左肩甲間部痛。漬物石が乗っているような痛みがある。
その他、左膝内側痛。日中も痛いが、夜間の自発痛がある。
コレステロール値が高く、血圧が高い。
もともと甘いものが好き。
初診の治療 (百会一穴) で左肩甲間部痛は消失。
また、膝の夜間痛も改善。
日中の膝の痛みはまだ残っており、また体質改善を目的として治療を継続していた4診目の診察時の会話である。
「先生、主人がいま入院中で、点滴にするか胃瘻 (いろう) にするか、病院から “決めてください” といわれているのですが、どうしたら良いでしょうか。パーキンソン病が進行して、食べ物を飲み込むのが難しくなってきているようで…。」
「まず、メリットとデメリットを色んな方々の話を聞いて知っておくことですね。ぼくは跡取り息子で、しかも父が早く亡くなった関係で、祖母の看取りをしたことがあるんです。もう20年も前の話になりますがね。そのときに叔父叔母と話し合って、点滴まではするが胃瘻はしない…ということで全員意見が一致しました。90歳で誤嚥性の肺炎を起こし、呼吸できなくなって亡くなりましたが、人工呼吸器はお断りしました。みんな、父が亡くなった時の経験から、それがいいと判断しました。眠るような最期でした。」
「そうですか…。」
「どのような死を良しとするか、それは個人個人で考え方がちがいますね。だから、よーく考えて、ご主人のご意向を最優先に、ご自分で決めてください。一日でも長生きしなければ意味がないと考える方もあり、自然が決めた最期が寿命だと考える方もあります。ただ、一度胃瘻を始めると、途中で “やっぱり止めます” ということはできない場合がありますから、その点だけは知っておいたらいいと思います。もう食べられなくなっているのに、胃瘻を止めたら命をうばうことになってしまいますから。」
「わかりました。主人とは正直いろいろありまして、パーキンソンになってしまったのも、私にも原因があるのかなあと思ったり、どうしたらいいのかなあと思ってしまって…。」
「いまはご自分の体に向き合うことに集中しましょう。そしてご主人のことは病院におまかせして、その上で胃瘻をどうするかだけをよく考えることです。ご自分の体が不調だと、十分な介護もできないでしょ? まずご自分の体のことを考える。今はそれでいいんですよ。」
「はい、分かりました。」
数日後、5診目。
「先生のブログ、全部は無理ですけど、少しずつ読ませていただいているんです。そのなかに、虎の絵の描いた、 “祈り” のことを書いたのがあったんです。」
この記事である。
「はいはい、ありましたね。」
「それを読ませていただいて、それから入院中の主人のことを祈っているんです。」
「へえ、それはすごい。いいですね。大切なことだと思います。」
「そしたらね。急に病院から、 “ご主人が食べられるようになったから胃瘻の必要がなくなりました” と言われたんです。」
「はああ、そうですか…。」
「急に食べだしたそうで…。」
「それは素晴らしいご経験をなさいましたね。これを偶然と見るか、必然と見るか。ぼくは必然だと思う。というよりも、そう信じたほうが得なんです。相手のことを祈る。相手の幸せを願う。この心に損なことなんて何一つないですよ。たくさん愛を表現したところで、それは無限です。何一つ奪われないし減らない。長年一緒に暮らしているといろんなことがありますよね。でも、たとえつらくて嫌なことがあったとしても、愛によってそれを乗り越えられるならば、それは得なことでしかないです。」
「はい。」
「パーキンソン病は進行性ですから、一度出た嚥下障害が急に回復するというのは、しかもこのタイミングでそういうことが起こるということ、これは奇跡ですね。この体験を踏み台にして、ますます成長していく。きっとご主人も喜ばれると思います。」
「はい、続けてやってみます。」
「僕のブログ、読んだだけで楽になったとか、元気になったとかっていう声がたまにあるんです。こういうことを起点にして広がっていけば、ご主人はもちろん、みんなが元気で幸せになっていけたらいいですね。」
愛のある方である。だが、それを表現できていなかった。
いま、その愛を、目の前にご主人がいなくとも表現されたのである。
願い。
それはかなうようにできている。
ただし行動を起こさなければかなうものもかなわない。
志望校に行きたいといくら願っていても、勉強しなければかなわない。
勉強は、祈り (願いをかなえるための行動) である。
愛を、行動として表現した。
愛を表現されて、喜ばない人があろうか。
その喜びは、いずれこちらに跳ね返ってくる。
これからきっと、いっぱい良いことが起こる。