64歳。女性。2025/4/18診。
京都府中部からここ奈良まで通院されている患者さんである。もともと肺MAC症があるが、毎週1日に2回の治療を行い、ここ1〜2年は進行が止まった状態で薬も飲んでいない (抗生剤不耐性のため) 。
さらにもう一つ持病があり、大腸憩室炎を起こしやすい。今回はそれが出た。前回治療は4月1日で、 ここのところ治療間隔が空きすぎている。最も大きな原因はそこである。
隣のブースで腹痛をスタッフに訴える声が聞こえてくる。
4/14 右下腹痛
4/16 病院で上行結腸大腸憩室炎との診断を受ける。つまり右下腹部に病巣があるのだ。抗生剤 (オーグメンチン・アモキシシリン) を処方される。
現在 (4/18診) 、発熱あり、右下腹部痛あり。空腹感なし。
歩くと右下腹部に響くので、ゆっくりとしか歩けない。診察室に向かう足取りもヨタヨタしている。
そんなに痛いか。気を付けて診なければ。
腹診の際、ブルンベルグ徴候を確認する。
「 (腹を押さえて) これ痛い?」
「いえ、痛くないです。」
「もう少し抑えますよ?」
「痛くないです。」
「ぱっと離しますよ?」
「はい。」

その瞬間、
「痛い!」
院内に響き渡る叫び声。
右腹部だけでなく、左腹部でも同様にブルンベルグ徴候がみられた。
間違いない。腹膜炎だ。しかも腹部全体に波及している。
こんな状態でなんで入院していないんだろう。
ともかく、京都府中部からここ奈良まで来てしまっている。この場でなんとかしなければならない。
ただし今まで、腸閉塞 (イレウス) ・胆石疝痛・尿管結石などの発作期を治して来た経験から、あるツボに着目すべきことは心得ている。
内関である。これは僕独自の診立て方である。



はたして左右の内関に実の反応が見られた。これを消せばいい。その消し方は…。
鍼ではない。
養生である。
「〇〇さん、この腹痛はね、ただの腹痛じゃないです。14日に腹痛が始まっていますが、その前日に食べすぎたとか変なものを食べたとか、そういう問題ではないんです。普通の腹痛はそういうものなんですよ? つまり1日単位の問題なんです。1日単位の問題は、ある日食べすぎた、そしたらお腹が痛くなった、だから2〜3日気をつけた、そしたら治った…となる。しかしこれは、1年単位の問題が出てきています。」
「1年単位ですか。」

「そうです。1日単位ならば昼と夜ですね? 1年単位は夏場と冬場なんです。夏場は春分から秋分までの日の長い時期、冬場は秋分から春分までの日の短い時期のことを言っております。このバランスが狂ってしまっている。バランスというのは、夏場は活動的で、冬場はそれに比べて休息的であるべきというバランスです。冬場に比べて、もう活動的にならなければならないのに、〇〇さんはそれができていない。ただし闇雲に活動すればいいというものではないんですよ? 当院で脈診から割り出したウォーキングですね、「できるだけ」ができていない。頑張ってやってみましょう。」
発症が4月14日、春分は3月20日、春分前後であることは、偶然ではない。
「ウォーキングですか、でも歩いただけでお腹が痛くて…。」
「ゆっくりでいいです。歩幅を短くして下さい。 (ちびちび歩いて見せながら) こんなふうでいいんです。でもこれを外でやると、他人から指を指されてしまいますね?笑 ですから室内でやって下さい。」
「ああ分かりました。やってみます。」
この瞬間である。内関の反応が消えた。
ブルンベルグ徴候を確認する。
「 (押さえながら) これ痛い? 」
「痛くないです。」
「もっと押さえますよ。これは?」
「痛くないです。」
「ぱっと離しますよ?」
「 (身構えの表情で) はい。」
ぱっと離す。
「あ、痛くないです。」
「そうか、よかった。」
決意である。正しい決意である。ウォーキングを毎日、丁寧にやっていこう。その決意が、腹膜炎を即座に消し去ったのである。こんなこと、ありえない。世界中の医療者全員がウソだと言うだろう。しかし、それが本当のことだということを僕と〇〇さんだけは知っている。ありえないのは腹膜炎がその場で消失したことではなく、腹膜炎の原因がウォーキングを怠ったところにあるのだという着眼点である。
初診時はほとんどの患者さんで、ウォーキングはしてはいけない状態にあります。この生命力だとかえって負荷になると脈診を通して体が言ってきます。運動はしていい場合としてはいけない場合があるので診断を待って下さい。誤解のないようにお願いします。
抗生剤投与でなお消えなかった炎症を、言葉一つで消したのである。
百会に金製古代鍼を数秒かざし、治療を終える。
その後5分間ベッドで休憩してもらう。その後、着替えて受付にまわるようスタッフが促している。歩く姿を確認する。来院時は腰をかがめてヨタヨタ歩いてきたが、いまは体をまっすぐにしっかり歩けているのである。
この日は1時間ほど空けて、もう一度治療することを勧めた。
2度目の治療は、百会に5番鍼、10秒置鍼。
さらに体を整える。
8日後 (4/26) 、来院。
「あれからすぐに痛みがなくなりました。ウォーキングもできているし、食欲もいつも通りです。」
前回治療の帰りは昼下がり、すぐに食欲が出てきてコンビニおにぎりを食べた。
帰宅後の夕食は、柔らかめの白米と銀鱈味噌漬け・だし巻き玉子のあんかけ・味噌汁・漬物を食べた。
翌朝の朝食もご飯に味噌汁と漬物。
その後も問題なし。腹痛は出ない。
つくづく体は、成長を求めている。人間は、動ける (動くべきである) のであれば、動かなくちゃダメだ。ウォーキングをしようという決意とともに、体は〇〇さんのことを一旦信用した。そして今、その決意を試しているのである。その決意が続くかどうかを。
その決意がゆるんだ瞬間に腹膜炎が起こるであろう。
そう注意を与えつつ、ふたたび平穏な臨床を続行中である。
決意とは、約束である。約束ほどこの世に大切なものがあろうか。これが破られた瞬間、コニュニティーの和合は瓦解する。家族関係しかり、友人関係しかり。そして、もっとも大きなコミュニティーとは世界である。世界の和合とは世界平和である。最も小さなコミュニティーとは「こころ」と「からだ」の共同体である生命である。生命の和合とは健康である。

体とは人間である。
この僕のことを、〇〇さんのことを、愛して止まない「他人」。

それが体である。
厳しく、そして優しく、我々のことを守ってくれているのである。
本ページを書いていて気づいたのだが、この日4月18日とは増床移転オープンの日であった。ぼくの疲れはピーク、まだ慣れない環境。そんな日にこんな重症患者を治していた。そういうことを全く考えずに臨床に没頭していたのだ。あらためて驚いている。