手の太陰肺経《経筋》

肺経といえば、中府から始まり少商に終わるというのが一般的な認識だが、臨床を高めるにはこれだけでは不十分である。《霊枢》には実に複雑な流注 (脈気の巡行) が記載されている。それは、経脈・経別・絡脈・経筋である。経絡とは、これら4つをまとめて言ったものである。

本ページでは、このなかの「経筋」について、《霊枢》を紐解きながら詳しく見ていきたい。

手太陰之筋.起於大指之上.循指上行.結於魚後.行寸口外側.上循臂.結肘中.上臑内廉.入腋下.出缺盆.結肩前髃.上結缺盆.下結胸裏.散貫賁.合賁.下抵季脇.

其病當所過者.支轉筋痛.甚成息賁.脇急吐血.

治在燔鍼劫刺.以知爲數.以痛爲輸.名曰仲冬痺也.

《霊枢・經筋13》

経筋の流注

手太陰之筋.
手の太陰の筋、
>> 手の太陰肺経の経筋は、

起於大指之上.循指上行.結於魚後.行寸口外側.上循臂.結肘中.上臑内廉.入腋下.
大指の上に起こり、指を循 (めぐ) って上行し、魚後に結び、寸口外側を行き、上って臂を循 (めぐ) り、肘中に結び、臑内廉を上り、腋下に入る。
>> 少商に起こり、指を循 (めぐ) って、魚際に結び、列缺を走行して、を循 (めぐ) り、肘に結び、の内側を上り、腋窩部※に入る。
※ 腋窩部とは極泉のことである。 “手少陰之筋…上入腋極泉之次.交手太陰之筋”《類経》 
>>このラインはすべて剛筋である。 “此上皆剛筋也”《類経》
>> 十二経筋はいずれも指の爪のところに起こる。これは、筋は肝木 (爪) に属しているからである。 “筋屬木,其華在爪,故十二經筋皆起於四肢指爪之間”《類経》
つまり、十二経筋はすべて肝の脈気を受けて起こっているのである。“然一身之筋,又皆肝之所生”《類経》
【私見】
経筋の硬さ (筋肉の緊張) は、経筋を治療するのである。鍼をして筋肉がゆるむのは、経筋がゆるんでいるのである。経筋を治療する (筋肉を緩める) ということは、肝を治療する (肝気を緩める) ことにつながる。

一方で経筋は目に見えない。たとえばダンベルを持ち上げる動作だと上腕二頭筋を主に使うのだが、経筋の概念では尺沢から極泉にかけて経筋があり、上腕二頭筋の起始停止部とは異なる。しかし、実際にダンベルを持ち上げ、力の入りどころを感じ取ってみると、尺沢・天府・極泉あたりに重心が感じられる。古代人といえども、上腕二頭筋腱がどこに付着するかは、力こぶを出せば目で見て分かるのだが、あえてそれを度外視したラインを経筋とした。かえすがえすも、東洋医学とは「気」を見る学問である。筋肉の盛り上がりは目に見えるが、経筋は目に見えないものであると考えてよい。そもそも「筋」とは目に見えないものであると考える。

出缺盆.結肩前髃.
缺盆に出で、肩前に結ぶ。
>> “行肩上三陽之前” 《類経》。
肩上三陽とは、肩髃 (大腸経) ・肩髎 (三焦経) ・臑兪 (小腸経) のことであろう。その前方に流注すると景岳は言っている。
【私見】
《類経》の注釈に従うなら、「肩前髃」は肩髃のことではなく、肩髃の前方である。肩髃とする解説書もあるが、《類経》には “肩髃之次” という表現がない。これは《類経》の著者・張景岳がこの穴処を肩髃ではないと考えている証拠でもある。
腋下から缺盆に出て「肩関節 (肩髃) の前方」に結ぶ。「肩関節の前方」とは、上腕二頭筋腱の付着部である。ここを肺経の経筋が支配する。この場所は「肩前」という穴名 (阿是穴) で呼ばれることもある。「肩前」へのルートを明確にしたいがために、《霊枢》は缺盆を2回 (下記) も記述している。

上結缺盆.下結胸裏.散貫賁.合賁.下抵季脇.
上りて缺盆に結び、下りて胸裏に結び、散じて賁を貫き、賁に合し、下りて季脇に抵 (あた) る
>>賁は噴門 (胃の入り口) のこと。
>> 季脇は季肋部のこと。
【私見】
「結ぶ」ところは気血が極まり集まるところで、重要箇所である。

“然其所結所盛之處,則惟四肢谿谷之間為最,以筋會於節也。” 《類経》>> 結ぶ所 (盛んなる所) は四肢の穀気の極みであり、経筋によって関節にあつまるのである。
肺経の場合、魚際・尺沢・缺盆・肩前・胸裏が結ぶ所となるが、これらは肺経における臍下丹田とも言える場所である。「経筋のゆるみ」 (筋肉のゆるみ) が問題となる場合、これらのツボが診断点として応用できる。たとえば腕に力が入らない・動かせないなどの「部分的な痿病」である。例えば借宅が虚しているならば、そこに気血を集めるように治療するのである。また、大本である臍下丹田 (関元) は、筋萎縮性側索硬化症などの「全身的な痿病」で最重要となる。

噴門に関わるということは、この経筋の緊張を緩めれば胃症状・梅核気 (ノドのつまり感) を治療できるということである。また季肋部の痛みや違和感も治療できる。

経筋の病証

其病.當所過者.支轉筋痛.
其の病、まさに過ぐる所のもの、支 (つか) え転筋し痛む。
>> 肺経の経筋の病は、ちょうどその経路に沿うところが、こわばったり痙攣したり痛んだりする。
【私見】
筋痙攣 (筋肉がつること・こむらがえり) は、筋脈が栄養されないことによって起こる。筋と脈が病むのである。

痛みとは不通則痛でおこるのだが、現代医学的には神経が痛みを感じる。神経とは筋のことである。

「筋」とはなんだろうか?

経筋は筋肉であると考えてよい。ただし、筋肉の深くて見えない部分のことを言う。筋肉でも浅い部分 (目で見える部分) は肌肉という。現代中国語では “肌肉” という言葉が、日本語の “筋肉” のことを指す。つまり、筋とは、深い部分 (目に見えない部分) の「動」の根源となるものをいう。いわば、筋が司令官であるならば、肌肉は実働部隊である。動 (陽) を生むものとは、静 (陰) である。陰静とは血である。これが「動」の根源である。

▶肌肉は目に見える、筋は目に見えない をご参考に。

筋と肌肉をあわせて “筋肉” と考えれば良い。そして、肌肉と筋の境界線が脈である。筋肉の真ん中を脈が通って、脈の中を流れる営気が筋肉を養うと考えればよい。そして、営気から陽動 (衛気) が生み出され肌肉を満たし、また営気から陰静 (血) が生み出されて筋を充たすのである。

血とは、
・脾が生み出して、やがて肝の支配下に入るものである。
・脈が生み出して、やがて筋の支配下に入るものであると言ってもいい。

よって経筋は肝と血に深く関わる。

甚成息賁.脇急.吐血.
甚だしければ息賁・脇急・吐血をなす。

>> 息賁は《難経・五十六難》に記載が見られる。五積の一つで、肺の積である。症状は “洒淅寒熱.喘欬” である。すなわち、恐れおののき寒さに震え、悪寒と悪熱が入り混じり、呼吸困難をともなう咳がある。
【私見】
肺の経筋は胸裏に結ぶ。胸裏とは、胸部の「裏」と解釈する。

臓腑経絡弁証的にみれば「表」は経絡であり「裏」は臓腑である。
六経弁証的に見れば「表」は太陽であり「裏」は陽明・太陰・少陰・厥陰である。
気血としてみれば、表は気であり裏は血である。

いずれにしても、裏とは臓腑の支配下にある。一般的に経筋は臓腑と関係を持たないとされるがそうではなく、どの臓腑にも絞りきれないが、臓腑 (裏) に結んでいるのである。しかもそれは筋 (肝・血) と大きく関わりを持つ。筋は全身に分布し、肺経にも脾経にも筋は存在する。そういう意味で、広汎に「裏」と表現している。この表現は、ほかにも「腹裏」 (足太陰経筋) ・「乳裏」 (手少陰経筋) がある。よって肺の病証である息賁が出る。

>> 脇急は、脇 (側胸部〜側腹部) が急 (引きつり硬くなる) となることである。
【私見】
脇に痛み (肋間神経痛) や違和感が出る。脇の症状は、気滞証や少陽病の特徴である。少陽というのは表裏の境界で、枢要に位置する。そういうものと経筋はつながっている。

>> 血を吐く。
【私見】
中医内科学的にみると、肺の病証で出血というのは考えられない。筋 (肝) から血に病が迫ったものであろう。この出血は肝不蔵血によるものと見るのが妥当である。

以上の病証が、肺経の経筋の緊張を緩めただけで治癒するものがある…ということである。

経筋の治療

治在燔鍼劫刺.以知爲數.以痛爲輸.名曰仲冬痺也.
治は燔鍼劫刺にあり。知をもって数となす。痛をもって輸となす。名づけて仲冬痺という。
【一般的な訳】
治療は燔鍼 (真っ赤に焼いた鍼) を用い、劫刺 (速刺速抜) を用いる。治療効果が出るまで何本でも鍼をし、何回でも治療をする。痛むところを治療点とする。

【私見としての訳】
治療は燔鍼 (真っ赤に焼いた鍼) を用い、劫刺 (強制的に邪を取り去る刺鍼法) を用いる。できるだけ少ない鍼・できるだけ少ない治療回数で効果を出すことを旨とする。痛むところに鍼をするのではなく、通じないところを見極めて (弁証して) 鍼をするのである。

このように、古文は幾通りもの訳が可能です。読む人 (臨床家) の力量 (ウデ) に合わせて解釈できるように、謎掛け的な文言を用いています。これは、痛 (甬) の字源、輸 (兪) の字源に精通すれば自明のことであります。
【一般的な訳】【私見としての訳】についての詳細は、
経筋の治療 >> 一般的な解釈・独自の解釈 をご参考に。

“以痛爲輸” は二通りの訳が可能である。
①痛むところを治療点とする。
②痛 (不甬;不通) をもって兪 (通行) とする…すなわち不通を通となす。

痛は、甬が病むことである。
通は、甬がますます進むことである。
甬とは、推動作用のこと、すなわち気である。

甬・通・痛については、不通則痛… 「甬」と「用」の字源をたどる
輸・兪については、癒やしとは…「兪」の字源に秘められた哲学
をご参考に。

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