傷寒論私見…麻黄湯〔35・36〕

麻黄湯といえば、カゼ薬として知られています。それはそれで間違いではないのですが、ただのカゼ薬と考えれば、それだけのものになってしまいます。漢方薬とはそんな浅いものではありません。麻黄湯は「表証」の薬です。表と裏は陰陽です。表を治せば裏も治る。慢性病はほとんどが「裏証」です。これがなぜ治りにくいかというと、裏しか見ないからです。

陰陽とは、夫婦のようなものです。夫が表で妻が裏であるとしましょう。いま、治したいのが妻であるとします。妻ばかり治してそれで治る場合もあります。ただし夫がDV常習犯なら、夫を治さなければ妻は治りません。そして妻はそのことをしたがる傾向がある。ならばそれは、医者が見抜くしかないのです。その「見抜く力」こそ、気の世界です。「気」を診る技術です。

表の治療 (麻黄湯や桂枝湯など) は、さまざまな慢性疾患・難病を治すうえで不可欠です。おおくの病態では、裏証ばかりが目立ち、表証はれた状態にあります。裏証ばかりを治そうと思っても治らないのは、「隠れたもの」が見えていない可能性があります。表裏は陰陽なので、その可能性は五分五分と考えていいでしょう。表裏が陰陽というのは、思っている以上の意味があります。

唯物論的な思考の人は、表証というものをカゼに限定して考えたがります。「隠れたもの (=目に見えないもの)」を認めたがらないからです。そういう考え方では、中国伝統医学の真の力を知ることはできません。まして証を無視し、麻黄に含まれるエフェドリンの薬効に頼った用い方をするならば、エフェドリンとしての効果でしかないカゼ薬になってしまうでしょう。

病因病理を知れば、陰陽という巨大なシーソーを動かすことができます。そのシーソーを動かすことができれば、奇跡を起こすことができます。鍼灸師が傷寒論を学ぶ意味はそこにあります。

35 太陽病、頭痛、発熱、身疼、腰痛、骨節疼痛、悪風、無汗而喘者、麻黄湯主之、

▶葛根湯より寒邪が強い

太陽病です。傷寒 (主に寒邪) も含むが、中風 (主に風邪) も含むことを示唆します。ですから1条 (脈浮、頭項強痛、而悪寒) に本条文が加わります。つまりこういうことです。

35 太陽病 (脈浮・頭項強痛・悪寒) 、頭痛、発熱、身疼、腰痛、骨節疼痛、悪風、無汗而喘者、麻黄湯主之、

頭項強痛の上に、頭痛・身疼 (身体痛) ・腰痛・骨節疼痛…と、くどいほど痛みを列挙しています。これは寒邪による気滞が強いことを意味します。31葛根湯の「項背強」よりも痛みがハッキリしており、寒邪がきついことが分かります。

無汗ですので、陰弱ではありません。
喘とは呼吸困難のことです。寒邪は郁滞をもたらすので肺気が伸びないと考えます。

▶傷寒よりも寒邪が弱い

3条と比較します。

3条「太陽病 (脈浮・頭項強痛・悪寒) 、或已発熱、或未発熱必悪寒、体痛、嘔逆、脈陰陽倶緊者、名曰傷寒、」

3条は寒邪100%の表証、すなわち「傷寒」を呈示し、寒邪の性質をしめす典型例を挙げています。

3条は「必悪寒」ですね。本条は、太陽病の定義である悪寒に加え、「悪風」とあります。寒邪・風邪ともにあるということです。
本条には、「或未発熱」がありません。風邪がいくらかあって最初から発熱するからです。
また本条では浮脈とは言っていますが、脈陰陽倶緊とは言っていません (もちろん寒邪の割合が多ければ多いほど純粋な緊脈に近づきます) 。営陰に多少の弱りがあるからです。そもそも風邪があるということは営陰や衛陽に弱りがあるからでしたね。

以上から麻黄湯証には寒邪だけでなく風邪もあり、寒邪>風邪 の風寒であることが言えます。寒邪100%ではないのです。

▶伝変する可能性

この多少の営陰や衛陽の弱りは、伝変する可能性があることを意味します。だから麻黄湯証は、次の36条 (太陽陽明合病) に見られるように陽明に伝変することがあるのです。それに対して3条は、おそらく伝変していない純粋な表証で、「陰陽ともに緊」ということからも、表衛が頑張るだけ営陰も頑張るという図式があり、それだけ営陰に底力がある (それだけ寒邪が強烈である) ことが想像できます。

ちなみに本条には嘔逆という詞がありませんが、桂枝湯証に乾嘔があり、傷寒に嘔逆があるところから類推すると、本条でも嘔の症状はあると言えます。当然ですが。

麻黄湯方 麻黄三両 桂枝二両 甘草一両 杏仁七十個右四味、以水九升、先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬、煮取三升半、去滓、温服八合、覆取微似汗、不須粥啜、余如桂枝法将息、

▶組成

麻黄 百度百科より引用

麻黄は肺の宣発を助け、衛気を皮毛から発散させる作用です。桂枝は営陰 (脈) を温め、営陰を衛気に気化して表を温めます。麻黄と桂枝が手をつなぐと、強力な辛散発汗作用が生まれます。甘草は、麻黄の瀉、桂枝の補をつなぐ役でしょうか。

杏仁は肺経気分に入り、辛散・苦降し、肺の邪気を取り、喘を治めます。気分というと陽明をイメージさせますね。

麻黄湯は瀉剤なので粥は不要です。それ以外は桂枝湯と同じようにやれ、とのことです。

36 太陽与陽明合病、喘而胸満者、不可下、宜麻黄湯主之、

ここまでは「太陽病の麻黄湯」の話でした。

ここからは「合病の麻黄湯」です。

▶不可下

太陽と陽明の合病については、
32条で、「太陽与陽明合病者、必自下利、葛根湯主之、」
33条で、「太陽与陽明合病、不下利、但嘔者、葛根加半夏湯主之、」とあります。
本条は「不可下」ですから、「自下利」はないと思われます。すでに下痢しているものを下そうとは思わないですから。

太陽病 (脈浮・頭項強痛・悪寒)
+ 陽明病 (心煩・高熱)
+ 喘&胸満
= 麻黄湯

ここで、「不可下」とあるのは、32葛根湯は自下痢がすでにあるので下すことはあり得ないし、33葛根加半夏湯は、212条「傷寒、嘔多、雖有陽明証、不可攻之、」の法則により不可下なので、これも不可下ですよ、と言ったものと思われます。つまりは、太陽陽明合病はどんな場合でも不可下です。

▶肺の郁滞

▶喘 (呼吸困難)

本条の重要な鑑別点に「喘」がありますが、
35条「太陽病、頭痛、発熱、身疼、腰痛、骨節疼痛、悪風、無汗而喘者、麻黄湯主之、」にも喘が出てきます。喘は、麻黄湯に行く際の重要な証候であると考えられます。

麻黄湯に行くということは、それだけ表の寒邪が強いわけで、それを除くにはそれだけ強い薬が必要になります。その時の判断基準になるのが喘である、ということです。表の寒邪が「肺経衛分」を犯すのです。

▶表って肺? 膀胱?

いま、「肺経衛分」という言葉を使った。衛分とは温病学で使う言葉であるが、ここでは「最も浅い病位 (=表) 」と言う意味で捉えてほしい。寒邪が表を犯す時、病位は最も浅い太陽であるが、これを衛分と言い換えるのである。なぜ言い換える必要があるかというと、たとえば太陽膀胱経のなかにも、浅い病位 (表=膀胱経の浮絡) と深い病位 (裏=膀胱) とがあり、それを太陽〜厥陰という浅深を表す言葉で表現すると複雑になるからである。寒邪が犯す「表」とは、太陰肺経の衛分・太陽膀胱経の衛分・陽明大腸経の衛分、すなわち主にこの3経絡の衛分を指していうものである…これは私見であるが、そのように考えなければ立体的な理解ができない。太陽膀胱経と陽明大腸経は、津液の「津」を支配する。津は浅い部分に散布されて衛気となり、液 (小腸と胃が支配) はやや深いところに散布されて営気となる。太陽 (膀胱) 経と陽明 (大腸) 経は表裏陰陽の関係にある。

それから胃家実によって陽明が郁滞し、気が下降することができず肺の粛降も妨げられた。それによる喘ということも言えます。

つまりこの喘は、
➀寒邪によって肺経がフリーズし、それが肺臓に気滞を起こしたもの。
②胃家実によって胃の下降がフリーズし、それが肺臓に気滞を起こしたもの。
とまとめられます。

▶杏仁の働き

喘は上記のように、表寒による衛気の渋滞・肺気の渋滞という側面がまず一つです。もう一つは胃家実によって消化管内容物が滞ると、胃気が下降できず、肺の宣発粛降にも悪影響を与え、喘が発症する側面です。この辺は杏仁が肺経気分に効き、苦降のはたらきで陽明を助け、また通便作用もある (腸燥便秘に用いる) 薬であることと関係が深いと思います。

杏仁…苦辛温。肺・大腸。風寒・痰湿をさばく。

▶胸満

同じく、胸満も寒邪によって肺経と胃がフリーズし、それが肺臓に気滞を起こしたものです。しかし、35条の麻黄湯 (太陽病の麻黄湯) には胸満という証候はありません。

そもそも胸満とはどうして起こるのでしょうか。胸満は22条「太陽病、下之後、脈促、胸満者、桂枝去芍薬湯主之、」で説明したように、営陰の郁滞です。22条では、風寒 (衛気が渋滞) に下剤をかけて、そのはずみで急に衛気が表で渋滞しただけでなく営陰までが肺において渋滞してしまった…と説明しました。

本条ではどうでしょう。表寒がきついということは、衛気が渋滞しているということです。そのうえ、同時に急に胃家実 (胃気が下降できない) が起こった。それによって営陰も上衝してしまい渋滞します。そのために胸満が起こります。だから合病には “胸満” という証候があるのです。

▶桂枝湯証に合病はない

▶胃家実のレベル

太陽陽明合病としての、32葛根湯 (自下痢) と33葛根加半夏湯 (陽明気滞による嘔) と36麻黄湯 (陽明と肺気滞による喘・胸満) とを比べると、後者ほど気滞が強くなっていることが分かります。自下痢→嘔→喘&胸満 という具合です。つまり、合病としての胃家実が後者ほどひどいということが言えます。裏をかえせば、太陽病としての表寒が後者ほどきついということです。

▶寒邪のレベル

31条 (太陽病の葛根湯) ・32条 (太陽陽明合病の葛根湯) ・33条 (葛根加半夏湯) ・35条 (太陽病の麻黄湯) ・36条 (太陽陽明合病の麻黄湯) をまとめて見ると、麻黄湯証と葛根 (加半夏) 湯証の相違点は、麻黄湯は寒邪の絶対量が多く、葛根湯は寒邪の絶対量が少ないという点です。

共通点は、寒邪>風邪という構図です。わずかだが風邪があることに注目です。風邪は疏泄しましたね。太陽から陽明に入るルートに風穴をあけるのです。だから太陽病と太陽陽明合病と、2つの病証があるのです。また、風邪の割合が大きい葛根湯は、合病で自下痢という疏泄が顕著に見られるのですね。

寒邪の気滞が胃に影響

寒邪が強い分だけ、同時に胃家実も強いということです。つまり、気滞 (寒邪と胃家実) が表裏ともに同時に影響し、一気に滞って合病となっているのです。一気に病証を形成するのは実証の特徴でもあります。

桂枝湯証は虚証であり、風邪は疏泄するので一気に一まとまりで滞るということはありません。一気にまるごと (太陽・陽明同時に) 病まず、じわじわと虚が進んで併病 (二陽併病) となります。

 風邪>寒邪  寒邪の割合が非常に少ない  桂枝湯 
 風邪>寒邪  寒邪の割合がやや少ない  桂枝葛根湯 
 寒邪>風邪  寒邪の割合がやや多い  葛根湯 (合病あり)  
 寒邪>風邪  寒邪の割合が非常に多い  麻黄湯 (合病あり)  

▶2つの麻黄湯は通じ合う

▶麻黄湯が陽明に行く理由

なぜ麻黄湯が陽明まで行くのでしょうか。これは図で説明します。

太陽 (図の皮毛) と陽明 (図の肌肉) は、表裏という陰陽です。陰陽にはそれを分ける表裏の境界 (少陽) があります。太陽の邪が強すぎて、あるいは陽明が相対的に弱くて、太陽の邪が境界の壁に激突し、余波が境界を越えて影響してしまったということです。境界に邪が入ったわけでも、裏に邪が入ったわけでもありません。だから表の薬で効くのです。

つまり、強烈な寒邪は「狭義の皮毛」を侵します。それは「広義の表裏の境界」という壁に激突し、その衝撃が「狭義の肌肉」に伝わるのです。

境界は直接侵されていません。もし、境界 (少陽) に邪が直接入ったら、往来寒熱が起こり、幅のない脈を呈するはずです。

▶胃の気が動く

このように考えると、表病としての麻黄湯の深い意味が見えてきます。麻黄湯の特徴は身体痛です。かつて、「けいれん…東洋医学から見たつの原因と治療法」で、頭項強痛は軽い痙攣と同義であると説明しました。痙攣の病理は筋脈が潤せないことです。特に、脈が潤せないと、乾きが筋に波及し、筋の陽動的本性がむき出しとなって、痙攣するのです。

つまり、頭項強痛・項背強 (桂枝加葛根湯・葛根湯) や、麻黄湯の身疼・腰痛・骨節疼痛も、皮毛の寒邪によって疏泄できないで不通となり痛みが出たものでもあり、その不通となった場所に水穀の精 (胃の気=陽明の気) が由来となる津液が入り込めないために不通が改善せず、痛みが取れないものでもある、ということができます。

表病としての麻黄湯証の場合は、表の寒邪がガチガチで津液の通り道を塞いでいるので、表の寒邪を取っただけで津液が再びめぐりだし、表を潤す。

ちなみに、そのときに発熱 (熱邪) があれば、それも一緒に表から外に発散するのです。この熱邪は、皮毛から肌表 (太陽) ・肌肉 (陽明) までの範囲であれば、解表した拍子に外に向かうのです。

よって麻黄湯証は、葛根で胃の気を鼓舞したり (葛根湯) 、生姜や大棗で胃の気の幅を増やしたり (桂枝湯) する必要がないに過ぎません。陽明の胃の気 (水穀の精) =津液 に本来の動きを取り戻させる。それは麻黄湯も同じなのです。

麻黄湯に一両だけ足された甘草は、陽明と太陽をつなぐ役目があるのかもしれません

このように考えると、表病としての麻黄湯と合病としての麻黄湯は同じものです。麻黄湯はそもそも、陽明に響かせる薬なのです。

▶鍼灸

鍼灸で、麻黄湯証には合谷を用います。合谷は正気をも補うことのできる穴処であることを思うと、非常に意味深いものを感じます。

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