言い出したのは、僕よりも少し年下の女性スタッフ (寺尾さん;中医学は素人) である。午前診も終わった昼下がり、20歳代の男性スタッフ (山本鍼灸師;弟子兼助手) に、カルテ整理をしながらこんな会話をしているのである。2026/6/11 (木) のことだった。
「角度によって、イテテ…右脚が痛いねんなあ。なんかずっと力はいらへんし…夜も痛くて寝られへんねん。なあ山本さん、なんでやろ、ちょっと診てくれへん? どうしょうかなあって思うくらい痛いねん。」
「院長に診てもらって下さい。キッパリ」
おいおい寺尾さん、そんな痛いのか?
いやいや山本さん、それはあかんぞ!
「なんやって? 寺尾さん、脚痛いの? ってゆうか山本さん、診てあげなよ! それチャンスやんか。 そういうチャンスをしっかり捕まえんと、次いつ来るか分からへんで。僕じゃなくて山本さんに相談してるんやから、そこをモノにして主治医にならなあかん。僕なんかね、鍼灸学生のころ始業式で初めて会って、友達できてみんなで食べに行くやん? そのレストランのベンチで治療したで? 通学中の3年間で同級生の患者もいた。 “診て” って頼まれたら断らない! 僕は断ったことない。 “勉強させていただきます” って、どんどんチャレンジしていかな! 」
この年になっても診る患者さん診る患者さん、ほとんどが初めての病態である。皮膚炎・腹膜炎・蜂窩織炎。…無尿・血尿・蛋白尿。…心臓病・腎臓病・精神病。…遺伝子病・半身不随・末期ガン。どれもこれも断ったことがない。そしてブログに収録してあるように、どれもそれなりの実をあげている。臨床で食っていくとはそういうことだ。 逃げちゃダメだ。
「診させていただきます。勉強させて下さい。」
「ううん、でもなあ…」
「ほら、そうなるやろ? それはあかんねん、もう相手に断ったんやから流れは途切れてる。もう一回流れをたぐり寄せるんやったら、まずどんな状態か聞くんや。もう体なんか見せてくれへんで? でも聞くぐらいならいける。問診な? その中で流れをつかんで、鍼を打つところまで持っていくねん。どんな患者さんでも初診はそうやで。いきなり “はい鍼します” じゃダメ。色々話を聞いたり説明したりしながら、 “この先生に診てもらいたい” というところまで持っていって、そこで初めて体を診せてもらい、鍼を打つんやで。」
「…。」
「まずほら、角度によって痛いって言ってたやろ? それから夜も痛くて…、力が入らないとも言ってたな? 」
彼はまだまだ臨床経験が足りない。問診の言葉が出てこず、説明もできないので色々教えてあげた。
角度によって激痛がある。これは瘀血の可能性を示唆する。瘀血とはイガグリみたいなものが脚の関節などにあると考えればいい。角度を変えるとイガグリのトゲが刺さって痛いのである。そのイガグリの場所によって、角度によっては痛かったり痛くない場合もある。角度によって痛いのはそのように分析する。夜間痛に瘀血によるものが多いのは周知のとおりである。
また右脚に力が入らないのは、部分的な気虚である。しかし、全体的には気虚ではない。表情も明るく言葉付きも力強い元気な女性なのである。このような部分的気虚になるには、何か邪実が気の流れを妨げていると考える。
痿病をイメージするといい。筋萎縮性側索硬化症など、全身に力が入らなくなる病気の本質は邪熱である。その邪熱が全体の筋肉の気虚 (力が入らない) を引き起こす。卑近なところでは夏バテである。夏バテの病因病理は、暑邪 (外熱) が邪熱 (内熱) を強くすることである。邪熱が強くなると「相火食気」の法則により気虚を起こす。気虚の特徴はだるい (体に力が入らない) ・食欲がない (消化器に力が入らない) などであり、これが夏バテの症状となる。
寺尾さんの場合は邪熱によって右脚の気の流れが阻害され、それは右脚に力が入らないという症状として自覚されたのである。
このように邪熱が本病の中心にあることが分かる。そしてそれをもっとも裏付けるもの、それが口渇・喜冷飲 (冷たい飲食物を好む) である。そういうものを問診で突っ込んで問うべきである。
以上の説明を山本鍼灸師にした。
寺尾さんも若い鍼灸師を見守りながら聞いている。

「こういう説明を、素人さんにも分かるようにしてあげるねん。それだけで患者さんは “ああ分かってくれてる。この先生に診てもらいたい” ってなる。それが大切なんやで。 …ねえ? 寺尾さん。脚が痛くて仕事に来れないってことだけはないようにせんとねえ、それは僕の責任やから…。」
そう言いながら望診している。
その眼光は相手にまばゆく照りつける。
山本鍼灸師のチャンスを奪いたくなかったのだが、ここまで首をつっこんだら致し方ない。
なるほど。寒邪に取り囲まれている。表証である。
寺尾さんは当院で働くようになってから1年になる。1年前に来はじめた時、それとなく望診して表証はないことを確認していた。表証があるといずれ体調を崩すので、その心配がないかどうか確認していたのである。
それが今、表証が出ている。つまり、慢性ではない可能性が高いのである。慢性ならば1年前から表証があるはずだ。もし急性なら、表証を取るだけで効く可能性がある。やるならバチッと効かせる。でないと、グダグダうるさいただのおっさんだ。
「寺尾さん、これから難し〜い話するで。」
「え…何でしょう。」
「今晩から、お湯割りか熱燗にしようか。」
「ああ…やっぱり冷たいの良くないんですね…」
その瞬間、ビール好きの寺尾さんの表証が取れる。
「そう。いま、気をつけようって思った?」
「ハイ、思いました。」
「自分で “これくらいならできる” っていう、それをそのまま実行に移して下さい。100点じゃなくていい。 “これくらいならできる” 、それが合格点、それを実行できたら合格です。いつも患者さんに言ってるから分かるな? 」
これで未来が変わる。その未来を体はすでに歓迎し喜んでいる。喜ぶと元気になるだろう。増した元気は取り囲んでいた寒邪を追い出す。だから表証が取れたのである。
この週末は実家の田植えを手伝いに行くのだと言って休みを取っている。次の出勤は月曜日、それまでは会えない。もし田植えで痛みが激しくなって仕事に来られないなんて事になりでもしたら? 残された僕たちはどうすればいいんだ? 今やるしかない。これ以上の悪化は許されない。謎はすべて解けた。田植えまでにこの痛みを食い止めてみせる!! ジッチャンの名にかけて!!

明けて月曜日の朝、いつもどおり寺尾さんは院内の掃除や準備に余念がない。受付をやってくれてる妻は寺尾さんとは年来の友人である。僕は身支度をしながら二人の会話に聞き耳を立てる。
「田植え終わったん? 」
「うん、終わってん。休みもらってありがとう。」
「脚は? 大丈夫やったん? 」
「うん、それがウソみたいに楽やねん。なんでやろ。」
「そら、あれちゃうん? あれ。」
「やっぱり冷たいもんか〜。いままで氷食べたりしててんけど、先生に言われてから気をつけてんねん。ビールはやめられへんけど…テヘッ」

望診で確認、表証は取れた状態が持続している。
痛みは全くなくなった。田植えの手伝い中も、違和感はあるが痛くなかったという。もちろん力が入らないということはもうない。これを偶然とみるのか必然とみるのか。何も知らない素人さんなら偶然とみるかも知れない。しかし表証の一部始終の動きが見えている僕には分かる。これは必然だ。
表証による寒邪が取れた。だから魔法瓶状態が解除され、邪熱が冷めたのである。
病の本体である邪熱が取れた。だから症状が消えたのである。
表証が取れても邪熱が取れなければ、症状は持続していただろう。
邪熱の存在を証明する決定的証拠は「氷を食べる」という行為である。邪熱が激しい人はこれをやる。2年ほど前に月経が止まらず大出血を起こし、ドクターから “血が空っぽです” と言われたときも、氷食べが止まらなかったのだという。この出血は迫血妄行である。今回の下肢の症状でも、少し前から我慢できず氷を食べていたというのだ。それほど邪熱が強くなっていたのである。5月に入ってから暑くなったということも関係するだろう。もともと内熱 (邪熱) があると、外熱 (暑邪) の影響を受けやすい。
そしてその「氷」に代表される冷たい飲食物の多量摂取が、寒邪に取り囲まれる表証の原因となる。
一連の問診、治療 (言葉による指導) 、そして寛解という結果から、右下肢の痛みと脱力は、邪熱を中心とした病因病理であることがハッキリした。
脚の角度によって激痛が出たり、夜間痛があったりするのは瘀血であると言ったが、これは血熱致瘀 (血熱血瘀) で説明できる。ただし正確には血熱ではなく、気分の邪熱が営血分に迫ったものとするほうがロジックがある。
力が入らないのは邪熱によって右下肢に部分的気虚を起こしたからだ。
そして、この邪熱が逃げられないように囲い込んでいる障壁、それが寒邪である (表証) 。ぼくはこの寒邪を取ったのだ。だから邪熱が逃げた。
もう一つの重要事項は、この表証は急性であったということである (上段で説明済み)。だから「言葉かけ」で表証を取って、それだけでどう変化するか様子を見たのである。
このような説明を、山本鍼灸師に丁寧にしてあげた。
実例がもっとも勉強になるのである。
今後、こういう説明を素人の方にも分かるように、愛情と熱意を込めて話せるようになって欲しい。そして患者さんが心を開いて “この体を診て下さい!” と言ってくれるよう、そしてその臨床の中で、たくさんの苦労と試行錯誤、そして成功を経験していって欲しい。
勉強熱心。センスもある。
ただし人を扱うのが下手。
僕の元で勉強がしたくて青森からここ奈良にやってきた。熱意は一級品。
キラリと光るものは隠し持っている。両手でその砂を掻き分けて、ゆっくりでいい。時間をかければいい。
輝きを放つのである。
寺尾さん (臨床助手)
ブログ拝読させていただきました。
この度は大変お世話になりました。
今までの経験で3位くらいの寝られないくらいの痛みだったので感謝しかないです。山本さんも大畑さんも院長に治療していただいている方なので私とは向き合い方が違うだろうと思っています。こんな人が働かせてもらっていて大丈夫なのでしょうか?
私なりにもう少し体と向き合わないといけない時期にきてるのかなぁと反省している所です😓
山本さん (臨床助手・鍼灸師)
ブログ拝読いたしました。寺尾さんの治療を断ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。こういう所で少しでも力になれなかった自分が恥ずかしいです。今回の自分の至らなさをハッキリと痛感するとともに、僕の成長を思う院長の愛情を感じたように思います。
今回の事を踏み台に、困っている人にもっと寄り添える心を培っていけるように成長して行きます。
大畑さん (臨床助手)
院長のブログ読ませて頂きました。
ブログを読んで私が一番感じたのは、患者さんへのお声がけ、言葉の大切さです。
私自身が長年患者として眞鍼堂に通わせて頂いているのは、院長が私の体を分かってくれているという信頼があるからであり、その信頼は数々の院長との言葉のやりとりから生まれたものだと思っています。
今は、微力ながらスタッフとして患者さんと関わらせて頂いているので、眞鍼堂で気持ち良く過ごして帰って頂けるよう、スタッフとしてのお声がけや接し方を考えながら動いていきたいと改めて思いました。
美恵さん (主任・受付)
いつも院長を見ていて思うのは、患者さまにもスタッフにも同じように全力で向き合い、大切に思っているという事です。もちろん私もそうです。患者さまもスタッフも同じくらい大切な存在です。
みなさんのコメントを読んでいて思ったのは、みんな同じ方向を向いているという事です。
寺尾さんは「山本さんと大畑さんは自分とは向き合い方が違うだろう」と言っていましたが、私はそんな風には感じないです。
患者さまのために、ここで一緒に頑張ってくれている。
同じ方向を向いていると私は思います。


このように、冗談っぽく切り出したのには意味がある。寺尾さんは患者さんとして此処にいるのではない。だからいきなり真面目に行くと身構えてしまって話が通りにくい。通そうと思えばフランクに行く必要があり、だから結果が得られたとも言える。目的は達成されればそれでよい。その場の状況にあわせる柔軟性である。
そして以下のように真面目な口調に変えていくのである。こっちのペースに相手を引っ張り込むのである。