マクロの世界とミクロの世界は根本的にちがう。これは物理学が到達した結論です。どうちがうかというと、たとえば猫が箱の中にいるとして、それが死んでいるか生きているか。これは箱のフタを開ける前から決まっていますね (シュレーディンガーの猫;1935) 。しかしこれはマクロの世界でのみ言えることであって、ミクロの世界 (粒子の世界) では猫が生きているか死んでいるかはフタを開けて目で見る瞬間まで分かりません。いや分からないというか、死んでいるのと生きているのと2つの状態が混在している (重ね合わせ;二重性) 。つまり死んでいるし、同時に生きているという状態だというのです。

死んでいるし、同時に生きているという状態…新たに見出されたこの事実 (不確定性) に、あのアインシュタインでさえ猛反発したと言われます。しかし今ではこれが事実であると証明されています (ベルの不等式の破れ;2022ノーベル物理学賞) 。
ただし、これら事実はあくまでもミクロの世界のことです。つまり原子とか分子とか、そういう「目では認識できない」世界での法則です。目で認識できるマクロの世界では、やはりクーちゃんは生きてます笑。
原子とか分子などの粒子の世界では、この「認識」が大きな影響力を持ちます。そもそも粒子とはずっと粒子で存在し続けるわけではなく、「粒子と波動の二重性」と言われるように、どちらにでもなりうる「可能性」として存在しています。これを人間が、目で観測するかしないか (認識するかしないか) によって、それは粒子として振る舞ったり、波動として振る舞ったりします。粒子とはゴマのような粒、波動とは光や音波のようなものであるとイメージすればいいでしょう。高度技術を使ってミクロの世界を認識し、本来ならば認識できないものを認識する。するとこの世のすべては、粒になったり波になったりしていたという驚きの事実が分かってきたのです。
観るか観ないか。
見るか見ないか。
診るか診ないか。
そういえば、僕は西洋医学のようには診ていません。西洋医学は人体をモノ (物質) として診ています。僕はモノ (物質) としては診ていない。ではどう診ているのかというと、ニンゲン (気) として診ているのです。この病んだ命を、モノ扱いしない。ニンゲン扱いにする。これを徹底してやってきました。
量子力学では「観測」が物理的に決定的影響を与えます。この「観測」とは、粒子と波動の可能性を持った量子を、「モノとして見る」ことであると思います。どう考えてもニンゲンとしては見てないですよね。
ニンゲンとして見るならば、モノとしては「見ていない」と言えます。みんなが見ている見方で見ていないのです。そう「見ていない」のです。「観測していない」のです。「認識していない」のです。
するとどうなるか。マクロの世界 (目で見える世界) の法則は通用しなくなる。その法則から外れる。アインシュタインが「そんなはずはない!」と猛反発した「不気味な」この法則が、眼の前の現実として現れるのです。たぶん僕は、その現実をなんどもなんども目の当たりにしてきた。それが当たり前のことかとすら思えてしまうほどに。
- 40年前に失明した左目が、鍼をうった翌朝に見えた。マクロの世界では考えられません。
>> 失明して40年の目が、たった一本の鍼で ! ? - 朝あったはずの乳ガン (スーパーボール様) が、僕の治療所で鍼を打つ前に消えた。目に見えるモノの世界では考えられません。
>> 朝あった乳ガンが消えた? … いま消すべきは結果ではなく原因
僕たちは、目に見える世界で暮らしています。だからすべてをモノ (物質) として扱います。だから箱の中に存在する猫は、フタをあけて観測する前から、死んでいるか生きているかがすでに決定しています。アインシュタインの言うとおりです。
しかし普通では見ることのできないミクロの世界では、この世のすべては「可能性の波 (確率波) 」としてしか存在せず、それをモノとして我々が観測するまでは、「ねこ」は死んでいるし生きているという状態で存在し続ける。ガンはここにあると同時にどこにもない。すべては可能性として存在するのです。
昨日 (2026/9/30) の初診の患者さんは、下腿がパンパンに固くむくんでおり、首・肩・背中・腰と筋肉がカチカチでした。治療は、左不容に打鍼。これのみです。左不容というツボは左胸の肋骨の下っべらにあって、ここに先の丸い真鍮の棒を当て、ちいさい木槌でかるくコンコンと叩くのです。そんな軽微な手技で、コンコンは30回くらいでしょうか。
この世を認識する我々のイメージから見れば、こんな軽微なもので何も変わるはずがないと考えられます。肋骨弓の上を叩いたくらいで首から足先まで影響するなど考えられないことです。マジナイかプラセボあたりが関の山でしょう。ところが結果は驚くべきものです。木のように固まった首がゴソッとゆるみ、肩から腰もふにゃふにゃになり、パンパンにむくんだ脚もふわふわになったのです。物理的に。
こういうことは、西洋医学的には考えられない。つまりこの世を物質的に見慣れてきた我々の認識では考えられない。やってる僕も驚くのです。診療では生命をニンゲン扱いにすることに集中します。量子のトンネル効果に似たような診察の仕方をします。しかし診療時間がおわると普通の人ですので、巨視的な世界の法則の中に戻ります。だから、巨視的法則からはずれたこの反応に驚くのです。
何度やっても驚く。
何度経験しても感動する。
ありえない。
これが「モノとして観測しない世界」であり、ミクロの世界と同じことが起こっている、可能性の波の上にいる。そう考え始めたのは最近のことです。
西洋医学とは根本的にちがう世界が僕の前に広がっていることは確かでしょう。


結果だけを良くしようとする (対症療法) のはモノ扱いです。原因はその人の生き方にある。その生き方に寄り添い、問題を一緒に考え、その成長を見守る。これがニンゲン扱い (原因療法) です。ニンゲン扱いに徹すれば、モノとして「観測する」「認識する」「見る」ことはなくなります。見なければ、アインシュタインですら考えられない不思議なことが起こるかもしれないのですね。