70歳。女性。神奈川からの来院である。
初診は2023年12月5日。一番気になるのは冷えである。体の芯から冷える。ときどき異常に寒く感じる。足が冷たい。
ところが、間食的にアイスクリームを食べたりビールを飲んだりするのが好きだという。寒いのに、冷えたものが好き。この矛盾こそが本症例の病態把握のための鍵である。
話を聞きながらも、望診による診察は始まっている。ノドボトケの下、天突をチラチラと診る。表証 (表寒証) がある。
寒邪に取り囲まれているのである。周りを寒邪に取り囲まれると、魔法瓶のような状態になる。魔法瓶は熱湯が入っていても、外側にさわると冷たいだろう。この冷たさが寒邪である。そして、魔法瓶だと熱湯 (邪熱) が冷めない。冷めないから冷たいものを入れて冷まそうとする。それがアイスクリームやビールである。冷たいものが舌の上に乗る感覚、喉越しの感覚、それがたまらなく心地いいのである。
ところが、それらを取り込めば取り込むほど寒邪は強くなる。体 (生命) を強く取り囲み始めるのである。そうすると、ますます “できのいい魔法瓶” になる。すると、中の熱湯はますます冷めなくなる。すると、ますます冷たいものを口から入れたくなる。
悪循環である。そう説明した。
表証の養生… 寒邪 (冷え) に取り囲まれた「カゼ」のような病態
冷たいものを摂取してはダメだ。
そういう知識 (理想) をしっかりと持つ。それができた上は、その理想を太陽のように輝かせ、太陽を目指す植物のように、それをしっかりと見続ける。すると勝手にそっちに向かって成長していく。太陽には届かなくていい。成長しているかぎり生き生きしている植物が、健康の見本だと説明する。
関元に2番鍼で5分間置鍼する。抜鍼後、5分休憩して治療を終える。
〇
2診目は12月18日。
診察する。まず、表証が無くなっている。
「前回の治療で、表証 (寒邪に取り囲まれている状態) があるといいましたね。これが今日は見当たりません。治療で寒邪を追っ払っても、1週間も経ったら戻ってくるから、それまでに治療が必要だとも言いましたね。前の治療からもう2週間も経っているのに、戻ってきていないということは、…〇〇さん、よく頑張ったなあ。できるだけの養生・努力をなさったからですよ。」
「はい、先生に冷たいものは良くないと教えていただいて、夕食の支度前に飲んでいたビールを止めたんです。」
「へえ~! すごいやん! なかなかできないことですよ! 」
「ビールのことは、周囲からも言われたことがあったんです。でも止めなかったんです。でも今回、先生に言われて、先生は厳しい方だけど、なぜだかすごく納得できたんです。」
「納得ですか。大切なことですね。ほら、足が温かいですよ。前は冷たかったのに、まだ治療もしていないのに温かくなってきている。それからね。この足 (下腿部) のむくみ、前回説明しましたね。押すと粘土みたいに凹むって。凹んでるの、触って確認してもらいましたね。それが、すごく柔らかくなっている。もう、前みたいに戻りが悪くないので、これくらいだったらもう、触ってもらっても分からないくらい良くなってます。硬かったむくみが、柔らかくなったんです。柔らかいと、循環ルートに乗って、小便として出ていきやすくなるんです。寒邪に取り囲まれていると、冷えてカチカチに皿にこびりついたお餅みたいになって、むくみは取れないんです。逆に寒邪がないと、温まってフニャフニャになったお餅みたいに、流れやすくなるんです。寒邪があるかないかは、とても大きいんですよ。」
「それから、朝ごはんも食べるようにしたんです。その分、前よりも食事量が増えてるのに、なぜか体重が1kgも減ったんです。しかも、大便が前ほど毎日出ないんです。」
「なるほど、食事量が増えて大便が出ないのに2週間で1kgも減るとは不思議ですね。一つずつ説明します。むくみがかなり取れているので、組織にたまっていた邪魔な水が、尿として出ていったんでしょうね。一回に出る尿の量が増えたか、増えていなくても毎日のビールが減ったのに尿量が変わっていないとか、そういうことが考えられます。もしかしたら、腎機能が強くなっている可能性がありますね。此処では、世間一般の常識では考えられないことがよく起こりますから。それで、冷えはどうですか? 初診で、体の芯から冷えて、異常なくらい寒いとおっしゃってましたね?」
「なくなりました。」
「なくなった?」
「はい。」
「そうか。それはよかったなあ。いや、体重1kg分の痰湿が取れたら、かなり温まると思いますね。痰湿の話、覚えてますか? お腹には器があって、飲食したものはこの器に入って、入りすぎるとあふれててこぼれてしまう。下にこぼれたものは、きたなくて臭くてベタベタして、掃除の負担になるだけの、生命力を邪魔するもの (邪気) になるんだと言いました。そして足にこぼれたのがむくみだ、と説明しましたね。」
初診では、問診中に生臭い口臭があったが、今日はまったくない。体が美しくなった証拠である。臭いをかぐ診察は「聞診」といって、四診とよばれる中医学の診察方法の一角をになう大切なものである。
だから僕は感染症が流行っていたころも、常に鼻マスクであった。臭いが嗅げないと、診察もできないし効果判定もできない。そんなことを何年もやって腕が上達しなければ、わざわざ当院まで出向いて治療にお越しになる患者さんに申し訳が立たないではないか。溶接用の革手袋をして手術をせよというようなものである。実際、当院内では開院以来それと分かる院内感染は皆無であり、さらにこの数年の間で僕の臨床力は大きく成長した。診察力・診断力・治療力の向上進歩こそが、最大の感染対策になると考えている。
「痰湿が取れたら体が温まるんです。なぜなら痰湿はそもそも水です。そもそも水というのは熱いものをより熱く、冷たいものをより冷たくします。たとえば18℃の気温は快適と言われますが、18℃の水温の中にいたら寒くて凍えてしまいます。90℃のサウナに入ってもヤケドしませんが、90℃のお湯の中に入ったらただではすみませんね。〇〇さんは、1kg分の痰湿をもっていたので、冬である今は水に浸かっているのと同じように、体の芯から冷えて異常に寒かった。それがなくなると同時に冷えが取れたんです。夏になると暑くて仕方ないとおっしゃっていましたね。これも今の説明で、なぜそうなるか分かりますね。」
「分かります。なるほど。」
「朝食を摂り始めたことも、大きいと思います。痰湿などの老廃物は肝臓で解毒され、胆汁に溶け込ませて腸に行って、ウンチとして出る話、初診でしましたね? 」
「それから米を食べるようになったことも大きいです。米は麦と違って、水浸しの中で育ちます。ああいう環境では普通の植物は育たない。そこで力強く育つというのは、水をさばく力が強いんです。だから痰湿がさばかれて、食べているのに体重が1kgも減ったんですね。」
「それから、大便が毎日出ないことについて説明しますね。冷え性で虚弱な人が体力がついて元気になる過程では、大便が毎日出ないことがよくあります。なぜかというと、虚弱な人は血が弱い。東洋医学いう血は、燃料だと思ってください。これが気 (活動力や温かさ) を生むんですね。血管にそもそも燃料が足りないのに、腸管の栄養物まで気前よく捨ててしまうのは、チャージされた燃料を捨ててしまうようなものです。もちろん何日も通じがなくてお腹が張るとか痛い便がカチカチになるとかあれば、出す必要があります。でも、そういうのがなければ3日や4日放っておいてもまったく問題がない。問題がないどころか、むしろ望ましいんです。これは、虚弱な人が回復過程で必ず見られる現象です。こういうことを否定する先生がいるとしたら、それは虚弱な人を強くした経験がないことを公表しているようなものですね。」
治療は、前回と同じく関元一穴。
今日は午後6時半からの治療であった。今晩ホテルでとまって帰宅するのだという。
二日がかりで、一本の鍼である。
「いま、体がポカポカしています。」
笑顔で院を去っていかれた。