傷寒論私見…小柴胡湯か麻黄湯か〔37〕

37 太陽病、十日以去、脈浮細而嗜臥者、外已解也、設胸満脇痛者、与小柴胡湯、脈但浮者、与麻黄湯、

▶前提は経過が長いこと

経過が長引いたとき麻黄湯にいくのか、小柴胡湯にいくのか、その鑑別です。

太陽病 (脈浮・頭項強痛・悪寒) が前提です。表実か表虚かは抜きにしての表証です。
太陽病で10日が過ぎ去って、正気が弱っていることが第二の前提です。

▶嗜臥なら少陰病

それでもまだ浮脈を呈していて、しかも細脈、特徴は寝ころんでばかりいるということです。こういうのは、正気が弱って細脈になっているのですが、浮脈でも、表証はもう残っていないよ、ということです。たとえ頭項強痛・悪寒がまだあったとしても、ということでしょう。少陰病の特徴は「ただ寝んと欲す」ですが、まさにそれです。

▶少陰が病んでいるとき

111条を見ても分かるように、外が解しているからといって、内も治癒しているとは限りません。

111 太陽病、不解、熱結膀胱、其人如狂、血自下、其外不解者、尚未可攻、当先解外、外解已、但少腹急結者、乃可攻之、宜桃核承気湯、

仲景先生はとりあえず、太陽病はなくなったというところまで説明していますが、「嗜臥」は少陰病に言及しているとみていいと思います。

291 少陰之為病、脈微細、但欲寐也、

少陰が病んでいると捉えるなら、291条と同意義です。
脈が浮くのは、正気が外に漏れているからです。

少陰病では「少陰病得之〇〇日、…」のかき出して始まる条文が多いですが、本条を踏まえたものと考えて読めると思います。その後どうするかは少陰病のところを見てね、という感じでしょうか。

▶少陰が整っているとき

少陰が整ったと捉えるなら、ゆっくりと落ち着いて寝ている、とも取れます。

少陰はもっとも高次の枢ですから、ここが整えば、太陰開・厥陰闔の振り子が大きく振れだします。太陰が太陰らしくなればなるほど、厥陰も厥陰らしくなる。太陰開が強くなれば陽明に邪気を運ぶ力が増すでしょう。厥陰闔が強くなれば、邪気をとりあえず放り込む押し入れのスペースが広い、つまり罷極という肝の機能が強くなり、体力に余裕ができます。

つまり少陰が整えば、あとはおのずと整おうとする。それまでは寝たがる。寝ている間に整ってくるのです。

少陰とは心神でもあります。気持ちが落ち着いてさえいれば、放っておいても治癒することを言っている…そう言い換えることもできます。

細脈だが、脈幅が増そうとしている…そういう状態とも取れます。

▶胸満脇痛なら小柴胡湯

また、太陽病で、もし浮細にして胸満脇痛 (≒胸脇満痛≒胸脇苦満) が出ているのであれば、少陽病に落ち込んでいるから小柴胡湯ですよ、と言っています。たとえ頭項強痛・悪寒があったとしても、ということです。

胸満は、22桂枝去芍薬湯36麻黄湯 (太陽陽明合病) で出てきました。ここでは小柴胡湯つまり少陽病なので、太陽症と陽明証が同時に出ます。36条で説明したように、太陽証として捉えるなら表寒による肺気の停滞、陽明証として捉えるなら胃気の停滞によるものです。

脇痛は「脇下痛」のことです。プラス、細脈。これが少陽病と診断するうえでの最大のポイントとなります。

▶但浮なら麻黄湯

また、太陽病で、もし浮脈 (細脈ではない) にして胸満と、脇痛 (=身体痛) がでているならば、胸満は寒邪がきつくて営陰の郁滞までおこしているものであり、身体痛は寒邪がきつくて衛陽が郁滞したものなのだから、麻黄湯だということです。

脇痛を身体痛としてとらえることがポイントです。また、麻黄湯証で細脈はあり得ません。

▶まとめ

脇痛を、小柴胡湯証の最大の特徴である「脇下」の症状としてとるのか、麻黄湯証の身体痛としてとるのか、鑑別点は脈が細いか細くないかである、そう言いたいのだと思います。

太陽証 + 浮細 + 嗜臥…解表の必要なし
太陽証 + 浮細 + 胸満脇痛…小柴胡湯
太陽証 + 浮  + 胸満脇痛…麻黄湯
37条の法則

これから、本条の内容は「37条の法則」として、繰り返し引用します。それほど大切な条文です。

▶鍼灸

鍼灸で行くなら、小柴胡湯証は僕なら百会などの奇経・胆経に関わる穴処で行きます。麻黄湯証なら合谷が一般的だと思います。

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