もまずに治す肩凝り

57歳。女性。

神戸からお越しで今日も午前中に2回の治療である。先日は便秘を訴えておられたが間もなく消失、他に特に変わった症状もなく、今日は平和な診察となる…予定であった。が、1回目 (午前10時) の治療を終え、2回目の診察 (午前11時半) のときである。自分で肩をもみながら…

「先生、肩が凝った時はどうすればいいんでしょうか。」
「え? いま? 肩が凝るの? 」
「はい、前に便秘してから気になってて…」

おいおい、さっき1回目の治療を終えたところだぞ。なのに、ふだん言わない肩凝りが今あるということは急性、それが取れてない。ということは…、鍼が効いてないということだ!

「ということは、最近? ここ何日くらい?」
「ここ3日か4日くらいです。」

この会話の間に、肩の話をするたびに肩を触っている。

「肩が凝ってるのはもう分かったから、触らなくていいですよ。」
「あ、はい。」
と言いながら、手を引っ込める。

だがそれでも頻繁に肩に手がいくのである。

肩を診る。たしかに肩井・欠盆が硬い。流れは? さっき1回目の治療をしたところである。当然「いい流れ」である。にも関わらずこの硬さ。

ここは時間をかけるべきところである。鍼以外の方法で。

「なんで触ったらあかんか、説明したことあります?」
「いえ〜…、ないと思います。」
「触るということはね、行動に移すということなんです。でね、行動に移すと、思っていることが現実化しやすくなる。これは法則です。たとえば受験生が行きたい高校があるとしますね。でも思ってるだけじゃ行けない。問題集ひろげて鉛筆を動かすという行動に移すと、現実化しやすくなります。これは良いことの例ですが、悪いことも行動に移すと現実化します。肩が凝るなと思っているだけなら大した事にはならずに治っていくが、肩を触るという行動に移すと、肩が凝るなという思いがさらに現実化して余計にひどくなるということです。そうやって出来上がる慢性肩凝りもあるんです。」

ここで再度すわってもらって肩を診る。少しゆるんだが、患者さんが明らかな変化に気づくには、まだこれでは甘い。さらに説明を加える。

「もう少し詳しくいうと、肩が気になるわけですが、触る (行動に移す) ことによって余計に気になるということですね。気になるということは、頭がクルクル回転するということです。クルクル回転すると「血」が消耗します。これは車の車輪が回転するとガソリンが消耗することと同じです。血というのはガソリンと同じで、すべてのパワーの燃料になります。よって治癒力の元も血なんですね。これを消耗するわけですから、触れば触るほど治らなくなります。逆に触らずに見守っていると治ってくるんです。」

三たび座ってもらって肩を診る。ゆるんだ。これなら正常だ。

「今、こうしてて肩はどうですか?」

どうですかと聞かれて、首を左右に動かして確認しはじめた。

「それもあかんよ。首を動かすのも行動やから。いま、こうしてての感じでいいのでね。どう?」
「特に気になりません…。」
「そう、それでいいんですよ。もう探さなくていい。肩は相当ゆるんでいるのでね。」

肩凝りを取ってから、関元に2番鍼、2分置鍼、only。

当院は肩凝りを完治させるところである。たとえばマッサージやストレッチで肩凝りが完治するだろうか。当院ではそれらを禁止する。なぜならそれらを継続している人は、いくら当院の治療を受けても肩凝りが治ったためしがないからである。さらに言えば、自分で揉みほぐそうとしたり、腕を上に伸ばしてストレッチしたり、首を回してほぐそうとしたり、そういう「行動」がクセになっている人で、完治した人を見たことがない。

完治する人は、「普通」の姿勢で、「普通」の動作しかしない人である。

そういう人は、心も普通——平常心——である。

恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安 (いずくんぞ) 從來.《素問・上古天眞論 01》
【訳】心が平常心で淡白な人は、自ずと生命力が満ち、心身ともに充実している。どうして病などに犯されることがあろうか。

当たり前のことを、淡々と当たり前にこなす。この継続がどれほど大切なことか、日々思い知るのである。

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