「こだわり」は心のどこから?

僕が投稿した 「こだわり」は自傷行為 に対する各先生方のコメントです。

S先生は、僕がかつて所属していた勉強会の先輩です。

【T先生】

私は、こだわりは『恐れ』から来ているように感じます。

【投稿者】

意識の考察はそもそも難しいので、いろんな考え方があって然るべきかと思います。

『恐れ』つまり、こわくて自分を変えられない人はたくさんいると思います。ルーティンが変えられないなどはそれが当てはまるかもしれません。負担になっていると分かりながら、変えたくてもルーティンが変えられない方がおられますね。

ただし、「こだわり」は自傷行為 で取り上げた「こだわり」は、間違った方向で固まってしまっているものです。誤った「信念」があり、そういう意味ではシッカリした人です。ただし、誤っているので持続不可能です。つまり慢心ですね。

【S先生】

ある人が、何かを「正しい」と言う時は、
・その方が好きだから
・得しそうだから 
・勝てそうだから
という理由で「正しい」と言ってたりして面白いなぁと思っています。
最近は不足感が根っこに有ると感じますね。
変わりたくないのかなぁ

【投稿者】

「すきだから」
「得しそうだから」
「勝てそうだから」
というのは、さきほどの「慢心」も含めて、すべて利己に発するもので、これが「変なこだわり」につながるのしょうか。「私ワタクシ」にこだわれば、「私」を益する行動を取ります。

利他に発するものは「正しいこだわり」につながると思います。「公オオヤケ」にこだわれば「公」を益する行動に出ます。

とはいえ、僕も含めて人間というものは、その行動は九分九厘、利己に発したものだと思いますが…。

【S先生】

・みんなが好きな事をして生きて行って欲しいとか ( << すきだから)
・誰もがwin-winの関係をとか  ( << 得しそうだから)
・どなたも勝ち組になれる様にとか ( << 勝てそうだから)

(このような) 利他にも、その色 (すきだから・得しそうだから・勝てそうだから) が付く感じでしょうか
もちろん「こだわり」でしょうが…あー

仏教の高僧の方々が晩年に語られている内容からも言えることですが、 (こだわりは) 人それぞれの感受性の癖から出ていると思います。つまり、
人生は
・ある方は好き嫌いをなくす事 ( << すき)
・別の方は勝ち負けにこだわらない様に ( << 勝てそう)
・損得から離れる ( << 得しそう)

習慣になっているこれらの生活パターンを「手離す事」が、利己から離れるために大切な事だと思います。

【投稿者】

親は子供がカゼを引いたときなど、身を犠牲にして献身的に看病しますが、自分の子はカワイイに決まっているので、これは利己といえます。他人の子にはそこまでのことはしません。ただし、犠牲心であることに間違いはなく、利他へと発展する素質を持つ雛形であると思います。

「情けは人の為ならず」という言葉通り、他人への犠牲心というのは自らを益するものです。

この道理がよく分かれば、他人のために犠牲になる利他こそが、自分が「いい思い」( << 勝てそう・得しそう) をするために、一番合理的かつ手っ取り早い方法だと気づくのです。健康を目的にする養生法にしても、最も体に良いのは「犠牲心を持つこと」かと考えています。

つまり、利己をトコトン追求すれば、おのずと利他になるのかなと思います。利己即利他。これも陰陽でしょうか。

本当に自分は、何をしたいのか( << すき) 。どうなりたいのか。

ただし、トコトン追求して腑に落ちるまでには、そうとうの勉強や体験が必要だと思います。そういうものを、これからも発信していきたいと思っています。

いつも考えさせられるコメントをいただき、感謝です。

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