だからこそ得られる

感謝などできない。いかなる偉大な宗教家であろうと、感謝ができている人などいない。たとえば「水」は、3日飲まなければ死ぬと言われる。つまり3日に一度命を救ってくれている「命の恩人」である。この一生で、何度水に命を救われたことだろう。そんな大恩人に対して僕は、ちょっと自分の手が汚れただけで、水なんか汚しても良い、この手さえきれいになればいい…という気持ちで手を洗うのである。この行為はローマ教皇であろうと、天台宗座主であろうとやっている。そして、それが人間というものである。

この天地自然から与えられている恩恵があまりにも大きすぎて、我々小さき人間としては、それに報いることができない。見合う感謝などできないのである。

ああ、自分は感謝すらできないのか…。

この時できていることがある。それが謙虚である。

感謝しようしようとする。だからこそ得られる謙虚。この2つの情動がどれだけ体にいいか、体が喜ぶか。人間がそれをどれだけ喜ぶかを考えればいい。人体を「モノ」として診ている醫者には想像もできないだろう。

人体は「モノ」ではない。「人間」である。こんな当たり前のことを認識せずに、どうやって「元気」を得よというのか。

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