61歳。女性。
もともと右膝関節痛があったが週に2回の治療を行って治癒し、いまは2週間に1回のメンテナンス的な治療である。
いつものように、まずは舌診・望診・脈診・腹診・切経である。
定番は、顔面気色診・白毫・印堂・天突・膻中・神闕・太渕・列缺・天枢・梁門・不容・期門・章門・少腹・大巨・合谷・陽池・外関・内関・後渓・神門・陽陵泉・寒府・足三里・上巨虚・豊隆・太衝・行間・照海・申脈・血海・曲泉・陰陵泉・三陰交・蠡溝・太溪・公孫である。これらを一つ一つ診察し、顔面気色診・舌診・脈診をあわせて5分間程度、小さなツボは手掌で触れ、大きなツボは望診で行い、井穴のように小さすぎるツボもまた望診で行う。これで体調をだいたい把握しつつ、穴処も決まる。そのあと、初めて問診を行う。
と、足三里に実の反応があった。食滞が疑わしい。
「 (ひとりごとっぽく) 基本的な養生は全部この調子やな〜、でも一個だけ、食滞があるな…。 うん、で、調子は?」
「はい、ずっと大丈夫だったんですけど、今日たまたま用事が立て込んで、昼ごはんを食べそびれて、午後3時半ごろにお腹が空いてたんで食べたんです。そしたら、変な時間に食べたのがよくなかったのか、それからお腹が張って痛いんです。」
おへその辺りに両手を当てて訴える。
「これはね、変な時間に食べたのが原因ではないな。お腹が空いていたから食べた、それはそれでいいんですよ。問題はその前、昨日とか一昨日とかにあると思います。食滞 (たべすぎ) の反応が出ているんですよ。」
「いや〜食べ過ぎですか…。食べ過ぎはそんなにないと思うんですが…。」
足三里の反応は変化がない。
「食べすぎている自覚がないんですね。ということは…、うん、おかずをもう一口減らしましょか。ご飯とおかずの割合は 5:5 〜 6:4 にしましょって言ってましたね。」
砂糖も塩も加えない「白米」は食べすぎない。しかしたとえば、米粉パン・ビーフンと加工すれば白米以上の量を食べてしまう。カレーやお寿司なども同様である。また、白米よりもショートケーキの方がたくさん食べられるだろう。猫も杓子もいっしょにするのが「糖質」という言葉である。
おかずも白米よりも美味しいので、白米がもうたくさんとなっていても、まだ食べ続けることができる。ケーキやクッキーが好きな人なら、おかずももうたくさんとなっていても、まだ食べ続けることができる。こういうことが栄養学では考慮されない。だから食べ過ぎがとまらないのだ。本人は食べすぎていないと思っていても、食べすぎている場合がある。▶腹八分目 食べ過ぎは「痰湿」のもと をご参考に。
「あっ、そういえば…、このごろおかずが多いかもしれません。ああ〜それでか…。」
ここで足三里の実の反応が消える。足三里の実の反応は食滞を示すが、これが消えたということは、食滞が消えたということだ。つまり、おかずの量が少し多かったということが類推できる。
「いま、食滞の反応が消えました。これくらいなら気をつけられるかな? と今思った分を実行に移してください。これくらいなら出来ると思う分をやるのが “できるだけ” です。無理して怖い顔してやるのは長続きしない。出来るだけは、持続可能なのでこっちのほうが体も喜ぶんですよ。」
「分かりました。」
「いまお腹は空いてますか?」
現在午後6時30分、食べてから3時間経つので、ふつうならもう空腹感があってもおかしくない。
「いえ、まったく。」
「じゃ、帰ったら、ご飯を一粒でもいいから食べましょか。朝と晩は少しでもいいから食べたほうがいいと言ったことがありましたね。もちろん、無理に食べたらあきません。でもご飯一粒なら無理にならないでしょ? ただし、ちゃんと座って、両手を合わせて “いただきます” をして、できるだけ感謝をしようとして、よく噛んでよく味わって食べて下さい。そうすれば胆汁が出ます。体中の老廃物は解毒を受けて、肝臓で胆汁に溶け込ませて十二指腸に排泄され、大便となって外に出てきます。食べないとデトックスはできないんですよ。感謝で喜ばない人はないように、感謝で喜ばない臓器もありません。だから感謝して頂いてくださいね。」
「はい、わかりました。そうします。」
「で、今もお腹が張ってるんですね。痛みもありますか?」
「はい、この辺に張りが… 張って痛みが… ない? あれ、ないですね。先生、なんかもう楽ですわ。」
「もう取れちゃった?」
「はい、すごいですね。ハハハ、前もこんな事ありましたね。」
「ありましたかね。」
鍼を打つまでもなく、痛みが取れた。でもまだ平脈ではないので、鍼をする。百会一穴。
〇
これまで、おかずが一口多かった。原因を知る。その反省。
これから、おかずを一口減らそう。原因を除く。その約束。
ごめん。
これからはこうするよ。
本当の原因にメスを入れ、これを除去した。
反省と約束。これが、
自分と他人との関係を良くする方法であり、
自分と身体との関係を良くする方法である。
無理な約束はしない。できるだけ。
反省と約束が、確かで信頼できるものであるならば、そのとき未来 (結果) が変わる。
約束が起点となって、未来 (結果) は作られるからである。
まだ約束を果たさぬ今、すでに体が良くなった理由である。
原因を知り、その原因を除去する。そこで結果が変わる。
これが「原因療法」である。
これは腎の求心力 (封蔵) そのものである。
封蔵すなわち、内省と集約。
よって、反省と約束は、腎を強くする。
当該患者はこれができた。