48 二陽併病、太陽初得病時、発其汗、汗先出不徹、因転属陽明、続自微汗出、不悪寒、若太陽証不罷者、不可下、下之為逆、如此可小発汗、
▶本条文の着眼点
二陽併病は46条でも展開しました。
「其れ」とか「此れ」とか、指示代名詞が多いですね。
44条「太陽病、外証未解者、不可下也、下之為逆、欲解外者、宜桂枝湯、主之、」
44条では、表証がなかなか取れない太陽病は絶対に下してはならない、と述べています。
本条では、陽明証があろうがなかろうが、太陽証がまだあるなら絶対に下してはならない、と述べています。
さて、分かりやすく4つの文に区切って考えます。
二陽併病、
太陽初得病時、発其汗、汗先出、不徹、
因転属陽明、続自微汗出、不悪寒、
若太陽証不罷者、不可下、下之為逆、如此可小発汗、
冒頭で証を示し、赤で示した「先出」「続出」を対比させ、直後の「不~」で韻を踏んで、文の構成はこうだと暗示しています。
着眼点をまとめてみましょう。
▶意訳
訳します。
二陽併病について説明する。
太陽病を初めて発症したとき、その薬 で発汗した。汗が先出したが、徹底しない。
陽明に転属したために、微自汗が続出して、悪寒がない。
もし、太陽証が止まないならば、下してはならない。下すのは法則に逆行している。これ (44条) のように小発汗させるがよい。
もう少し、私見をいれて超訳します。
太陽病 (傷寒と考えれば分かりやすい) を、桂枝湯で発汗したが、発汗が不十分でまだ治癒しない。
いちど微似汗が得られたら、それで治癒のはずなのにおかしい。理由は2つ考えられる。
- 陽明に移行したため。陽明病の内熱による汗が少し出て、悪寒がない。微似汗ではなく、陽明の汗だったのである。
- 二陽併病を起こしたため。陽明病の内熱による発熱・自汗・不悪寒と、太陽病の脈浮・頭項強痛・悪寒が混在し、発熱・自汗・脈浮・頭項強痛・悪寒と、純粋な桂枝湯証と間違うような症状がある。
二陽併病の治療方法は桂枝湯である。
▶桂枝湯の汗を発す
まず、「太陽初得病時、発其汗」ですが、「其汗」とは、どの汗のことでしょう。
46条の「此当発其汗」と同じ汗です。
46条「太陽病、脈浮緊、無汗、発熱、身疼痛、八九日不解、表証仍在、此当発其汗 、服薬已、微除、其人発煩、目瞑、劇者必衄、衄乃解、麻黄湯主之、」
〇
46条では、44条を根拠に、「其汗」とは桂枝湯の汗である、と説明しました。本条は、冒頭にも触れたように、後半部分の文面が44条とほぼ同じです。
44条 | 太陽病、外証未解者、 | 不可下也、下之為逆、 | 欲解外者、宜桂枝湯、主之、 | |
本条 | 太陽証 不罷者、 | 不可下、 下之為逆、 | 如此 | 可小発汗、 |
「如此可小発汗」の「此」とは何のことか。これも桂枝湯です。正確には「欲解外者、宜桂枝湯、主之、」、もっと言えば「此」とは、44条の内容全体を指していると思われます。
〇
また、16条で説明したように、「太陽病ですでに発汗させた」という文言ならば、その薬剤は桂枝湯だ、ということを一応前提としましたね。これにも矛盾しません。
16条「太陽病、三日、已発汗、若吐、若下、若温針、仍不解者、此為壊病、桂枝不中与也、観其脈証、知犯何逆、随証治之、」
▶その薬の名は…黙して雷の如し
二陽併病の薬は桂枝湯なのです。このように見ていくと、44条が示す意図が明確になってきます。太陽病は下したらダメだ…と簡単に読み流してしまいそうになるこの文を、もう一度読み直してみましょう。
44「太陽病、外証未解者、不可下也、下之為逆、欲解外者、宜桂枝湯、主之、」
この厳然たる語調が示す大原則は、たとえ陽明証があっても外証未解なら下してはダメだ、桂枝湯が基本であり、そして主薬だよ、という文にも見えてきますね。
張仲景がわざわざ「其」とか「此」とか名前を伏せたのは、「その薬」の重要性を、黙して雷のごとくに訴えようとしたのかもしれません。大きな声で強調するよりも、黙っている方が相手に強いメッセージが届く。
つまり、脈が浮緊であろうと無汗であろうと、外証未解 (ながく外証が取れていない) ならば、麻黄湯よりも桂枝湯が優先される。しかし例外もある。37条です。身体痛があれば麻黄湯の場合もある。だからハッキリ薬の名を言わないのです。
▶二陽併病とは
▶桂枝湯で治癒しない例
二陽併病を考える前に、そもそも太陽病が桂枝湯で治癒しないのは、どういうパターンあるかまとめてみます。つぎの4つが考えられます。
- 麻黄湯証なのに桂枝湯を投与した場合。
- 桂枝湯証だが、すでに10日近く外証が解さないレベルの正気のくたびれがある桂枝湯証。
- 桂枝湯証だが、たとえば 風邪6:寒邪4 のように寒邪の割合が比較的大きい場合。つまり桂枝加葛根湯証など。寒邪は疏泄を邪魔するので、排邪が徹底しない場合が考えられる。
- 24条のケース。桂枝湯証だが、風邪の勢いが非常に強く、桂枝湯で悪化した。鍼で風邪の向きを変え、再び桂枝湯に行って治癒する。≫それが治癒できず、陽明に完全転属したものが26条です。しかしこれは二陽併病とは言いません。
1と2が重要です。
▶二陽併病の病理
二陽併病は、桂枝湯で発汗が足りなかった場合、もしくは太陽病で経過が長引いた場合の、正気のくたびれによって起こるものです。
正気のくたびれは、少陽枢のはたらき…つまり太陽から邪を発汗で排邪するのか、陽明から邪を大便で排邪するのか、どちらか決める機敏さを鈍にさせます。
正気のくたびれによって、相対的に表の風寒は強勢となります。それが太陽と陽明の境界に激突し、勢い余って陽明に響いた。そういう境界の侵され方です。桂麻各半湯・桂枝二越婢一湯のように、境界に直接邪が入る場合は、浅くいく薬と深くいく薬を2つ合わせる必要があり、脈が細く、往来寒熱があるのが特徴です。
1. の麻黄湯証で桂枝湯に行っても正気が疲弊します。一度の発汗で決められないというのは、生体からすると非常な負担です。いちど戦をやったすぐ後に、また戦をやるようなものです。二陽併病は正気の疲弊があります。
▶併病と合病のちがい
太陽陽明合病は、葛根湯・麻黄湯でした。この2つの方剤から考えると、表に関しては実証です。実証は展開が早いので同病 (同時に火事) になると思われます。ポイントは葛根湯証+陽明証 (葛根湯証が無汗なので自汗はない) +「必自下痢」です。内熱を闔によって出そうとしています。陽明証がやや深いことが推察できます。
太陽陽明併病は、桂枝湯です。この方剤から考えると、表に関しては虚証です。虚証は展開が遅いので併病 (火事が燃え移る) になると思われます。ポイントは太陽証+陽明証としての「自微汗出」でしょう。内熱を開によって出そうとしています。陽明証はやや浅いことが推察できます。
ただし自汗はなくとも他の陽明証があれば併病と見てもいいと思います。「必」という表現がないからです。
▶二陽併病は劇症
さて、展開が遅いということは虚の側面があるのですが、それではこの二陽併病は、成書で言われるように、ジワジワと、さして激しくない症状を言うかというと、前後条文の文脈から見て、決してそうではありません。
表に風寒を残したまま、それが裏にドンドン内陥してくる。そのうえ正気が疲弊している。これは重症化して当たり前です。太陽陽明合病や大青龍湯証は実で勝負が早い。それに対して、二陽併病は経過が長くしつこくなるのです。劇症が多く含まれます。追って展開していきます。
▶二度目の桂枝湯の意味
最も気になるのは、桂枝湯で発汗させて併病になっているのに、また再び桂枝湯で発汗させて治るものだろうか…ということです。これに関して、まずは単純にこう考えます。
まず一回目の太陽病にかかります。そして、その汗を発す。つまりセオリー通りに桂枝湯で発汗させます。ところが一度目の桂枝湯では発汗が不十分だった。これは正気が邪気を追い出す力が、すでに少し足りなかったことを意味します。桂枝湯証は桂枝湯証でも、やや正気が弱った桂枝湯証です。 だから二回の桂枝湯が必要だった。桂枝湯は、太陰病の桂枝加芍薬湯に非常に近い。正気を補うのです。
別の角度から見ます。2度目の桂枝湯は44条の桂枝湯であり、太陽中風の桂枝湯とは意味が違うと思われます。
図をご覧ください。2度目の桂枝湯は、濃い灰色「表裏の境界」を境界として、うすい灰色の「広義の肌表」に入り、うすい灰色の「広義の肌裏」に強い影響を与えます。「広義の肌裏」は白虎湯などの範囲で、心煩や高熱などの陽明証となる部分です。
さっき、「▶併病と合病のちがい」で説明したのと同じです。陽明 (気分) の中でも浅い部分が病位となります。
▶甘草の意味
私見ですが、甘草は境界に作用すると考えています。桂枝湯に入っている甘草が「広義の肌表」と「広義の肌裏」をつなぐ役目をします。このように考えると、純粋な表病としての桂枝湯証の発熱は、じつは裏にまたがる熱であり、表の薬として用いていた桂枝湯は、すでに裏熱にとどいていたと考えることもできるかもしれません。
▶臨床での応用
インフルエンザなどでよくありますね。悪寒がきつく、トイレに立っただけで悪寒が倍増する。熱をはかると高熱で、しんどく落ち着かず、食欲もない。とにかく、悪寒が去らなければ良くなりません。
これが二陽併病と診断できたら、桂枝湯で肌表を温め、営陰を衛気に気化し、営陰からジワジワと衛気が皮膚に向けて透発して風寒を散じる。一方で営陰からジワジワと衛気が透発する際に、肌肉にこもった熱も透発散熱する。
重症は、それでも肌肉に熱が残るでしょう。それはまた後で清熱すればいいのです。まず悪寒を何とかすることが大切です。
▶鍼灸
鍼灸ではどうすればいいか。ここまで考察すると、いろいろな発想が生まれますね。これが臨床でのヒントになります。
外関や申脈はまず診ておくべき穴処でしょう。
その後、裏熱が残るかどうかの診断は臨床力が試される場面です。もともと正気の疲弊があるのですから、安易な清熱はできませんね。確信がなければ手を出すべきではありません。
▶麻黄湯のリスクの理由
余談です。
もしこれを麻黄湯でやったらどうなるか。46条のケースで、二陽併病に対して使用は可能でした。麻黄湯は、「狭義の皮毛」にアプローチし、「狭義の肌肉」にまで響いた広範な邪熱を、「広義の表裏の境界」を軸にして取るやり方です。桂枝湯に比べ、はるかに大きな陰陽を動かしていることが分かります。大きく動かすということは、それだけ正気がシッカリしている必要があります。リスクがあることが分かりますね。
36 大青龍湯には、
若脈微弱、汗出、悪風者、不可服、服之、則厥逆、筋惕、肉瞤、此為逆、
とあります。脈微弱とは桂枝湯的な脈で、こういう証に大青龍湯のようなきつい麻黄剤を行くと「逆」になると警告しています。大青龍湯証は外証未解 (10日近くと同等の正気のくたびれがあって外証が解さないもの) ではないので、外証未解ならば麻黄湯でも逆になる可能性があります。
葛根湯は、桂枝湯と麻黄湯の中間で、しかも葛根で胃の気を鼓舞して陽明の熱を発散させながら散らします。やはり、使い勝手のいい薬なのでしょうか。