発達障害は先天性のもので緩解することはあっても治ることはない。これが常識である。ただし、発達障害と間違えかねないよく似たものはあって、グレーゾーンと呼ばれることがある。それを生む環境とはどんなものか、一症例を挙げて考えたい。
1歳10か月。女児。
症状
機嫌が悪くなると泣き止まない。お菓子を与えると泣き止む。半年前から。
治療
左脾兪に金製古代鍼で補法。左行間に銀製古代鍼で瀉法。
その他、母親に子供との接し方について指導する。
治療はこの一回のみ。
結果
泣き止むのが早くなり、機嫌のよい時が増えた。日を追って表情が優しくなった。
ただの “かんむし” ではない
変わったケースの治療依頼であった。
お正月休みで、関東から実家に帰省。間もなく帰路に就くので、一度診てほしいとのこと。
当院もお正月休み。帰省先の実家から依頼があり、この方は20年来の患者さん (当該患者の祖父) で、謙虚な人柄。
にもかかわらず、診てやってほしいとのこと。
切迫した状況が察せられた。
治療は一度しかできない。どうするか。
ただの「かんむし」ではないと直感。お母さんだけでなく、お父さんも来院に付き添ってほしいとお願いした。泣いて問診ができない可能性が高かったし、家族の中で女児がどのような状況にあるか知りたかったからだ。
治療当日。
問診を始める。
その間、診るとはなしに、女児の動き・目・表情を診る。
まあ、よくあるケースだ。機嫌は良くない。こういう状態がここ半年続いているのだろう。
活発 (落ち着きがない) 。目の表情に乏しい。子供独特の好奇心あふれるキラキラした目の表情が見られない。
間もなく、ぐずり出す。お母さんと僕が話をしているのが気に入らないのだろう。これもよくあることだ。
ぐずりながら靴下を脱ごうとする。右足の靴下を脱いだ後、すかさずお父さんが左足の靴下を脱がせてあげた。おそらく、お母さんもお父さんも、よく気が付く方だ。
その後、泣き出す。問診しようにも声が聞こえないので、お父さんに表に連れ出してもらう。
お母さんと二人で、お話しさせていただいた。
必ず成長する
たった一回しかできない治療なので、今日すべてお話しします。普通は、確証をつかんでから、折に触れて徐々にお話しする内容なのですが、今日の一回で決めてしまわないといけないので、外れていることもあるかもしれません、ご容赦ください。
この年齢で、この状態は容認できます。しかし、この状態が小学校になっても続くようだとどうでしょう。発達障害と言われてしまう可能性がありますよね。
子供は必ず成長します。それは、木々が毎年芽を出し、成長してやまないのと同じです。そういう芽を、子供というのは必ず持っている。親の仕事は、その芽をしっかりと見据え、それが成長していく過程を見守ることです。
機嫌をとらない
たとえば、そういう問題を抱えているご家庭で、特に目を引くのは、子供の機嫌を取っているケースです。子供の機嫌をとってはなりません。子供には子供のペースがありますが、このペースに合わせすぎてはなりません。もちろん、子供のペースに合わせてやることは基本ですが、時には大人のペースに合わさせることが重要です。これがしつけです。まったく叱らないお母さんは問題です。叱り過ぎも問題ですが…。機嫌を取り過ぎるとワガママちゃんになるし、叱り過ぎると嘘つきになります。
相手のために
叱る事とイライラする事は、全く違うものです。叱るとは相手の将来のためにするもの、イライラとは自分の都合のためにするものです。後者は得てして注意を与えるべき時に放任で、注意を与えざるべき時にガミガミやってしまいます。愛情を与えるべき時に子供を疎 (うと) ましく感じたり、自由にさせればいい時に愛情で束縛したりしてしまいます。まあ、ここはお母さんには関係ないかとは思いますが、知識として持っておいてください。
見守る
かまいすぎ (束縛) がよくありません。もちろん、かまわなさすぎ (自由) も、よくないんですよ。もっと昔は農家がほとんどで、食料がなく、兄弟の数も多く、かまっている暇がありませんでした。かまいすぎでもなく、かまわなさすぎでもない、真ん中が一番いいと意識しておいてください。左にも右にも偏らない。意識さえしていれば、だんだん真ん中が見えるようになってきます。自由と束縛はどちらに偏ってもよくありません。
靴下をはかせるときも、上着を着せるときも、子供が自分でやろうとしているかをジックリ見てあげてください。子供は自分で何かをやりたがっています。それをしっかり見ていてあげてください。もちろん、ゆっくりししかできないし、大人からすれば下らないことかもしれないけど、それを温かく見守ってあげてください。できなくて泣き出すこともあるでしょう。その時初めて手を差し伸べてあげてください。
ほめられて得る “達成感”
そうやっていると、今までできなかったことが出来だします。その時は、ほめてあげてください。大げさに、しつこいほどに。そこで子供は「達成感」を得るでしょう。「これでいいんだ」という自信と土台が得られる。それは甘いお菓子をもらった時の満足感よりも、はるかに子供が求めているものです。
子供はそれを力に、また新しいことに挑戦します。そのなかで、いろいろな能力を身につけていきます。
食育の大切さ
食育も配慮すべきです。食が細いからと言って無理に食べさせる必要はありません。なんでもそうですが、楽しんでやらないと身に付きません。食事もおいしく食べるから身につくのです。食事というのは、人が生まれて初めての社会生活の練習でもあります。
中には、お皿の食べ物をニヤニヤしながらワザと床に落とす… と訴えるお母さんもいました。それでもお母さんは子供を叱らない。僕ならそんなことをしたら、その手をパチンッといきますがね。食べ物を粗末にしてはならないという大義名分があるでしょ。自然の道理にかなっていれば、その子の将来のためにやるならば、それはちゃんと伝わります。イライラしてやったら伝わりません。
行儀よく楽しく食事がいただけるなら、それはそのまま大人になったときの社会生活のありようとなります。ですから、できるだけ公園などで遊ばせてあげて、おなかがすけばご飯をちゃんと食べますから、そうやって協調性を身に着けていくことだと思います。
お菓子を食べ過ぎるとご飯を食べなくなります。お菓子を欲しがるなら、できるだけ食事時にデザートみたいな形で与えること。3時におなかをすかせて困ったら、小さいおにぎりを作ってあげてください。お米は日本人にとって一番大切な食材だと覚えておいてください。味覚を敏感にし、腹八分目が分りやすい。お菓子は美味しすぎて味覚を鈍感にし、どこが腹八分目か分からなくします。
お菓子やおかずばかり食べてご飯を食べなくなると、聞き分けがなくなったり、カゼをひきやすくなったりします。おもしろいですよ。よく観察して実験してみてください。
“ほんの少し” が立派な成長
すぐにそうできなくていいんですよ。正しい知識を持っておくことが大切なんです。成長とは少しずつです。植物が成長するのも、昨日と今日とでは差が分かりませんね。1mm、1cm、ほんの僅かなものの積み重ねです。これが、何年も経つと見違えるほどの大木になっている。これが「成長」です。最初から完璧なのは意味がないのですね。意味がないどころか、最初から大木なのは自然の理法に反します。
“道” は一つではない
例えば紙飛行機を作ってみんなで遊んでいる。A君の飛ばした飛行機がたまたまB君の頭に当たった。痛いと感じたB君は怒りを抑えられず暴力をふるってしまう。…あとで冷静に考えれば、紙飛行機はどこに飛ぶか分からず、A君はわざとB君にあてたわけではない、でもその時は感情が抑えられない。
こんな例もあります。たとえば買い物に行くとき、道順が決まっていて、この角は左、次の角は右…と決まった通りにしないと気が済まない。こだわりです。
犬を飼う場合も、決まった時間に散歩させない方がいいらしいですね。今日は2回行くとか、次の日は行かないとか、ランダムにすると、犬はあらゆる状況を許容できる力がついて、キャンキャンなかないそうです。
気に入ったものを手放さないのは小さい子供によくあることですが、成長するにつれて、持っていてもいいし持たなくてもいい…という許容力が育ってきます。大人になってもそうですね。Aの道とBの道があって、Aの道の方を望んでいるとします。その時、もしAの道が通れなければ、Bの道を選択できる…そういう度量が必要です。ABどちらでも受け入れる心の広さです。
黒もあれば白もある、もちろんグレーもある…それは当たり前のことです。グレーは白にも黒にもなる可能性があります。可能性を否定してはなりません。道は一つではありません。
いま、この子にはいろいろな可能性がある。道がある。それはいい道も悪い道もいろいろです。どの方向に芽を伸ばすのか。まっすぐ上に、太陽に向かって伸びる道はこっちだよ…と笑顔で手招きするのが親に与えられた課題なのです。完璧でなくてもいい、その課題を一つ一つクリアしていく過程こそ、人生の妙味なんですよ。
瞳のやさしさ
お母さんは、終始、真剣な目で話を聞いておられた。こういう方は珍しい。話の内容に集中できない方、気分を害してしまう方は少なからずおられる。
その後の経過はお祖父さんから伺った。治療後、帰宅して後、何かで機嫌を損ねて泣き出したが、「いっかい、放っておこう」とみんなで話したという。こういう切り替えのできるご家庭は少ないと思う。それで、ものすごい勢いで泣いたが、その後はケロッと機嫌が直ったらしい。1週間後うかがった話では、目が優しくなったとのことで、とても喜んでおられた。なによりも、ご両親が気持ちが楽になったとのことである。話に聞くのみで僕には想像することしかできないが、温和で生き生きした目を輝かせ、スクスクまっすぐに育ってくれることを願ってやまない。
なぜそうなるのか。まず敵を知らねば戦えない。その「敵」に気づかぬまま時を過ごしている現代社会…社会全体の考え方・価値観の微妙なズレが、いろいろな病気を生んでいるように思える。
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2022年、あれから年月を経て、祖父である紹介者は、現在も当院の治療を定期的に受けておられる。お話によると、女の子は小学校1年生となった。
「ここで診ていただいてから、良くならせてもらって、いまは4人の孫のなかでも一番しっかりしています。ありがとうございました。」
当院で受けたほんの少しの知識、これを重く見てくださったのだろうか。
ほんの少しのことが分岐路の選択を変える。