汗の回数が違います。

最初の発汗と、2回目の発汗は意味が違います。

最初の発汗は純粋に表証の治療です。桂枝湯の場合もあるでしょうし、麻黄湯を使うこともあるでしょう。2度目の発汗は桂枝湯です。これは二陽併病の特徴に挙げてよいものです。

二陽併病として治療するならば、56条で勉強したように、まず大便は出ているのか、小便の色はどうなのか、これを問診して、承気湯に行くのか、桂枝湯に行くのかを決定しなくてはなりません。しかし、経過が短いのなら大便を問診しても役に立ちません。

▶桂枝湯で肝気をも動かす

56条でも触れたように、どうもこの桂枝湯は表裏同治を意識したものです。56条では、桂枝加芍薬湯という太陰病の薬を引き合いに出して展開しました。この内容を、もう少し進めます。

そもそも、1回の発汗でスンナリ治らないというのは、正気の弱りがあるから、もしくは邪気が強すぎるからです。劇症になるはずです。そんな状態でなぜ、強い寒邪を表で持ちこたえることができていたのでしょうか。

ここにおいて、肝気を意識せぬわけにはいきません。そして脾虚です。脾虚という正気の弱りを肝気でカバーし続ける。一度目の発汗で解したかのように見えたのは、この「いきり立った肝気」…すなわち「誤った肝気」によって症状が消えたかのように、ごまかされていただけなのです。

肝 (陽) と脾 (陰) は、お互いがお互いを助け合う陰陽の姿ではありますが、一方的に助けてばかりが長引くと瓦解します。そういう素体の問題に、2度目の桂枝湯で切り込むのです。

麻黄湯証に麻黄湯を与えた。発汗したのに治らない。これは正気に弱りがあったからです。その正気を桂枝湯でバックアップしたら治る。簡単に言うとそういう話なのですが、ではなぜ正しく治療したのに正気の弱りを残してしまったのか。きっとそれには理由がある、傷寒にやられる前段階での素体の問題があると言いたいのです。

桂枝湯証・麻黄湯証といいながら、正しく治療してもスンナリいかないケースがある。仲景先生は、二陽併病の解説の中で、それが言いたいのかもしれません。

桂枝湯は芍薬を増やすと太陰病の薬 (桂枝加芍薬湯) になります。ここに膠飴を加えると、小建中湯になります。いずれも、脾虚肝実の証に対して有効です。とうぜん、桂枝加芍薬湯を包含する桂枝湯が、脾虚を補い肝気を下げる働きをもつことは疑いようがありません。

桂枝で温通経脈し、芍薬で柔肝し、姜甘棗で脾を補います。

桂枝は、教科書的には温通経脈と言われますが、温通経絡が正しいと思います。桂皮 (肉桂) にも温通経脈の働きがありますが、桂枝は浅い部分を温め、桂皮は深い部分を温めます。経脈から絡脈、孫絡 (浮絡) と枝分かれするさまは、まるで木の枝そっくりです。桂枝は経脈から浮絡を中心として浅く細い孫絡を温めます。桂皮は幹から取るので深く太い経脈・臓腑を温めるのです。ちなみに脈は肌肉の下、筋膜の上にあって、衛気が外から温煦することにより、推動を得ます。肉桂という別称は肌肉から取ったのかもしれませんね。

桂枝加芍薬湯を内蔵した桂枝湯で治療する。

内傷としての裏は桂枝加芍薬湯で脾を補い肝気を下げる。外感としての裏と表は桂枝湯で治療する。芸術的に美しく見えるのですが…。

文脈としては、1条から本条までで、一区切りです。ここまで、太陽病の定義、中風の定義、傷寒の定義、桂枝湯を基本とする法則、太陽陽明合病、太陽陽明併病、それらが、衄に至る難証・劇証の臨床例とその解決方法…そのようにつながっています。

傷寒論私見…承気湯 or 桂枝湯〔55・56〕

55 傷寒、脈浮緊、不発汗、因致衄者、麻黄湯主之、

▶鼻血が出て治るものは麻黄湯証

傷寒で、汗が出ずに、衄が出て治るもの、これは麻黄湯証だ、という法則を歌っています。

この法則を踏まえたうえで、次の56条をよく読んで考えなさい、という意図があります。56・57条は実戦的な記述です。

46条で濃密な臨床例を述べ、そこに潜む定義を後から4748、そして本条で述べているという構図があると思うのですが、この条文はそれを確信させます。臨床的にも理論的にも、それだけ複雑なところなのです。

もう一度、46条をイメージしながら、どういう法則が潜んでいたか思い出し、下の56条、次回の57条に進みたいと思います。、

46「太陽病、脈浮緊、無汗、発熱、身疼痛、八九日不解、表証仍在、此当発其汗、≫桂枝湯を使用服薬已、微除、≫除かれたが少し太陽病が残っている。其人発煩、目瞑、≫陽明病を併発して二陽併病になった。劇者必衄、衄乃解、≫激しいものは鼻血が出て治る。麻黄湯主之、」

56 傷寒、不大便六七日、頭痛、有熱者、与承気湯、其小便清者、知不在裏、仍在表也、当須発汗、若頭痛者必衄、宜桂枝湯、

▶劇症の選択肢…承気湯か桂枝湯か

陽明病でとるのか、48条の二陽併病でとるのか、その境界線を示す条文です。

傷寒になって便通がなくて、何日目かに陽明に影響が出始め、7日目にして治療、という設定です。それで表が主要矛盾でなければ承気湯、表が主要矛盾であれば桂枝湯 (二陽併病の薬) にいくのです。

衄に至っていますね。衄して治癒するのは劇症です。

劇症のインフルエンザをイメージしてください。二陽併病が合病に比べて穏やかな証という成書の考え方に、真っ向から対峙する解釈です。

▶経過が長いものも二陽併病…原因は”正気のくたびれ”

本条は、傷寒から始まり、不大便という日を追うごとに明らかになる陽明証が続いて出てきています。明らかな二陽併病です。

48条では、

48「二陽併病、太陽初得病時、発其汗、汗先出不徹、因転属陽明、続自微汗出、不悪寒、若太陽証不罷者、不可下、下之為逆、如此小発汗、」

とあるように、二陽併病は、最初の発汗が不徹底だったことが原因で起こる、と説明されていますが、本条を見ると、発汗不徹底という経過がなくとも、長い経過のもとでも起こることがある、ということが分かります。

ここが、本ブログで「二陽併病の原因は正気のくたびれである」と定義する理由です。

▶条文の解析

条文には省略があります。紫で補います。

 傷寒、不大便六七日、 
  頭痛、有熱 其小便濁者                  与承気湯、
  頭痛、有表寒、其小便清者、知不在裏、仍在表也、 (中略) 、宜桂枝湯、

傷寒 、つまり3「太陽病、或已発熱、或未発熱、必悪寒、体痛、嘔逆、脈陰陽倶緊者、名曰傷寒、」があって、不大便とともに、それが一週間続いている場合の対処法です。

  浮緊・悪寒・発熱・体痛・横逆 +不大便・頭痛・小便濁 →承気湯 
  浮緊・悪寒・発熱・体痛・横逆 +不大便・頭痛・小便清 →桂枝湯 

傷寒の定義は「或已発熱、或未発熱、」ですが、本条の場合は罹患してから一週間近く経過しており、発熱は必須です。そんな断りを入れなくても、本条文で既に「有熱」とありますが、この「熱」は発熱ではなく、裏熱として解釈します。その方が文脈が通るからです。

本条での「傷寒」は、体痛がありません。もし体痛があるならば、②は桂枝湯ではなく、37条に従い、46条と同様に麻黄湯が有効となるはずです。桂枝湯証に頭痛はありますが体痛はありません。のちに説明します。

臨床上、高熱が出てから不大便ということはよくある話です。便が出なければ解熱しません。その間、小便の色はというと、透明色なのか、黄色さが混じっているか、この2つのパターン、これも見受けられるところです。上に「小便濁」と書きましたが、透明ではなくある程度の黄色さがある、という意味で捉えてください。

▶2つの疑問点

大きな疑問点が2つあります。

▶選択を間違えると「逆」

1つ目。
①は二陽併病もどき、②は二陽併病です。
①は承気湯類で、②は桂枝湯で治療します。

①で承気湯を使うというのは大変なことです。48条に、

48「二陽併病、太陽初得病時、発其汗、汗先出不徹、因転属陽明、続自微汗出、不悪寒、若太陽証不罷者、不可下、下之為逆、如此小発汗、」

とありました。本条で、承気湯に行くか桂枝湯に行くかの鑑別を、一つ間違うと「逆」になります。明確な鑑別点が必要ですが、何を基準にしたらいいのでしょうか。

▶「致衄」なのに桂枝湯?

2つ目。
48条で、「如此小発汗」とは桂枝湯のことだといいました。本条と符合します。ここは納得です。

48「二陽併病、太陽初得病時、発其汗、汗先出不徹、因転属陽明、続自微汗出、不悪寒、若太陽証不罷者、不可下、下之為逆、如此小発汗、」

ところが55条の法則とは対立します。

55「傷寒、脈浮緊、不発汗、因致衄者、麻黄湯主之、」

本条では、衄に至るにもかかわらず、桂枝湯がベストチョイスとのことです。なぜ麻黄湯ではないのでしょうか。

これらの矛盾が最大の問題であり、最大の切り込み口になります。①と②を分析しながら解いていきます。

▶①の説明 (承気湯)

さて、①からです。

麻黄湯証があるのに、承気湯で下しなさい、とはどういうことでしょう。まず、先表後裏が法則のはずです。それから44条の大原則により、太陽病は陽明証があろうと、絶対に下してはいけないはずです。

44「太陽病、外証未解者、不可下也、下之為逆、欲解外者、宜桂枝湯、主之、」

それらを踏まえたうえで、本条では実戦で必要な例外を言っています。例外は、基本がシッカリしていないと応用できないものです。常と変の使い分けが求められる難しい証です。

下していい原因は、標本が逆転しているからだと考えます。大便が出れば…つまり陽明証が取れれば、それにつられて太陽証も取れる。気湯にいくか桂枝湯にいくかのポイントは、小便の色です。

不大便が続いていて、小便が透明ではない、ある程度の黄色さがあるということは、表証が中心ではなく、裏熱が中心であると考えられます。

表寒が中心だと、八綱では寒証となり小便は清長です。裏熱が中心だと、八綱では熱証となり、小便は短赤です。

裏熱という邪気は、正気を阻遏します。正気とは、ここでは営陰です。営陰が弱ると元気な衛気が生まれません。それでは、風寒を排除することができません。裏熱が中心ということは、表寒が衛気・営陰を阻遏するよりも、内熱が衛気・営陰を阻遏する方が、割合として大きいということです。

日数も関係します。これだけ日数が経過しているのに表証が解さないということは、太陽陽明併病に陥り、もともとはきつくなかった内熱が、表寒が居座る経過とともに、徐々に、徐々に強くなってきたからです。

▶②の説明 (桂枝湯)

②です。

小便の色が「清」つまり透明です。これは表寒が中心であることを示します。よって、桂枝湯適応の二陽併病だと言えます。

太陽証 (傷寒+頭痛) と、陽明証 (不大便) があります。発熱は太陽・陽明どちらにもみられます。こういう症状が、発病から一週間近くたって起こっています。発汗が徹底しない…という正気をくたびれさせる履歴はないものの、長い経過による正気のくたびれがあるので、二陽併病になったのです。

よって二陽併病の主薬である桂枝湯で治療します。桂枝湯によって太陽証 (傷寒・頭痛・発熱) と陽明証 (不大便・発熱) が取れます。

不大便は熱が非常に深いことを意味します。陽明経証 (白虎湯) が比較的浅く、陽明腑証 (承気湯) が深いのですが、不大便は陽明腑証に当たります。これだけ深いので、治るときには微似汗ではなく衄になるのです。血は汗よりも深い。

ここで一つ疑問がわきます。なぜ衄に至っているのに麻黄湯を用いていないのでしょうか。体痛の有無がポイントです。体痛がないから麻黄湯は不可なのです。

これは、外証未解の解説として傷寒論で初めて出てくる条文でもある37条の法則に該当しません。そのため、44条の大原則が優先されます。この状況下では、55条の法則は無視してよく、47条の法則が機能します。

37「太陽病、十日以去、脈浮細而嗜臥者、外已解也、設胸満脇痛者、与小柴胡湯、脈但浮者、与麻黄湯、」

44「太陽病、外証未解者、不可下也、下之為逆、欲解外者、宜桂枝湯、主之、」

55「傷寒、脈浮緊、不発汗、因致衄者、麻黄湯主之、」

47 「太陽病、脈浮緊、発熱、身無汗、自衄者愈、」

もし、体痛があれば、桂枝湯に行かず、麻黄湯に行くのが正解 (ど真ん中) です。ただし46条のように桂枝湯に言っても、ど真ん中ではないが、ぎりぎりストライクになるのでしょう。

▶頭痛について

頭痛についてです。

頭痛があるということは寒邪がきついということです。この頭痛は頭項強痛とは違います。頭項強痛は後頭部を中心とした部分的なものですが、本条で頭痛と特記されているのは、頭全体の痛みで、身疼痛に次するものです。つまり頭痛と身疼痛も別のものです。35条

35「太陽病、頭痛、発熱、身疼、腰痛、骨節疼痛、悪風、無汗而喘者、麻黄湯主之、」

とあり、頭痛と身疼痛を分けていることが根拠です。

<<寒邪が弱い      寒邪が強い>>
 頭項強痛    頭痛    身体疼痛 

身疼痛なら麻黄湯が正解 ((37条による) なのですが、ここでは頭痛なので二陽併病の法則 (48条による) に従って桂枝湯なのです。13条にも

13「太陽病、頭痛、発熱、汗出、悪風者、桂枝湯主之、」

とあり、桂枝湯の守備範囲であることが分かります。13条の桂枝湯証は、12条の桂枝湯証よりも症状が激しいのです。

46条で「劇者必衄」として衄に至るものは劇症だとしていますが、そこでは体痛が10日近く続いています。本条では「頭痛者必衄」とありますが、頭痛+不大便が一週間も続くような風寒は劇症だということです。

▶図による解析

①②を深く解析します。図をご覧ください。

▶どの承気湯を使うか

①承気湯は3種類あります。組成に注目します。

 調胃承気湯 大黄四両 甘草二両 芒消半觔
 大承気湯 大黄四両 厚朴八両 枳実五枚 芒硝三合
 小承気湯 大黄四両 厚朴二両 枳実三枚

調胃承気湯のみが甘草が入っています。甘草は境界を機能させる役割があると考えています。甘草湯がノドの炎症に効き、甘草が清熱解毒に効くという謎を解くには、上焦 (ノド) の熱と下焦の冷え の境界である中焦に、甘草はアプローチすると考えるならば、つじつまが合います。

だとすると、調胃承気湯を投与した場合、まず、「狭義の肌肉」にアプローチします。すると、「広義の表裏の境界」を軸として、「狭義の皮毛」にも効果が及び、傷寒を治すことができます。これは二陽併病の桂枝湯と似ています。

また、大承気湯・小承気湯の場合は、甘草がないので「狭義の肌肉」にしか作用しません。これで効くのなら、裏が治まれば表は勝手に取れるレベルの傷寒であるということになります。これは本が裏で標が表で、本を治せばかってに標も治るパターンです。

つまり、どれだけ裏が主体になっているかを、その時その時の臨床で判断し、どの承気湯を用いるかを決めなさい、と仲景先生はおっしゃっているのです。大小承気湯よりも調胃承気湯の方が表とのかかわりが深く、調胃承気湯よりも桂枝湯の方が表とのかかわりが深い。そのように理解できます。

▶桂枝湯は「宜し」

②桂枝湯は「広義の肌表」にアプローチし、「表裏の境界」を軸として「広義の肌裏」にも効果が及び、裏熱を発散し冷ますことができます。しかし、不大便を示す「狭義の肌肉」までは効果は及びません。ばない可能性もあります。

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もし不大便が残ったとしたら、小便の色が黄色くなるでしょうから、そのとき承気湯を足せばいいでしょう。もちろん桂枝湯だけで便が下ることもあると思います。

この辺のニュアンスが「宜し」に含まれているかもしれません。

▶桂枝湯で自衄の理由

なぜ衄するのでしょうか。

表には非常にきつい麻黄湯証が居座っていた、だから衄するのです。

では、なぜ麻黄のない桂枝湯で麻黄湯証が取れるのでしょうか。

46条では、身疼痛 (体痛) があるきつい傷寒でも、桂枝湯で自衄までもっていきました。本条は身疼痛がなく、それに次する頭痛しかない傷寒です。ですから桂枝湯で治癒するのは当然と言えます。

46「太陽病、脈浮緊、無汗、発熱、身疼痛、八九日不解、表証仍在、此当発其汗、服薬已、微除、其人発煩、目瞑、劇者必衄、衄乃解、麻黄湯主之、」

もちろん46条は麻黄湯で皮毛だけを攻めるのがベストだったのですが、桂枝湯でも行けた。これは46条が、10日近く傷寒が解さず、すでに正気も寒邪も、互いにくたびれが出ていたところに、桂枝湯で正気の弱りを立て直し、その勢いが表の寒邪を弱らせたと言うことができます。

本条では、傷寒になった当初、かなり強い寒邪が表に居座り内陥するスキを伺っていましたが、しっかりした正気がそれを許しませんでした。しかし寒邪の力はやや勝り、少しずつ、ジリジリと正気を後退させてゆくのです。それから一週間。長期戦、長い長い大相撲となり、正気も寒邪もくたびれてフラフラです。そこに桂枝湯が入るのです。

桂枝湯は桂枝加芍薬湯を見ても分かるように、太陰病の薬でもあります。これが、くたびれた正気を、すなわち太陰の正気を持ち上げた。

同時に桂枝湯は、二陽併病の主薬である桂枝湯でもあります。この桂枝湯は「表裏の境界」をはさんで「広義の肌裏」の陽明の熱を表に向かわせます。

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つまり桂枝湯は、弱った営陰 (太陰) を一気に増産し、それを温めて衛気に作りかえ、勢いよく熱もろとも衛気を表に向かわせたのです。

表には寒邪が居座りますが、寒邪は寒邪でくたびれ切っています。その時、太陰が改善されるとともに表裏陰陽が動き、麻黄を必要としないレベルまで弱体化したのです。

そして衛気は、寒邪の囲みを破り、衛気が皮毛の外に出る。その衛気の勢いにつられて血も飛び出す。こうして自衄が起こると考えられます。

ポイントは「くたびれてフラフラの正気」が急に回復し、「くたびれてフラフラの寒邪」が急に弱体化することです。

名だたる猛将と言えども、長期戦に及べば、疲弊して本来の力を発揮できません。そこに体力を回復する要素が加われば、元の勇壮たる力を発揮するでしょうし、少しでも体力を削ぐ要素が加われば、足軽一兵にすら致命傷を負わされるでしょう。これは正気・邪気ともに言えることです。

≫「出血…東洋医学から見た4つの原因と治療法」をご参考に。
≫「出血の症例」をご参考に。
≫「2時間での解熱 (2歳) 」をご参考に。

▶桂枝湯で便秘も治る

桂枝湯で大便が下る場合、どういう機序が考えられるでしょうか。

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本条の場合、「太陰」と「広義の肌裏」の間の「狭義の肌肉」に大便があります。

太陰病としての桂枝湯は「太陰」を補います。太陰が補われると「脈」という境界をはさんで「狭義の肌肉」すなわち陽明に影響し、燥屎があればこれを下そうとします。

二陽併病としての桂枝湯は「広義の肌裏」 (陽明の浅い部分) の邪熱を透発します。これで狭義の肌肉には邪熱がこれ以上プラスされません。

簡単に言うと、脾虚で起こる便秘に軽い内熱を兼ねていた、その2つを同時にとると便通がつく…ということです。

▶これまでのまとめ

①②をまとめましょう。

まず言えるのは、衄をおこすほどに非常にきつい傷寒だということです。一部は陽明に転属し、深い部分に邪熱が到達しています。軸による治癒がその深さを示しています。一方で見方を変えると、そんな傷寒を何とか陽明病レベルで耐えた正気 (肝気・少陽) の強さがあります。強い両者が互角の戦いをしたので、一週間も治癒しないのです。両者ともフラフラになりながら、それでも戦い続けました。

インフルエンザなどの強いウイルスにやられたときをイメージしてよいと思います。強い悪寒があり、食事がとれず、高熱でフラフラするような状態です。

傷寒 (表寒実) があり、高熱、不大便の継続、尿に黄色味があれば、いきなり下してよい。
傷寒 (表寒実) があり、高熱、不大便の継続、尿が透明であれば、桂枝湯に行け。

▶鍼灸

これは臨床で念頭に入れてやると面白いと思います。激しいカゼは、表証と裏証が同時に存在します。先表後裏は原則ですが、衄に至るほどの強い風寒だと、その原則通りでは対処できないことがあります。「まず合谷」ではないでしょう。清熱解毒の穴処の反応を診たり、上巨虚の反応を診たり、外関、申脈などを観察し、場合によっては脾兪や中脘で正気を持ち上げることを考える。

生きた穴処と理論が一致したらやっていいと思います。穴処の反応で確信できるような技術がないならば、治療してはなりません。

▶これからの展開

仲景先生は小便の色によって、表寒か裏熱かを鑑別しています。

ただし、これが「逆」になるかならないかを決定するカギとは、少し荷が重すぎますね。患者さんの主観による問診でこの重要事項を決めてしまうのは不可です。劇症で苦しむ人のおしっこを採取するのも可能かどうか不透明です。

中医舌診学では、表寒を証明するために、舌が潤うという事項が挙げられます。仲景は小便の色によって、表寒か裏熱かを鑑別しましたが、舌でもできるかもしれません。舌の潤いが過多であれば桂枝湯、舌の乾きが多少あるなら調胃承気湯、かなり乾いていれば大小承気湯…そんな鑑別を仮説として意識しながら診ていくことは価値があると思います。

小便の色を問診で聞いておき、もし可能であれば小便を直接見せてもらい、それと舌診の所見とを照合するということを繰り返して経験をつめば、もっと有用な条文に書き換えられるかもしれません。

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