大谷選手の華やかな活躍を目にして、醫者にとってのホームランって何かなって思ったことがある。そのときはこう思った。やっぱり重病や難病を治して見せることだろう…と。
ただし僕は、そういう結果をあまり考えない。今日、この患者さんに対して力をふり絞れたか。患者さんに何かをしてやれたか。それしかない。今日できること、今やるべきこと、そこにしか興味がない。
こんなに興味がない人はあまりいないかもと思う時、だから勝負強さがあるのかなあと思ったりもした。思った以上に、予想をはるかに超えて、奇跡じみた治療結果に出会えているからである。
そんな僕が、全く予想もしなかった「結果」に出会った。
〇
分刻みをこなす診察中のことだった。僕のパソコンに封筒が置いてある。
スタッフ兼妻が前にいたので、これ何? と聞いた。
「〇〇さんが、くれはったんです。」
“治療中に直接お伝えしたかったんですけど、先生が忙しくしておられるので、お手紙にしました” との言付けであったらしい。
思わず封筒を開いた。

ぐっと胸に迫る。顔がゆがむ。
そんな僕を見て妻も顔をゆがめる。
「読んだ?」
「うん、読みかけたけど、 “あかん、泣いてまう” と思ってやめた。」
たしかにやめたほうがいい。多忙で泣きながら働いている人がいたら経営者としては人目がはばかられる。
後で聞いた話だが、別のスタッフの方もそんな妻を見て、
「あかん、もらい泣きする…」
と言っておられたらしい。え、中を見てもないのに?
ついでに帰宅後、娘にも見せた。すると “あはっ” という声。
なに笑ってんだ?
顔を見ると、やっぱり顔をゆがめていた。
本当に、いい人に囲まれているのである。
〇
2022年10月が初診だった。
太ももからふくらはぎまで、両下肢ともパンパンで異常に硬かった。重さと痛みがあり、歩行につらさを感じる。
初診の僕の長い話を、一つ一つすんなりと受け止めておられたことが印象的である。
百会に一本鍼を打つと、パンパンの下肢があざやかに緩んだ。
経過は良好だった。
しかし2024夏に急に脚が痛くなり、歩けなくなる。松葉杖が必要な状態だった。障害児支援の教育者としての仕事が危ぶまれた。だが治療と並行しながら淡々と乗り切られた印象がある。
もともとの下肢の異常な硬さは取れたものの、僕の手で下肢に触れると奥の方に言い知れぬ循環の悪さを感じていた。それが出たのだろう。出たのは悪いことではない。押し入れの奥の方に詰め込んであった痰湿や邪熱が、出てきたのである。出てきたのは、部屋が片付いてきたからである。部屋が片付いてもないのに、押し入れの整理をしようなどと誰も思わないだろう。
この整理は大切である。詰め込んだままで放って置いても、いずれ扉がひらく。整理整頓ができていないのに扉が開くと、いずれ、今以上に大きな雪崩 (大病) となって押し寄せることになる。夏から急に脚が痛くなったのは、大きな雪崩を防ぐための小さな雪崩である。先を見越して、体が整理整頓を始めたのである。夏休みの時間に余裕のある頃合いを見計らって、それを始めたのである。
その確証をもって説明した。
それを、やはりすんなりと受け入れられ、治療を継続されたのである。
だが、見た目には決して劇的な奇跡を起こしたわけでもない。
しかし、この先に起こるべき大難を、小難としてうまく切り抜けた。
僕はそう確信している。
小難でやり過ごした。ぼくはこれこそが “奇跡” であると確信している。
体を深く診察し洞察した結果として、これでいい。
こうやって治療を進めればいい。
“肯定” という診断を得た。
それを、今回もやはり、すんなりと受け入れられたのである。
〇
繰り返すが、見た目には奇跡など起こっていない。
しかし、思いもよらない結果となった。
僕には思いもよらない、「よい結果」である。
重病を治したわけではない。難病を治したわけでもない。
しかし、僕にとってはホームランだ。劇的な。
冥利に尽きるというが、醫者冥利とは何かを考えさせられた。