見えていない

「先生は何か見えておられるんですか? 」そういうご質問を患者さんから受けることがある。

断じて見えていない。ただし感じるのである。それは花を見たら美しいと感じ、喜ぶ人の顔を見たら“喜んでいるんだな”と感じるのと何ら変わらない。しかし、たとえば動物や魚がそういうものを目にしても、そうは感じ取れないだろう。そういう感覚が、人間よりも劣っているからである。

最初は“さわる”。触って感じる、これが基礎である。その訓練をたゆまず続けていくと、だんだんその感覚が高度なものに押し上げられる。20年、30年と続けていくと、その訓練をしていない人 (素人) には、逆立ちしてもマネが出来ないところまでくる。あたり前のことを言っているだけである。

ぼくは、プロですら逆立ちしてもマネできないところまで技術を上げたい。安心が得たいのである。そのためには自信が必要である。そういうものを身に帯びていなければ、大切な患者さんの体と命を預かれないではないか。

「気」の世界との向き合い方
熟練した魚屋さんは、一目見るだけで美味しい魚を見分けます。しかし、どうやって見分けているのか説明を求められても、おそらくできません。言葉にできない。こういうのを不立文字 といいます。これは、まさしく「気」を見ているのです。

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