憎しみというものがある。
子が親を憎む。親が子を憎む。兄弟を憎む。
友人を憎む。隣人を、上司を、部下を、他国を。
それは病気のもとになる。
それは争いのもとになる。
だから良くないことだ。
そんなことはとっくに分かっている。頭では分かってる。
それでも、この憎しみが抑えられない。
人殺しが人を殺している。
僕のことを殺している。
僕の大切な人を殺している。
なんという憎らしさ。
善悪を基準とせず、自分の思いだけが基準。
自分勝手にもほどがあるではないか!
神様がもしいるのなら、なぜその人殺しに罰を与えないのか。
いま人を殺しているその瞬間でさえ、人殺しはなんで生きているのか。
空気を吸っているからである。
いま人を殺しているその瞬間でさえ、人殺しはなんでのうのうと空気を吸っているのか。
神様がもしいるのなら、なんで人殺しに空気など与えるのか。
愛が無限だからである。
きりがない愛。
我を我が子を苦しめるその人殺しにすら、いま生きる空気を与える、大いなる自然。
この苦しみを消し去るには、その愛を手に入れるしかない。
この憎しみから逃れるためには、その愛を手に入れるしかない。
愛を大きくする。
この憎しみが大きい分だけ。
許すために。
その愛を手に入れるしかない。
神様がもしいるのなら。
その神様にできるのなら、この僕にもできるだろうか。


