「近い将来たおれる」…死の宣告から1年3か月、今も仕事をしつつ片道3時間かけて通院を続けている患者さんがおられる。脳に肉薄するガンで、巨大化しつつ呼吸中枢である脳幹に迫る。ドクターはそれを死へのカウントダウンと見たのだろう。 >> 末期ガン崩落… 余命宣告もガン中心部が消滅した症例
「僕はそうは思わない」…今日死んでもおかしくないと宣告された2025年3月、そう返答したのは僕なりの根拠があってのことだ。
まず舌を診る。縦に力が有る。この縦に流れる「脈」の有無が決め手となる。
次に関元を診る。こちらも同様である。「脈」が消えていれば逆証である。
今のところ、生きるか死ぬかの判定は主にこの2つの望診で行っている。
しかしそれだけでは足りないので関元の診断を追加した。
他には眼神も診る場合があるが、眼神 (虚ろな目) に出るくらい顕著であれば、たとえば片道3時間以上かけて此処に来ることはできないと考えられる。よって舌と関元である。このどちらか一方に神シンが欠如していれば、死の転帰を取る可能性が非常に高い。
もちろん絶対ではない。これはあくまでも僕のアンテナであって、これに引っかかればそうなるだろうということである。僕が捉えきれていないものに関しては、僕の予想に反する結果となるであろうことを断っておく。あるいは量子力学の法則に逆らえない場合もあるかもしれない。量子力学の法則とは「見てしまうと当たり前の結果にしかならない」ということである。
量子力学 (目に見えないミクロの世界の物理学) の「二重スリット実験」では、粒子 (つぶ;物質) が、光 (と同じ性質の波動;非物質) に変化することが知られています。ニュートン力学などの古典物理学 (目に見えるマクロの世界の物理学) では考えられないことです。粒子をスクリーンに向けて鉄砲のように発射すると起こる現象なのですが、当然の疑問として、いつどのようにして粒 (物質) が光 (非物質) に変化するか知りたくなりますね。だからカメラのような装置で途中経過を見るわけです。すると粒は “見られている!”と察して粒のままスクリーンに到達するという結果 (当たり前の結果) になります。カメラを除くと再び、粒は “見られていない!” と察して光に変化してスクリーンに到達するという結果 (不思議な結果) になります。これは即座に起こる現象です。ガンとは目に見えるものであってマクロの物理学 (古典物理学) で説明できますが、これをミクロの物理学 (量子力学) に引っ張り込むならば、「見ない」ということが重要になります。ガンは物質なので大きさの経過をCTなどで「見る」のが一般的な西洋医学のやり方です。一方、中医学は物質を「見ない」医学であって、皮膚の表面からのみ察して皮膚の奥は見ません。しかし当然の興味として、皮膚の奥で大きくなっているか小さくなっているのか、はたまた消えたのか、途中経過が見たくなりますよね。中医学をやる我々も見たくなります。しかし、そこをあえて見ない。途中経過を「見ない」ならば、物質が非物質に変化してスクリーンに (という不思議な結果として) 到達する。「見る」ならば、物質は物質のままスクリーンに (という当たり前の結果として) 到達する。見るか見ないかで瞬時に結果が変わる。これは量子力学では必然的な現象です。そしてこれは古典物理学では不思議な現象です。こういう実験は試みるべきですが、命のかかった人間で行うのは難しいでしょう。量子力学には「なぜ」が多く存在し、どれか一つでも解明できればノーベル賞がもらえます。その解明を待つべきでしょう。ただ一つ言えることは、古典物理学では説明しきれない (古典物理学では誤りが生じる) ので、量子力学に物理学が進化しつつあるという事実です。そして、この世はいまだに不思議で満たされているという事実です。
不思議は当院の日常です。世界中のドクターが「ウソだ」というでしょうが、僕は腹膜炎 (ブルンベルグ徴候⧻) をその場で治癒させた経験を持っています。さらに40年前に失明した目が鍼をうった翌朝に見えるようになったという経験を持っています。これら「瞬時の変化」に共通して言えるのは、古典物理学では説明できないということです。粒が瞬時に光に変わるのと同じくらい非常識な現象であり、粒が瞬時に光に変わるという量子力学の常識と同じくらい、僕の臨床では常識 (日常茶飯事) であるということです。先日も、狭心症の方が胸の重さを訴えて来られましたが、食べ方の養生指導をしたところ、その瞬間に症状が消えております。粒は粒のままが普通の現象です。つまりAはAのままが普通の現象ですが、A (病体) がB (健康体) に瞬時に変化するということが、僕の臨床では頻繁に見られるのです。少なくとも、古典物理学のステージ上ではないワールドで患者さんを診ているということだけは確かでしょう。そのワールドを貫くことが重要なのでしょうが、僕と患者さんは二人三脚なので僕一人の勝手には行きません。
「見る」か「見ない」かの両極端になるのではなく、まず重要なのは信じるか信じないかという、そもそもの「認識」の部分です。量子も、見られた!と「認識」しているのです。「見る」は認識であり、言い方をかえれば「知る」ということです。「知る」か「知らない」か。それが痕跡として残ることが量子に影響を与える。見たとしても信じなければ「見ていない」のと同じことです。見ていなければ何が起こる…? 上文をもう一度読み直してみて下さい。検査前に騒ぎ立てる患者さんはなぜか結果がよくありませんが、ここの部分が大きいと感じています。ちなみに上記末期ガンの患者さんは、画像を撮る直前も普段と変わらぬ平然とした様子でした。悪性リンパ腫でガンが消えた患者さんも同様でした。
実は、百会でも診ることができる。人中 (水溝) でも診ることができる。会陰や肛門でも診ることができるだろう。これらの内で、舌と関元がもっとも診やすいのでそこを使用しているのである。百会は起きてもらう必要がある。人中は鼻の穴をジロジロ何診てるの? となりやすい。
歴史的に舌は、神シンを診る箇所として知られている。
しかし、関元は僕の見聞では聞いたことがない。

そもそも空間的には、百会と会陰が対応するものだと思っていた。しかし、上図のように百会と対応するのは関元であり、会陰と対応するのは人中であるという結論に至っている。
- 口———肛門
- 人中——会陰
- 百会——関元
- 臍———懸枢
- 中脘——命門
その発想の基礎となるのは、口から肛門にかけての一本の管を中心に生命は動いているという事実である。食べて出すことほど大切なことはない。こういうものを胃の気という。また陽明と言ったり後天の元気と言ったりする。これが軸になると考えた。
しかも口は前にあり、肛門は後ろにある。よってこの管は、S字に湾曲しているとも言えるし、斜めに生命を貫いているとも言える。 >> 東洋医学の「空間」って何だろう

これが地軸にそっくりである。…こういう見方は天人合一思想からくるものであり、中医学の発想の基本である。地軸は23.4°傾いており、これがあるおかげで四季 (四時陰陽) が生まれる。この陰陽あるおかげで、生命は陰陽活動 (生命活動) を行うことができるのである。地軸の傾きがなければ四季が失われ、生命は育たないという仮定で考えたい。
地軸のことを自転軸ともいう。それに対して公転軸というものがある。この2つはまさに陰陽関係にある。地球は宇宙の塵が集まったものであると言われるが、まず太陽の周りを回る公転が起こり、その中で自転が生まれたと考えられている。
これは、空間 (奇経八脈) がまず生まれ、そののち十二経脈が生まれたとする僕の持論と符合する。 >> 奇経八脈って何だろう
十二経脈が生まれる前とは精 (陰陽未分) の状態である。つまり自転軸が生まれる前は陰陽 (生命) はまだ活動できない状態だったのである。
ポイントはここからである。たとえば夜寝るときは生命は精 (陰陽未分) の状態に戻り、摂食行動 (陰陽活動) は失われる。そして朝が来ると再び摂食活動を再開して陰陽活動が生まれるのである。つまり生命を地球のような「軸」のあるものと考えるならば、その軸は夜は公転軸にかさなり傾きはなく、朝になると軸が傾き自転軸となるのだ。
このようにして生命は精の状態に戻ったり、陰陽の状態に開いたりしながら、精を使い果たすことなく陰陽活動を持続するのである。
公転軸が衝脈 (奇経) 、自転軸が陽明脈 (正経) という仮説は、公転が大きなスケールを持ち、自転は小さなスケールであるということと、 “深湖”《難經・二十八難》が大きなスケールであり、“水道” (河川や水路) が小さなスケールであるということにおいて、符合が見られる部分に重要性が確認できます。
この公転軸、もしくは自転軸のどちらかが失われれば、生命活動は停止する。それが死である。
公転軸とは衝脈である。
自転軸とは胃の気 (後天脈気=陽明脈) である。
そしてこの2つは、その傾きによって衝脈になったり陽明脈になったりする。2つにして1つ、1つにして2つの関係にある。
傾いたり戻ったりするのではなく、生命力が衝脈にシフトしたり陽明脈にシフトしたりしていると捉えてもいいでしょう。
そのどちらか1つでも脈気が途絶えれば死ぬ。
だから舌と関元の両方を診るのである。
この診断に不可欠なのは、望診で脈を診る技術です。望診で脈気を診るのは非常に難しい。簡単なのは橈骨動脈で脈気を診ることです。いきなり望診に進まず、まずは手首の脈診に励んで下さい。三脈同時診法ができることが必要最低条件です。その感覚が基礎になって望診が可能になります。
舌 (口) を診るということは、肛門を診ることにつながる。よって肛門は診る必要がない。これは胃の気 (陽明脈) を診ている。その代替として、口の上 (前) にある人中、肛門の上 (前) にある会陰でも診ることができる。
関元を診るということは、百会を診ることにつながる。よって百会は診る必要がない。これは衝脈を診ている。
よってこれら穴 (竅) および穴処はすべて、神シンの有無を診ることができる。ただし陽明脈と衝脈の両方の脈が存在して始めて神シンありと診断できる。
これら以外の重要穴処…中脘・神闕・命門・懸枢・眼球には、それらの脈 (陽明脈・衝脈) は確認できない。よって中脘・神闕・命門・懸枢・眼球では、それらの脈の有無による診断に限っては、神シンの有無を確定できないという仮説を立てることとする。


まず最初に舌で診断できるようになった。 >> 逆証 (死の証) とは… 舌に映じた「神シン」の考察
さらに、舌の診断から予言したことが現実となった経験を得て、実際の運用が可能であることを示した。 >> とめられなかったガン… 逆証 (死の証) 鑑別診断の実際