感染症をはじめとする急変、それは持病の悪化あるいは好転のどちらにも転がる可能性をもつ。
ほんの些細な不安が、悪化へと転がっていく後押しをする。
ほんの些細な安心が、過去のトラウマから脱却するほどの展開を生み出すことがある。
21歳。女性。
1診目…6/30 (月)
2025年6月30日。この日までは体調良好で経過していたが、昼過ぎから急に、吐き気と下痢。
- 7:00 朝食はいつも通りだった。
- 11:00 吐き気。腹部に違和感。
- 11:30 吐き気。軟便。
- 12:00〜 下痢 (水様便) 、10分に1回。
- 13:00 吐き気おさまる。食欲が戻ったので昼食。
- 13:30〜 下痢 (水様便) 、20〜30分に1回。
現在14:30、当院に来院。
下痢が続いている。少し腹痛。
吐き気はあったりなかったりする。
発熱はない。脈は浮いていない。
ここ最近で「内生の邪気」を急増させた形跡はない。なぜなら短期邪気スコアは安全域である。つまり、日々の生活の不養生が原因ではないということである。
こういう場合、まずは食あたりを疑う。診断は裏内庭で行う。ここに実の反応があれば食あたりで確定だが、反応がない。よって食あたりは否定できる。
つぎに感染症 (カゼ…上気道感染症や感染性胃腸炎) を疑う。診断は脈診で行う。脈が浮いていなければ感染症ではないとするのは間違いで、浮いていなくても感染症である場合がある。診断するには、脈の最も “うわっぺら” すなわち浮位で診る。浮位の “したっぺら” に、推進力が「逆方向の脈」の確認を行う。これがあれば感染症であると確定する。僕独自のやり方である。
で、その「逆方向の脈」が確認できた。
よって感染症である。
この脈を消せばよい。
つぎに、この頻繁に起こる下痢はどうか。梁丘に実の反応がない。つまり、矛盾する下痢ではないということだ。矛盾しないとはどういうことかというと、今は必要な下痢であるということである。感染症をきっかけに腸胃に発生した邪気を排出するために、下痢させているのである。吐き気もそういうことである。よってこれらを無理に止めてはならない。陣痛や出産を止めてはいけないのと同じことである。特に下痢は、邪気の排出の比重はここにあるのだから重要である。体が頑張って邪気を排出してくれているのであるから、この下痢を毛嫌いしてはならない。下痢を止める必要はない。
「熱はないけど感染症やな。下痢はウイルスみたいなものを外に出すのに必要なので、下痢してていいんですよ。安心してもらっていいです。」
百会に3番鍼で1分間置鍼。
上記の脈が正常となるのを確認して治療を終える。まず、これで大丈夫である。ましになってくるはずだ。
「もし、まだ体調が戻らないようなら次回の予約を待たずに、電話して来てくださいね。」
2診目…7/3 (木)
電話…7/3 (木) 午前9時
ところが3日後、7月3日午前9時前、お母さんから電話があった。
食べられない、動けない。だからまだ寝ている。
前回治療後からずっとこの状態なのだが、どうしたらいいか…と。
ずっと? …効いたはずだ。何かある。そこに興味がある。だから慌てない。
今すぐ来院できないか聞いてみると、本人は動けないし、お母さんは仕事だしで、無理だという。
ならばそれ以外の回答を与えるしかない。
現在午前9時前、朝食を摂らずにまだ寝ているのはよくない。よって起きて食べるよう指導した。起きれない…というので、起きれないなら寝たままでいい、白米ひと粒でいいから (手を合わせて) 食べるよう指導した。昼は食べたくなければ食べなくてよい。
この日の午後4時30分に予約となっている。それまでは何とかやり過ごしてください…と指導し、電話を切った。

だがおかしい。
前回治療後で感染症の脈証は取ったはずだ。しかも、治りが悪ければ電話して飛び込みで来てくれと念を押した。にも関わらず、なぜ「前回治療後からずっとこの状態」なのか。
何かある。もう一度連絡を取ろう。お母さんにではなく、本人にだ。本人の携帯に電話をすると、お母さんが出たので本人にかわってもらった。前回治療後からずっとこの状態ならば、なぜ翌日に電話して治療を受けなかったのか聞くと、実は、いったんマシになったのだという。マシになってきたので、このまま治るかなと思って7/1 (火) は電話しなかった。7/2 (水) に動けなくなったが、休診日なので電話できなかった。それで今日なのだという。
経過を聞いてみると、以下の通りだった。
- 6/30 (月) 治療後すぐに吐き気がおさまり、食欲が回復して食べることができた。ただし下痢は続いている。
- 7/1 (火) 下痢はあるが食欲があり調子よかった。しかし夕食後、吐き気が出る。気持ちが悪い。
- 7/2 (水) 朝から動けない。食べられない。休診日なので電話できず。
- 7/3 (今日) 動けない。食べられない。
下痢が続いているため、経口補水液 (OS-1) を飲んでいるという。これは間食になるので、普通の白湯か番茶に変えるよう指導する。脱水が気になっても無理に飲んだりせず、ただし時々は口を潤してみること、それでもし美味しいと感じたらゴクゴクやればいいし、嫌だと感じたら飲まなくていいと指導した。
この飲み方は僕流の脱水の対処の仕方である。飲み過ぎ (無理に飲むこと) は、たとえ白湯であっても腸胃を冷やすので良くないし、すぐに小便として流れ出てしまう。
少量で良い (一粒でもよい) からおかゆ (あるいは白米) を食べることが僕流の脱水の対処法である。おかゆを食べると水分が摂れるし、場合によってはノドが乾いてさらに水分が摂りやすくなる。おかゆとともにに摂った水分や、ノドが乾いて摂った水分は、小便として流れにくく体に保持されやすい。
塩分がほしければ梅醤番茶あるいは梅酢をお湯で薄めたものを飲むといい(間食にはならない)。何も受け付けないときは玄米スープ (玄神) もいい方法である。これらを飲むときは、美味しいと感じることが必須である。美味しくないのに無理に飲んでも逆効果である。ちなみに一粒の白米の効能に気づいてからは、玄米スープでなくても白米で十分対応できている。
とりあえず、前回治療は効いていた。「前回治療後からずっとこの状態」ではない。いったんマシになっている。ではなぜ再び悪化したのか。
診てみなければなんとも言えないが、ここにヒントがあると直感した。
2診目…同日 (木) 午後4時
16:30、予約通り来院。
診察室でスタッフに不調を訴えている。
診ると、ぐったりして元気がない。表情がない。
まず表証はない。
感染症の脈証もない。
食あたりでもない。
ただし。
短期邪気スコア (短期邪熱スコア) が異常域にある。邪気の種類は邪熱、スコアは第1肋間 (或中) である。これは1診目 (6/30) にはなかった。新しい邪熱を、前回治療後から今日までの間に生み出したのである。邪熱を生み出した原因は?
「前の治療後は、いったん食欲が出たんやな?」
「はい、でもちゃんと良くなったわけではなくて、水みたいな下痢が続いていました。」
「それが不安やった?」
「飲んでる量より下痢で出ている量のほうが多いんです。」
「他の人はどう言うか知らんけど、そんなに簡単に脱水 (危険状態) にはならへんよ。0歳児の赤ちゃんがね、熱を出したんですよ。僕の子供なんやけど。で、その頃の僕はヘタレで、治せなかったんで、妻が病院に連れて行ったわけ。そしたらその先生何を思ったか、いきなりお尻になんか突っ込んで、大量に大便を出されたらしいんです。で、その後、熱が下がるかって言ったら全然下がらず、結局24時間何も飲まず、何も食べず、ずっと寝てた。かなり心配したけど、それでも急変もせず、翌日から少しずつ食べれるようになって回復したんです。それでね、そのとき学んだのが、お腹の中が空っぽで、しかも24時間何も口にしなくても、それでも大丈夫なんやって。まだ10kgもない赤ちゃんですよ? 生命力って強いんですね。」
表情が変わる。
すかさず短期邪熱スコアを確認する。正常域に戻った。
原因はここだ。
「今ね、新しく生んだ邪熱が消えました。今の気持ちですよ。この気持ちでいれば治ります。」
「なんか、先生の話聞いてたら、お腹すいてきた(笑)」
そうである。もう夕刻だ。
「なんか、前に入院していた頃を思い出してしまって…。食べられないとか飲めないとか、下痢が出るとか、体重が減るとか、それがすぐ不安になってしまうんです。」
中学から摂食障害を発症し、高校の頃には体重が26kgにまで落ちた経験を持つ (現在43kg)。当時彼女は、精神科に入院し、閉鎖病棟の保護室に閉じ込められ、ロープで縛られながら食事を強要される生活を送っていた。
「そらそうや。不安にならないほうがおかしい。それでいいんやで。」
その不安が邪気 (邪熱) を生んだ。その邪熱が気を傷つけて、いったん回復しかけていたのに再び食欲がなくなり動く力をも傷害したのである。さらにその邪熱は陰をも傷つけた。陰とは「やすらぎ」「おちつき」「くつろぎ」のことである。
つまり、安心・安静である。この2つはどんな病気であっても治る土台となる。病気が治せないのは、この「陰」をチャージできていないからである。本ブログでは奇跡とも言える症例を多数公開しているが、そういうことができる理由は「これ」にある。医療者全員に問いかけたい。貴方は「これ」を与えることができていますか。
自分の立場を守るために不安を煽るような言葉を与えるなら、それは医療者失格だ。
当該患者は、ものごころがついた頃から、あれこれ考えて完璧な答えを出そうとする性質がある。それは知的で頭の良さを生み出すことともなるのだが、いったん歯車が狂うと不安から抜け出せなくなるという側面にもつながる。これは彼女の特質である。この特質があるからこそ、簿記2級に合格したのである。じつは当該患者は、最近アップした 半身不随「車椅子」、治療3ヶ月「駆け足」 の女性である。そんな彼女が、手が動くようになってからの数ヶ月で、しかも独学で合格したのだが、それがどれだけ凄いことか。その凄さは、この特質があってこそのことである。そして、そういう長所を育てたのは紛れもなくその家庭環境である。ご両親は、まっすぐに育てられたのだ。
ただし、一方でこの特質は、下手に手綱を引くと裏目に出る。肯定していいところまで否定すべきではない。ここが難しいところであり、心配のあまり本人と一緒になって不安になってはならない。「前回治療からずっとこの状態」とは、世の中の大多数の人がそのように表現する。だからそれでいい。だが、この子に関しては、この子の特質に照らし合わせるなら、その考え、その表現は適切ではないのである。この彼女の特質にプラスして、こういうほんの些細な不安が、ほんの些細な否定が、今回の悪化だけではなく、メンタル・フィジカルがあそこまで重症化した理由であると考えられる。
ぼくは「よけいな不安」を取り除き、「ひつような不安」だけを残したのだ。
それを成功に導いたのは、まちがいなく彼女の素直さ、まっすぐさである。
まっすぐに信じたのである。
来院時はヨタヨタ歩いていたが、治療後はもうスタスタ歩き、笑顔であいさつして帰っていった。
3診目…7/7 (月)
元気に来院。
- 7/4 (金) 下痢が止まった。ご飯が美味しい。ウォーキング (1時間30分) がゆっくりだができた。
- 7/5 (土) 元気になった。下痢なし。食欲が元に戻った。ウォーキングがいつも通りできた。早足で行うよう指導している。
すごくいい笑顔で、口を切った。
「白米が美味しかったんです!」
ロープで縛られ炭水化物を強要された過去がトラウマとなって、白米などの炭水化物があまり食べられない。当院は主食として白米を推奨しているが、当該患者には無理に食べなくていいと指導している。
「こんな白米が美味しいって感じることなんて、いつぶりかなって…。たぶん小学校の時以来です! いままでは無理して食べてるところがあったんですけど、今回胃腸を壊してぜんぜん食べられなくなって、それで前回治療してもらって急に食欲が戻って、ああ、ご飯ってこんなに美味しかったんや…って思えたんです!」
陰から陽への転化。陽はまた昇る。

そうだ。それでいい。体は、〇〇ちゃんのことを正しく導いてくれている。今回の胃腸の感染症にしても、それはつらかったかもしれないが、それを正しく乗り切ったのだ。また一つたくましくなったのだ。からだも、こころも、だんだんと。
「そうかー。それはよかったなー。先生も嬉しい。一度そういうことがあったら、またあるよ。いつもそうでなくていいから、でも、大きなものを得たということ、何かを乗り越えたということは確かな現実やで。」
安心できないこと、たとえば感染症である。それを乗り越える。すなわち…。
安心を得る。
安静を得る。
そのなかで、陰を得る。
これがいかに得難いものか。「信」が強くなければ得られないのだ。
そして、しゃがんだ後の飛躍 (陽) がやばい。感染症は短いプロセスで飛躍を得るチャンスであり、今回それをモノにしたのだ。
そうだ、病を得てこそ我々は強くなっていくのである。
平脈の構造はホースを流れる水のようであり、ホースの上側が浮位であり、下側が沈位であり、真ん中の水が流れる部分が中位である。浮脈とは、浮位にホースの真ん中があるものを言い、沈脈とは沈位にホースの真ん中があるものを言う。
ただし傷寒論 (中医学の起源) では、単にホースが太くて浮き上がって見えるものも浮脈としている。つまり、中医学の「浮脈」は、脈の構造が根本的に異なるものが混在しているのである。中医学脈診理論をまとめたエキスパートですら、脈の構造が見えていないという事実が見て取れる。それほど脈診は難しいのだ。
平脈は、浮位・中位・沈位とも「順方向」に流れる。順方向とは、心臓から指先に向けて流れる脈の方向のことである。「逆方向」とはこれと逆の流れのことである。全体としては順方向に流れているのであるが、浮位のさらに “したっぺら” という、脈の層構造の薄っぺらい一部分が逆方向なのである。この脈を診察するには、三脈同時診法を一瞬で行えるくらいの技術が少なくとも必要である。脈診で順方向の流れを触知する技術がないなどは言語道断、質疑にはこの技術を習得しておられる方にのみお答えしたい。
なお、感染症=外感病 という訳ではない。東洋医学の診断と西洋医学の診断を分けて考える必要がある。内傷病がいかに多いかは、24時間以内に感染症を治す技術のある方ならご存知のはずである。