養生を指導するたびに患者さんに言うことがある。
完璧は✕、できるだけが〇です。いま自分で “これくらいなら自分にもできる” と思った、それをそのまま実行に移せばいい。100点じゃなくていいんです。合格点でありさえしたらそれでいい。 “これくらいならできる” と思えた分、それが合格点です。それを実行すれば、それが合格です。
僕には信念がある。生命とはみんな同じ、植物が成長している限り生き生きしているように、そして成長をやめると枯れてしまうように、人間もそれと同じだ。そしてその成長の過程はつねに順風満帆とは限らない。雨に打たれることだって、頭を打つことだってある。それもふくめて成長であると知るべきである。失敗は成功のもとと言うではないか。さらに、植物が教えてくれる “たった1mmの成長” 、昨日今日で変わり映えしなくていい。
そして植物が、理想として目指し続けるのは太陽である。

太陽にとどいたならば、それが100点と言えるだろう。だが、そんな奴は一人もいない。みんな100点に届いていない。では何点なのか? 太陽までの距離は1億4960万km (149.600.000km) と言われる。で、もっとも太陽に近づけた植物 (メタセコイヤ) でも100m (0.1km) 程度なのである。相当低い点数である。天文学的に低いもの (0.0000001点未満) となるだろう。そして、それで合格。まだ発芽して間もない1cmの植物だって合格。成長し、生き生きしてるからである。
この世に一生懸命成長しようとしているものに不合格などあろうか。

大自然は我々に合格点を求めている。
だがその合格点は想像をはるかに超える低さなのだ。
養生と治療、当院ではこの2つを陰陽関係で捉えている。陰陽とは夫婦関係に例えると分かりやすい。どちらが欠けても十分ではないのだ。つまり治療だけでは不十分、養生だけでも不十分、両方そろって初めて真価を発揮する。
養生は状態に合わせていろいろあるが、主なものは、
・間食しない
・腹八分目にする
・早く寝る
などである。
例えば患者さんが、右膝が痛いと言ったとする。そんな時は膝という「部分」は度外視して、まず「全体」の生命力の流れを診る。生命力の状態が悪い時はひたすら治療である。全体を良くする。それで膝も良くなっていく。
だが、生命力が全体として悪くないのに、部分的に膝だけが極端に悪い場合がある。この場合、かならず養生的な原因がある。
それを診察で見抜く。例えば足三里に反応が出ていたら食事の養生に問題がある。その問題が間食であったとする。
「間食は最近どうですか?」と聞く。
「時々してしまってます…」と返事が返ってきたら、上記の話をする。
「間食に気をつけようと、いま思いましたね?」
「はい、思いました。」
「これくらいならできると今思った、それを実行に移して下さい。100点じゃなくていいんです。合格点でありさえしたらよい。」
この時点で、もうすでに足三里の反応は取れている。
さらに、右膝の生命力の流れも改善している。
それだけで、その場で症状が消えてしまう場合もある。鍼もしていないのに。
直後で取れなくとも、次回来院時には一様に「治りました」「ずいぶんマシです」という声が聞かれる。その確率は、たまに例外もあるが100%に近い。
この現象をどう見るか。
「それが合格点です」という言葉が、口先だけではない “真実” であることの証明であると僕は言いたい。
めざすべき到達点 (理想) はどこか。どんな養生が正しいのか。それを知る。まず知識を持つことである。たとえ実践できなくともよい。まず知識としてのみ、受け入れるのである。その知識こそ、理想とする太陽なのだから。知とは光である、智である。
そして、それを知ったからには、そこに向けて1mmの成長で前進する。100点を取るつもりで、でも0.0000001点でも取れば合格だ。
わずかにある「1」とは「やる気」である。
とどこうとする。
とどかなくてよい。
すべての教育者・指導者、そして子を持つ親に…。
100点 (完璧) でなくてよい。合格点 (できるだけ) でありさえしたらよい。それが正しい考え方 (天地自然の法則) であることを、生命 (小自然) は症状を出したり消したりして教えようとしている。
僕を使って大自然は、その証しを立てようとしているのだ。

