適応障害… 人事を尽くして天命を待つ

36歳。男性。

1年ほど前から工場長で社長直属。
従業員全体をまとめるという初めての要職である。

材料から加工し、組み立てて搬入先に収める。搬入先からの注文が殺到しており、組み立てても組み立てても在庫がなかなか貯まってこない。在庫を切らすのが怖いので、従業員たちと意思統一のうえ、休日も機械を動かし続けている。

会社としては忙しいのは結構なことなのだが、個人としては在庫が貯まらないので、追いかけられるように仕事をしている。信任を受けてのまとめ役、得難い経験であると前向きに仕事と向き合ってきた。

そんなある日。

顔面の気色にやや血色がないと直感、手のひらを返して見ると、血色 (ピンク色) がまったくない。手は温かいにも関わらず、死人のような白と青しかない色である。

  • 天枢を診る。右天枢に虚の反応、間違いない、急性の血虚だ。三陰交・血海と診るが反応なし、神門を診ると右に虚の反応がある。心血虚である。 >> 右天枢に虚の反応があれば血虚が確定する。このとき、右三陰交・右血海・右神門のいずれかに虚の反応が出る。
  • 頭部を望診する。本来は頭頂部のまだ上の方まで至っている気が、眉の上のくぼんだ部分までしか至っていない。 >> 頭がクリアでない状態を示す。老人でこれが見られれば認知症を疑ってよい。認知症予備軍 (軽度認知障害;MCI) の症例 をご参考に。

精神不安定、頭がフル回転し、結果として思考力が低下している状態であると見た。

さあ、どの程度本人に自覚があるか。

「うん、ちょっとレベルが下がってるな。」

「ああ、そうなんです。実は社長とも相談して、1週間休みをもらうことにしたんです。今日も休んでるんですけど、ちょっとこのままでは限界かなって思って…。まあみんなも分かってくれてるんでいいんですけど、なんでこんなふうになったのか、思いつくことを一つ一つ書き出しているんです。」

うつ状態のとき、文字に起こすというのは有効な方法である。しかし、このケースはちがう。
クリアでない頭でこれ以上考える作業をすると、脳で血をさらに消耗して血虚を進行させる。
これ以上さらに血が消耗すると、完全な鬱になってしまう危険がある!

「うーん、それ、止めときましょ。〇〇さん、もう十分頑張ったよ。もう十分や。できることは全部やったと思う。だから今は体を休めること、頭も休めること、これが仕事だと思ってください。人事を尽くして天命を待つ…っていう言葉があるんです。〇〇さんはできるだけの努力をしてきましたね。これが『人事を尽くす』ってことです。で、それを尽くした後は、『天命を待つ』んです。つまり、天の神様におまかせするんですね。どうなろうと、天の神様がお決めになることだから、それに従う…と。」

「そうかー、なるほど。つい自分で全部しなきゃってなっちゃうんですよ。そういう考え方、したことないですわ。」

右天枢を確認する。虚の反応が消えた。同時に右神門の反応も消えた。
頭部を確認する。気の到達ラインが頭頂部に向かって延長した。
この話はこの方の体に良い。この方の「時と場合」において、真実を突くことができている。

このまま行け。もっと詳しく、だ。

「そうでしょ、みんなそうですよ。じつはこの2つは陰陽です。『人事を尽くす』これは自力です。『天命を待つ』これは他力です。自力と他力、これが陰陽なんです。真実は、この陰陽というものを必ず持っています。」

「そうか…。」

「現代人は『人事を尽くす』っていうのはできるんですが、『天命を待つ』っていうのがみんな苦手です。ぼくも苦手です。これが陰陽のバランスを崩してるんですね。バランスを取るには、『天命を待つ』がすごく大事だと常に意識することです。これ以上『天命を待つ』を置き去りにすると、陰陽のバランスを失ってしまうんですね。だから、これ以上仕事は無理だ…という感覚が起こって、こうやって仕事を休んでいるわけです。『人事を尽くす』の方は、放っておいたって勝手にできているので、それは意識しなくていい。〇〇さんがこれまで一生懸命『人事を尽くし』てきたことを僕はよく知っています。それはそのまま、今まで通り続けてください。そこは否定しちゃダメです。」

「ずっと真面目にやってきたことは、このままでいいんですね。いや、人から言われるんですよ、真面目すぎるって。そこがよくないのかなあって思ってしまって。でも工場長を任されているのも、そういう真面目なところがあるからなんですけど…。」

「そうそう、真面目でいいんです。人間として、それは最も大切なものです。そんな長所を否定しちゃいけない。ただ、その大きな長所を生かすためには、他力というプラスアルファが必要だと言うことですね。」

「分かりました。それをこれから努力していけばいいんですね。」

「そういうことです。こんなこと言いながら、僕も全然できてないんですよ? 難しいんですよ、任せるって。でも、それが大事だと常に意識していると、だんだん昔よりは川の流れに身を委ねることができるようになってきましたね。まずは知ることです。今という今を一生懸命にやって、結果はどうでもいい。良い結果もあるだろうし、悪い結果もあるだろう、もう、そんなことはどうでもいい。そんなふうに期待せずにやってると、思いもよらない良い結果が出るものです。僕の臨床では奇跡みたいなことがチョクチョク起こるけど、そういうスタンスでいたほうが『希望の持てる未来』があるということをイメージしていてください。それが自然なんです。『自然』っていうのは、勝手にうまくいくって言う意味があるんですよ。」

ここまで言って、手のひらを診る。血の気が戻ってピンク色がうかがえる。

百会に一本鍼。

抜鍼後、頭部を診る。頭頂まで気が至っている。
手のひらは…? 完全に、いつもの赤さが戻った。よし。

「手のひらがね、じつは真っ白だったんですよ。でもほら、いつもの手の色に戻りました。今日はよく来たなあ。診ることができてよかったです。」

「そうなんですか。いやー、よかったですわ。正直、どうしたらいいかわからなくなっていたんです。でも先生に教えていただいて、はっきりしました。なんか、頭がスッキリしました!」

指紋掌紋ぼかし加工済み

フル回転かつ無意味な思考が止まった。だから血が脳で消費されない。その浮いた分が四肢末端にまで行き届く。だから手に赤みが戻ったのである。

ちなみに、死人のような手のひらは、写真に撮ろうかと一瞬思ったが、あえて撮らなかった。撮れば、 患者が手のひらを見ることになる。すると、“こんなに悪い状態だ” と驚き、気にする可能性がある。これ以上さらに気にすることが増えれば、ますます血虚を進行させてしまうことになる。

こういう気遣いがなかったら治せない。

写真に撮らなかったから劇的に変化した。

写真では示すことができない真実もあるのだ。

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