白米、感謝と謙虚と健康

劇寒の冬、自然を見渡せば木立は葉を落とし、動物や虫の姿は見えず、生き物すべてがその活動を控えています。そんな中、人間だけがガツガツしている。それは自然の法則から外れます。外れた生き方が病気を作っていくのですね。

食事の一口目は、白米だけを口にしてみてください。よく噛んで、よく味わいましょう。その時、目を閉じてください。家族の反対がなければ、テレビなんかついてたら消しちゃいましょう。目を閉じて、モグモグモグモグ、白米を味わうことだけに集中するのです。

僕なんかは、最近よくやるのですが、途中で噛むのを少しやめたりします。するとよく分かるんです。自分がいかに慌てて食べようとしているか。それで、我に返り、フッと落ち着きます。すると白米の味が、甘さが、香りがよく分かる。そしたら、ますます全神経を舌に集中させて、よーく味わうんです。

すると、「ああああ、おいしい…」となる。腹の底までとどく、嘆息とともに。

これが感謝です。

感謝とは? あって当たり前のもの、いてくれて当たり前の人、そういうものを、深く味わう。

例えば空気です。あって当たり前、タダやし。でも無いと困る。そういうものを我々は、深く味わうことなく、毎日の生活をついうっかり送ってしまっていますね。難しいんです。感謝は。

でも、白米を味わうことくらいなら、僕にだってできる。だから、一緒にやりましょう。感謝のトレーニング。

感謝って体にすごくいいんです。なぜか? 当たり前のことですが、体はモノではありません。ではなにか? 動物でもない。人間です。

人間で感謝を喜ばない人がいるでしょうか。

いっぽうで知っておいてほしいことがあります。それは、感謝できている人は世界中に誰一人いないということです。例えばローマ教皇。とても人柄の良さそうな方ですが、感謝できていません。たとえば比叡山の高僧。厳しい修行を積んでおられますが、感謝できていません。

なぜこんな僕がそんな偉そうなことが言えるかと言うと、例えば水です。水って感謝すべきものですね。あって当たり前、でも無いと困る。

水は、3日飲まないと死ぬと言われます。災害時の「72時間」はここからきます。つまり僕は、3日に1回、「水さん」に命を助けられている。3日に1回、じゃあ僕は、この人生でいったい何回「水さん」に命を助けられたんだろう。数え切れないくらいです。命の大恩人。

そんな命の大恩人に対して僕は、自分の手がちょっと汚れたくらいのことで、水なんかどうなったっていい、よごれたってけがれたって、そんなの知ったこっちゃない。この手さえきれいになればそれでいいんだ、という気持ちで手を洗うんです。これって感謝できていると言えるのかどうなのか。そしてそれは、ローマ教皇も比叡山の高僧もやっていることなのです。

何が言いたいかと言うと、この天地自然から与えられている恩恵、それがあまりにも大き過ぎる。空気なんか10分も吸わなければ死にます。われわれ人間は、この大自然にどれだけ依存していることか。その恩恵があまりにも大きすぎて、それに見合う感謝などできない。報いることができない。釣り合う感謝などできない。ああ自分は、感謝ができるようになりたいなりたいと思って白米をモグモグモグモグやっているが、ぜんぜんできてない。

なんと愚かなんだろう。詫びる。

そのとき、できていることがあります。

それが謙虚です。

その謙虚を、体はすごく喜んでくれる。感謝以上に喜んでくれる。なぜか。体は人間だからです。僕は偉そうな人は嫌いです。謙虚な人がいい。仕事を一緒にするのならば、偉そうな人とはしたくない。謙虚な人とならば、一生いっしょに仕事をしていきたいと思う。

体もいっしょです。この謙虚な人となら、一生いっしょに「この生命」を営んでいこうよ。そう言ってくれるはずです。

これが健康です。

そんな哲学、そういものを頭の隅に置きながら、今日から白米をよーく味わってみましょう。

きっといいことがあります。

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