
58歳。女性。
最近彼氏ができたらしく (もちろん独身) 、久しぶりの性行為があって以降、行為があるたびに膀胱炎を起こす。2025年7月末からのことである。ただし、そのまま婦人科に直行して抗生剤で治している。
それはそれでいいのだが、ひとつ問題がある。なんでも、なにかしら、とても気になるタイプなのだ。4年前の初診時はつらさを涙ながらに訴えたが、その治療直後から奇跡的な回復を見せ、それからは治療は月に1回だが落ち着いた状態を維持できていた。
そんな中で、異性関係という生活の大きな変化。
そもそも最初の陰部違和感のとき、僕の「感染症の反応があるので取っておきますね」の一言が気になってしまった。翌日病院に確認に行ったというのである。
僕の治療が効いたかどうかよりも本当に感染症なのかハッキリさせたかったのだという。もちろん病院は即座には返答できないし、違和感も軽いので培養の必要も認めず、ホルモン剤が処方された。子宮や膣を大きくして性行為をスムーズにする目的だそうだ。
ところがそれ以降、今までなかった頚の痛みやめまいなどを訴え出した。
さらに血尿まで出だした。検査してもらうと菌はなく、しこりが見つかった。
ガンの可能性もなくはないので大きな病院での検査を勧められた。
MRIを撮る予定。生検も予定。
訴えれば訴えるほど、病院側も検査せざるを得なくなる。
しこりはガンかもしれない。
ああ、ダメですよ、その一言は。こと、この方に関しては。
どんどん気になる。どんどん病気をつくる。
僕の治療に、まったく専念できていない。
このままではいかん。紅舌が激しい。邪熱が激しい。焦燥感が激しい。陰部炎症も激しい。炎火が激しく燃え広がろうとしているのである。
MRIまでに、負のパワーを食い止めなければ!
9月18日、厳しく指導した。
「気になって仕方ないのは血虚です。血ってガソリンみたいなもので、これが足りなくなる (弱る)と、車でもそうだけど不安定になるんです。その不安定さのために、よけいに気になるんですね。気になって考え出すと、頭がクルクル回転するんですよ。その回転は空ぶかしとおんなじで、よけいにガソリンを消耗するんです。つまり悪循環です。空ぶかしって無駄ですよね、うるさいだけで。…気にしても仕方ないことならば、気にならなくなるまで何もせずにいればいいのに、何もせずにはおられず行動を起こす。」
「はあ…。」
「病院へ行ったり薬を飲んだり検査を受けたり。その行動が、 “気になるから知りたい” という願いをもっと現実的なものにするんです。つまりその願いは、行動によって叶うんですね。だから知れば知るほど、もっと気になります。さらに、気になることが現実として起こってしまいます。」
「そうなんですか…」
「この不安定な…つまり “不安” な状況下こそ、病気を育てる土壌です。逆に “安心” は健康を育てる土壌です。病院で不安をつくっちゃダメです、病院とは安心を作るところじゃないですか? 」
「そうですよね…」
「今の〇〇さんを見ていると、だんだん落ち着きが無くなってきている。ここで治るんですよ? 違和感も、膀胱炎も。」
「そうなんですか…」
「もっと詰めて来てください。病気探しをしてはいけません。探せば探すほど、〇〇さんの場合は不安になる。不安という土壌がどんどん膨れ上がると、本当にガンを育ててしまう可能性がある。4年前の初診の時を思い出してください。泣きながら不安を訴えておられたのが、一回の治療でウソみたいに落ち着いたでしょ? せっかくこんなに良くなって、しかも月に一回程度の治療でそれが維持できているなんて、奇跡ですよ? もう一度、初心に戻りましょう。あの “安心” を取り戻しましょう。そのためにはね、僕を信じることです。他に目移りするようでは安心は得られません!」
「ここに来てるのは安心するためなんです…」
「そうでしょ? 決断してください。僕の治療を信じて行くんだと。 (性) 行為はやったらいい。それで膀胱炎になったらそれでいい。そうなったら、すぐ来てください!」
「分かりました。決心します。」
信じる。腹を決める。一切の雑念を去ってこの治療に専念する。
これが安心につながる。安心は健康を育てる。
9月27日、MRI・組織採取。10月11日、検査結果が出た。
ただの脂肪だった。脂肪腫 (良性腫瘍) になるかもしれないので、血尿や痛みがあったら注意してくださいとの指導のみ。通院の必要なし。
悪い流れの勢いが止まった。ああ、よかった…。あの不安の勢いだと、脂肪腫はおろかガンへと勢いづいてもおかしくなかったのである。その目は落ち着きを取り戻した。
10月20日 (月) 、予約日は明日だが電話があり急きょ来院。
膀胱炎になったので診てほしい。そう、それでいい。
聞けば、10月17日 (金) に性行為、膀胱炎予防のため、大量の水を無理に飲んでいる。だがその甲斐なく今朝 (20日) から排尿時に激痛。焼け付くような痛み。
脈診で体の声を聞くと “水はおいしく感じる分しか飲むな” と言ってきたので、そのように指導した。
膀胱付近に手をかざすと、皮膚表面に流れがない。約6センチ深部でやっと流れが認められる。これはかなり滞った状態だ。
百会に一本鍼。
再び膀胱付近に手をかざすと、皮膚表面に流れはまだないものの、1センチ深部で流れがある。かなり改善した。
翌日、21日の夕方来院。
膀胱に手をかざすと、皮膚表面まで流れがある。自覚はどうかな…。
「で、その後どうですか。」
「先生、なんであんなに効いたんですか?」
「え? そんな効いたん?」
「昨日治療してもらった後、こわごわトイレに行ったんですけど、全然痛くなかったんです。」
「え? そしたらあれから痛みは出てないの?」
「そうなんです。泣くほど痛かったのに、いきなりなんで? こんなん抗生剤よりもずっと効くやん。」
「うーん、なんでやろ笑。っていうか効くんですよ。水を大量に飲んでたでしょ。あれってすぐやめた?」
「はい、やめました。それで効いたん?」
「うん、それもある。水を無理に飲むと水邪になるんです。水邪っていうのは…」
水邪というのは、生命という器に収まりきらずに溢れてこぼれたものである。痰湿と似たようなもので、ただし水のようにサラッとしたイメージである。これが熱と結びつくと激しくなる。たとえばサウナは90℃以上あるといわれるが、これは気温だからいいのである。水温90℃以上となると大火傷をして死んでしまうだろう。熱は水と結びつくと、とにかく激しくなるのである。今回の膀胱炎の焼け付くような激しい痛みは、もともとあった邪熱を性行為をダシにして体が片付けようとしたところに、「水邪の混入」があって発症したものである。
水邪の混入、つまり大量の水を飲んで水邪を生んだのである。これが余計な要素で、だから膀胱炎が激しくなったのである。
誰にでも水を飲むことが悪化につながるのではない。実はこの日、偶然にも他の患者さんで、膀胱炎の人と尿路結石の人が来院したが、二人とも意識的に水を飲んでいた。だが脈診ではOKと出た。二人に共通していたのは、水が結構おいしいと言うのである。あっけらかんとした人に比べ、生真面目な人は飲みすぎて水邪を生む可能性が高くなるだろう。脈診はその人の性格までも反映した診断が可能である。ともあれ、水を飲むべきか飲むべきでないかは画一的に決めていいものではなく、診断によるべきである。まあ、何でも診断が必要だなどとは、至極当たり前のことなのであるが。
なぜ即座に膀胱炎が治ったのか。
まず、水の過剰摂取を禁じて水邪を生まなくした。
そして、鍼で邪熱を取ったのである。
蠡溝 (陰部湿熱を取る) に反応は出ておらず、水と熱は容易に分離できる状態にあったと見る。水の過剰摂取を禁じる指導のみで水邪が取れるくらいに、邪熱との結合はそこまで強くはなかった。ある意味で軽症だったのである。
だからあんな激しい症状がこんな速やかに取れたのだろう。
それからもう一つ。
こうした学術的なもの以外に、見過ごしがちな大切な要素。
僕を信じた。
それから来る「安心」があったからである。


性行為では邪熱は生まない。体は、逆に性行為 (感染) をキッカケにして、前から蓄積としてあった邪熱を “渡りに船” 的に取ろうとしているのである。カゼも含めた感染症は、すべてこの構図がある。ただし、みんな余計なことをするので上手く取れない。押入れに押し込めてしまうのである。