旅はつづく

智聡 (ちそう) 、日本東洋医学史上、初めて登場する人名です。中国大陸からの渡来人で、医学書や経穴図を日本に持ち込みました。来日が562年ですから、聖徳太子も生まれていない時代のことです。三国志に登場する呉、そして老荘思想などを特徴とする六朝時代にルーツをもつ、呉人 (くれひと) の一人です。

その人物が、人知れず祀られている小さな祠 (ほこら) があります。いわゆる「村の鎮守の神様」、そうなるところまで時代は流れ風化した。ですから、村の住民すら知りません。もちろん知る学者もいません。呉津彦 (くれつひこ) 神社、飛鳥の小さな集落で彼の偉業はひそやかに守られています。

そんな祠のまわりが僕ら子供たちの遊び場でした。何も知らずにそこに生まれ、育ったのです。

幼少期から、なぜか医学が好き。大きなドクロが表紙を飾る図鑑を常に持ち歩いていたり、学校の授業が待ちきれず高学年の理科の本を読みあさったり、でも西洋医学には興味が持てず、なぜか12歳の時に鍼灸をやろうと決心したり。

そんな変わった子供でしたが、今は意味が分かります。血は争えない。

智聡のことを知ったのは40歳のころでした。無我夢中で調べ、まとめたのが下の記事、遠い海の向こうの国に渡る決心をした智聡も、相当な変わり者だったのでしょうか。

理由などない。なぜかフツフツと湧き上がる闘志に突き動かされて、まだ見ぬ世界、夢まぼろしかも知れない世界に渡る決心をしたのです。

562年、智聡は倭国の飛鳥にたどり着きました。でもそこで終わりじゃない。みんなを健康にしたい。みんなを幸せにしたい。どこでこの身が朽ち果てるかなど、どうでもいい。海の藻屑と消え去ることなど想定の内にある。一本の鍼で、どこまで行けるのか。

始まった旅は、これからも続くのです。

本年もよろしくお願いいたします。

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