CO2を原因とする地球温暖化について、トランプ氏は “史上最大のサギだ” と言っていますね。竹田恒泰氏も同様のことを言っています。たしかにそうです。地球が歩んだ長い道のりの中で、現在直面している温暖化現象は、10万年周期で繰り返す寒冷期 (氷期) と温暖期 (間氷期) の、今はたまたま温暖期にあるにすぎない…という主張を否定するには、あまりにも人類は新参者だからです。
かと言ってこの主張を肯定するのも、あまりにも無知な新参者としては差し控えるべきです。
ぼくは、論点はそこではないと言いたい。地球科学とは何か。科学とは、事実を正しく理解し、その理解を人類の幸せのために用いることが目的です。この地球温暖化がCO2という温室効果ガスを原因とするならば、それは人類に対する脅威なので対策の必要がある。この温暖化がたんなる間氷期であるならば、人類に対する脅威ではあっても対策を練る必要はない。
ただしこれらはどちらが真実かよく分からないので、ここを論点にしても、まとまるはずがないですね。
論点はどこにあるのか。
我欲です。
3つ、論点を出します。
- このCO2大量排出は、我欲の行き過ぎなのか、中庸を得たものなのか。温暖化などどうでもいい。このCO2排出量は、「適度に制御された我欲」に相当する量なのかどうか。「行き過ぎた我欲」に相当する量であるならば考えものです。欲張り爺さんはえらい目にあうとシナリオは決まっているからです。ただし、どんなえらい目にあうかはわかりません。地球温暖化かも知れないし、別の何かかも知れない。
- 行き過ぎた我欲を持つ人はかならず、短期の結果を求めます。つまり近欲 (ちかよく) なのです。キリギリスが今さえ良かったらいいと考えた、その心です。我々は、そうはなっていないのか。これは各国首脳だけに問うているのではありません。
- 日本を始めとした先進国は、今の暮らしよりもさらに良い暮らしを求めています。それは先進的で良いことです。ただし「良い暮らし」とは何なのか。寝る間を惜しんでパーティー騒ぎをし、舌に美味なるものを食べ散らかし、世界中を飛び回って余暇を遊覧旅行する。果たしてこれが「良い暮らし」なのでしょうか。この問いかけに、胸に手を当てて考える余裕を持って下さい。ちなみにこれらは体によくありません。悪化させる確率が非常に高くなります。経済には良いかも知れないが、体には悪いのです。
行き過ぎた我欲を満たすことを目的としてはならない。そしてそれが、行き過ぎているか (太過) 、ちょうど良いか (中庸) は、分析によって得られるものではなく、直感によって得られるものであると断っておきましょう。それはまるで愛が、分析ではなく直感であることに似ています。分析では証明できない大切なものがあります。
「良い暮らし」は、必ずしも正しいとは限りません。太過・不及という陰陽があります。我欲太過ならば「誤った良い暮らし」、中庸ならば「正しい良い暮らし」と言えるでしょう。

わたくし事ですが、今年は梅干しを漬けようという計画で、3月にまいた紫蘇が世話の甲斐あっていい感じに育ちました。6月は雨の日も朝夕かかさず完熟して落ちた梅の実を拾い、まとめて塩で漬け込み、7月に紫蘇を刈り取りとって梅を真っ赤に染め、現在土用干し直前です。じつは、この梅や紫蘇が逸品です。香り高い完熟の梅、そして刈り取ったままの紫蘇の芳香、この時期しか味わえません。
ほんの少しを箸でつまみ取って舌の上に置くと、鼻に香りが通り抜ける。その香りが消えぬうちにご飯をほおばる。香りは、さらに立ちのぼる。
僕は、これほどの贅沢はないと思うのです。この一つまみにどれだけの労力がかかっているかは問題ではありません。この一瞬の美味には代えがたいのです。
その分、夜ふかししたり旅行したりという暇はなくなります。暇はなくなりますが、おそらく誰も味わえないであろう幸せがある。
そこまでして経済を発展させ、便利にする必要があるのかどうなのか、それは純粋に疑問です。べつに海外旅行で飛び回ってCO2を排出しなくても、畜産物を多量摂取してメタン排出を手助けしなくても、深夜を照明で真昼のようにしなくてもいい。
もうこれで十分幸せ。
足るを知る。
オーバーツーリズムがコロナ禍以降、復活しました。復活というよりリバウンドしている感があります。今思えばコロナ禍 (特に終盤) は涼しかったと思いませんか? 昼ではありません。夏の夜の涼しさです。これを僕は肌で感じました。コロナ禍前は熱帯夜つづきで暑かった。そしてコロナ禍で人々は活動しなくなった。そしたら徐々に涼しくなった。そしてコロナ禍が明けてまた暑さが増して来ている。

地球のキャパに見合った経済というものがあるはずです。その見合った経済の中に、言い知れぬ幸せは必ずある。それを探し求めることこそ科学であるとは言えないでしょうか。
便利にしすぎると幸せは失われる。
この芳香に嘆声をもらしながら、そう思うのです。

