他人に勝とうとするのはよくない。
他人に勝って喝采を叫ぶのはよくない。
35代横綱 双葉山が70連勝をかけた大一番で敗れたとき、「我いまだ木鶏たりえず」という言葉を残している。木鶏とは木で作った鶏 (闘鶏) のことである。何があっても動じない平常心のことだが、心が動じるのは相手に勝とうとするからである。

自分との勝負であれば、相手に勝とうが負けようが関係ない。それは、勝とうが負けようが感情をあらわにしない、作り物の木鶏 (闘鶏) と通じるものがある。双葉山が理想とした境地と言える。
他人をおとしめて喜ぶならば、その笑顔は悪魔の形相といえるだろう。それは平常心とは程遠いもので、邪熱を生む心理状態である。大相撲だけでなく武士道でも、勝った後に笑ったりガッツポーズしたりなどはしない。
日本人独特の美学は、じつは真理にかなっていた。
50半ばを過ぎた今の僕なら、その考え方が正しいということはよく分かる。しかし、それを初めて聞いた中学生の時の僕は、よく意味がわからなかった。おもえば、幼稚園の頃からかけっこで一番になることを求められ、小学校に入ると100点を取ることを求められ、運動や学業において隣の子を見ればその差は一目瞭然、人と比べて人に勝ることが善であると教わりながら成長してきた。
僕は小さい頃からおっとりしていて、よくマイペースだと言われた。もともと人と比べることに興味がなかった。そんな僕も、中学校に入った頃には世間の教育方針によく従い、隣の人に勝つことが最善事であると思い込むようになっていたのである。だから、他人に勝ちたい気持ちが「よくない」と言われても、意味がわからなかったのである。
並外れてマイペースな僕でさえ、そうだったのである。とくに男はテストステロンの分泌で勝負事を好む傾向がある。そういう人は「他人に勝とうとしてはならない」という意味がさらにさらに理解できないだろう。名誉欲も、自分自身のプライド (自尊心・自己肯定観) は大切だが、他人と比較してのプライド (名誉欲) はいずれ足元をすくわれることになる。
他人に勝つのではない。自分に勝つのである。相手を押し出したり投げ飛ばしたりするために相撲をやるのではない。他人にほめられたいとか、他人を見返したいとかでもない。自分の相撲を取るため、自分自身に勝つために相撲を取るのである。だから、相手に勝っても喜ばない。自分に勝ったことに涙するのである。
23歳で鍼灸学校に入学した時、アンケート用紙が配られた。鍼灸師になりたいと思った動機、そして将来の夢を書く欄があった。本当の動機は、42歳でガンで亡くなった父の死を無駄にしたくなかったから。本当の夢は、一人でもいいからそんな患者さんを救いたいということだった。しかしまだ何もなし得ていない1年生の身で、そんな事は書きたくなかった。書いたのは「サラリーマンになりたくなかったから」「サラリーマンにならないこと」。
別の生徒のを見てみると、「日本一の鍼灸師になること」「患者さんから神様のように崇められること」などが目に付いた。まあ気持ちは分かるが、ふざけているならばふざけない方がいいと思った。一番とは他人を意識した言葉である。崇められたいなどは言うまでもなく。
他人ばかりを見つめてはならない。自分を見つめることが大切である。他人に勝ちたい人は、他人の目を気にする傾向にある。だから、自分に向き合うことが苦手である。たとえばイチロー選手や大谷選手を想像して欲しい。他人の目をいちいち気にしているだろうか。いいや、気にしているのは自分の事である。今日の練習メニューや生活の仕方など、自分に強烈に向き合っているではないか。そう感じるのは僕だけではないはずだ。だから自分の本当にやりたいことを見つけ、それに没頭できるのである。
自分との戦いである。自分だけを見つめる目を持つことこそ肝要だ。
他人を気にする目を持つならば、その目は定まらない。心も定まらないのでメンタルの浮き沈みが激しい。その落差が邪熱を生む。定まらない目でいくら世間を見ていても成長がない。定まらないその心では、本当に自分がやりたいこと、やりたい仕事が見つけられない。自分に向き合ってさえいれば、自分に合った仕事、やりたいことが見つかるのである。
かつて、フリーアナウンサーの逸見政孝さんが記者会見で「 (ガンと) 戦いに行ってきます」と宣言しその3ヶ月後に亡くなった出来事は、鮮烈な印象として残っている。ガンだけではない。そもそも病気というものは「この体」において生み出された「身内」である。家族よりもさらに身近な「他人」である。その他人と戦うのはよくない。和解が正しい。
和解の必要があるほどにトラブったのは、その「身内」に何らかの迷惑をかけ続けたからである。それを反省し、できるだけの改善策を講じる事はまさに「自分との戦い」ではあるまいか。病気と戦ってはならない。理由も考えずに病気 (身内) をねじ伏せようとしてはならない。和解は遠のくばかりである。
打ち負かそうとする。ねじ伏せようとする。一番になろうとする。その邪熱は、努力すればするほど激しくなる。落ち着きのないその心で一生懸命に努力しても邪熱を生むばかりとなる。そういう人は仕事もうまくならないし、健康にもなれない。
自分との勝負に打ち勝つ。それに勝ち続けて、優れた人になってほしい。健康な人になってほしい。
人並み優れた人になってはならないとは言ってないのである。

