帯状疱疹 (ヘルペス) の症例

「それ、ヘルペスちゃうん?」

妻の放ったこの一言に、夕げのだんらんは瓦解した。

次女である。そういえば、虫に刺されてかゆいと昨日 (8月12日) から騒いでいたのだ。見れば、ブツブツが密集している。今日も、かゆいしヒリヒリする…と、シャツをめくって見せてくる。僕は夕ご飯を食べながら、洗濯物に毛虫の毛でも付いたかなあ…と答えたのだ。

そうだ。妻の言う通り、これはヘルペス (帯状疱疹) だ。この赤さ、隆起、そして肋間神経の走行に沿う、左右片側のみに出る。特徴が揃っている。よく見破ったな、みえちゃん。

いやいや、感心している場合ではないだろ。

ヘルペスとは「疱疹」という意味で、帯状疱疹と単純疱疹の2つに分けられる。
帯状疱疹は、帯状疱疹ウイルスが原因である。このウイルスは水痘 (みずぼうそう) ウイルスと同一である。
単純疱疹 (単純ヘルペス) は、単純ヘルペス1型と単純ヘルペス2型に分けられる。1型は口唇ヘルペスなど、2型は性器ヘルペス (性感染症) などが代表で、いずれも単純ヘルペスウイルスが原因である。

帯状疱疹に比べ、単純疱疹は一般に重篤化しない。よってこの両者を混同する恐れがあるという意味で「ヘルペス」という呼び名は適切ではない。単純疱疹や帯状疱疹という呼び名よりも「ヘルペス」の方が有名で一般化されているので、分類の説明がややこしくなるのである。

今度の休みに友人たちと遊びに行く約束があったが、これじゃ行けないので写真を撮って、それを送って断る (下写真) 。奥のピースは本人、手前の人差し指は長女のものである。まだ大した痛みが出ていないので、調子をこいている様子がよく分かる。

「うん、そうや。これ帯状疱疹や。ブツブツは治るけど、神経痛が後遺症として残る場合がある。ヒリヒリするのは皮膚の表面やな?」

「うん、ヒリヒリは表面やけど、でもなんか痛い。」

「その痛いのは奥の方? 骨より浅い? 骨より深い?」

「うーん、骨が痛いかな。ときどきウッてなる。」

「それ神経痛やん。」

この神経痛が帯状疱疹治癒後も後遺症として残る場合がある。これが有名な帯状疱疹後の後遺症で、あまりの痛さに自殺に追い込まれる人もいるくらいのものである。たしかにあの痛みがずっと続くなら地獄だ。ぼくも20歳代に経験がある。

名前のややこしさにとどまらず、更にややこしくしているのが帯状疱疹はすべて激痛であるという誤解である。必ずではない。痛みがさほどでもないものもある。帯状疱疹の痛みは、疱疹自体のヒリヒリする痛みと、激しく痛む神経痛、この2つの痛みがある。この2つを分けて説明していないものは、そこが理解できていない可能性がある。

ヒリヒリはヤケドの痛みにソックリである。浅い部分が痛む。常にヒリヒリする。服が触れると痛い。触るとさらに痛い。これは、触れないように気をつければ対処できるので、耐えられない痛みというほどのものではない。

厄介なのは神経痛である。こちらは深い部分が痛む。神経痛が出ないまま治癒する帯状疱疹もあるが、もし神経痛が出てしまうとヤケドの痛みとは比較にならないので始末が悪い。これは僕も20歳代のときに経験があるが、僕の場合は右肩から発疹が出て小後頭神経痛が、数分おきにバチン・バチンと来た。次はいつ来るかと怯えながら痛みに耐えた記憶がある。寝ていても数分〜10分おきに来るので寝られず、しかし左神門に鍼をすると痛みが来なくなり、鍼を抜くとまた痛みが来るので、一晩中置鍼したまま寝た覚えがある。それで眠れたのである。神経痛は翌日には収まり、収まってから発疹が左上半身全体 (胸・背中) に広がった。そうなると見た目には派手だが、ヒリヒリしたり擦れたら痛かったりするだけで、全く辛くなかった。

ヒリヒリと神経痛の両方が揃う場合は重症である。
ヒリヒリのみの場合は軽症である。
ヒリヒリが治癒後、神経痛のみが残れば、恐ろしい「後遺症」となる。
これは専門家でもよく分かっていない人がいる。

経過

次女は、すでに神経痛が出始めている。これはやばい。

ぼくの臨床では、帯状疱疹を鍼だけで治したことはない。理由は簡単で、みんな病院に行くからだ。帯状疱疹ウイルスには、抗ウイルス薬というものがある。みんな、それを点滴してもらったり、服用したりする。次女にも、それを伝えた。

中医学的な帯状疱疹の病因病理は、アトピー性皮膚炎のものと同じである。それが急性か否か、激しいか否かという違いのみで、内にこもった邪熱が外に出られないという病機は共通する。このように病機は簡単ではあるが、臨床ではこの邪熱 (多くはストレスからくる) をどのようにして取るかが問題となる。本症例ではそこに工夫を凝らしてあるのでご一読を願いたい。

疲れると出やすいと言われるが、たしかにここのところ、休日ごとに次女は遊びまくり、その前日も仕事終わりからそのまま吉野の大台ケ原に天の川&流星群を見に行き、朝の3時頃帰宅、その日8月13日の夕げ時に、妻が帯状疱疹と見破ったのであった。

次女の職場は盆休みがなく、明日14日は仕事である。病院に行って診断書をもらい、仕事を休んで安静にしておいたほうがいい。無理して安静を怠り、後遺症として残るとやっかいだ。ところがこれから数日は、どこも病院が開いていない。そんな事情で結局、病院には行かなかった。

初診…8/14 (水)

翌14日 (水) 、朝の5時半から治療を行う。
百会に一本鍼。

痛みは変わらず。

そのまま出勤、勤務先で事情を説明してから病院に行くように言ったのだが、救急しか開いていないので行かなかった。仕事に行くと、痛みはだんだんはっきりしてきた。丸一日仕事だった。

  • 発作的に痛みが走り、ウッと背中をかがめる。動作とは関係なし。
    >> 以下この痛みを「ウッの痛み」と呼称する。
  • 肋骨のジンジンする痛みが常にあり、強くなったり弱くなったりする。動くと肋骨に響いてさらに痛い。
    >> 以下この痛みを「肋骨の痛み」と呼称する。

この2種類の痛みに加えて、ヤケドのようなヒリヒリする痛みもある。

笑顔が消えた。痛いのである。

2診…8/15 (木)

15日 (木) も仕事、朝の5時半から治療を行う。
百会に一本鍼。

痛みは変わらず。

仕事は午前中のみで帰らせてもらった。
14・15・16日が、もっとも痛みが強く、このときの痛みを10として、以下にペインスケールを示す。

3診…8/16 (金)

16日 (金) 、仕事を終えて午後7時に治療をおこなう。

「ウッの痛み」…10
「肋骨の痛み」…10

「ウッの痛み」「肋骨の痛み」ともに、昨日と同じ…。
鍼をしてもマシにならない。
疱疹はすでに枯れてきているのに痛みが強い。通常、疱疹が出る前もしくは出始めが最も痛いとされ、僕もそうだった。疱疹後の神経痛に移行する雰囲気がある。
これはよくないなあ…。

背中も痛いと言い出した。場所を確認すると、左胃兪一行である。
あれ? これってもしかして。

大都を診る。やっぱり。実の反応が出ている。脾気急躁が絡んでいる。なにか身辺に騒がしさがあるはずだ。聞いてみると、母親のことらしい。あさって、当該患者の姉 (単身赴任で我が家に居候中) の夫が、東京からやってくる。当該患者の母親 (僕の妻) は、こういうことがあると1週間前くらい前から不安定になり、体調を崩す。3月にもそういうことがあり、それで落ち着かないのだという。

そのように言葉にした瞬間、大都の反応が取れ、右胃兪一行の反応も取れる。

百会に一本鍼。
治療直後、「肋骨の痛み」「ウッの痛み」、ともに4に軽減。

はじめて鍼が効いた。よかったε-(´∀`*)

大都がポイントだ!

4診…8/17 (土)

17日 (土) 、仕事をしていると痛みが増悪する。

「ウッの痛み」…8
「肋骨の痛み」…8

仕事は午前中のみで帰らせてもらった。午後7時に治療をおこなう。

大都に反応なし。

百会に一本鍼。
直後、「肋骨の痛み」「ウッの痛み 、ともに3に軽減。

・治療直後は大きくマシになる。
・仕事の日は痛い。
・休日はマシ。
脾気急躁を見破った8/16以降、上記のような法則がある。

5診…8/18 (日)

18日 (日) 、今日は次女の義兄 (姉の夫) がやってくる日だ。

「ウッの痛み」…3
「肋骨の痛み」…7

仕事は休み、この義兄と気が合う次女は、本日はずっと喋りっぱなしの予定である。悪化の可能性もあり、一応見ておこうと来客直前に診察する。

注目は大都だ。

あれ ? 一昨日取ったはずの大都に、反応が復活してしまっている! 右胃兪一行も反応している。当該患者の母は体調を崩すことなく当日を迎えたし、これはおかしい。

「また大都に反応が出ちゃってるなあ。なんか、身辺の騒がしさ、他にない?」
「なんやろ。姉ちゃんが東京に帰ってしまうことかなあ。寂しい…。」

この瞬間、大都の反応が消える。右胃兪一行の反応も消えた。
その直後、「ウッの痛み」「肋骨の痛み」ともに0に。

姉は今、単身赴任的に我が家に寝泊まりして仕事をしているのである。そして任期を終え、夫とともに今日、東京に帰るのである。

鍼はしなかった。もう、来客の時間だ。
大都の反応が消えたので、これでよし。

この日当該患者は、義兄とずっとふざけ合っていた。その間、
「ウッの痛み」は0。痛みは出なかった。
「肋骨の痛み」は5。治療直後は0であったが、また痛みが出てきた。

6診… 8/20 (火)

2日ぶりで診察する。

「ウッの痛み」…0
「肋骨の痛み」…7

「ウッの痛み」はなくなった。
たが、昨日・今日と仕事で、「肋骨の痛み」が7で悪化気味である。後遺症として残らないように細心の注意が必要である。

あれあれ ?  2度取ったはずの大都 (右胃兪一行にも) にまた反応が出ている!
なるほど、相当な多層構造になっているのだな。

三たび、身辺の騒がしさは無いかと聞いてみる。母は無事だし、姉はもう帰っちゃった。それ以外だ。

「 (出身大学の) 教授から、早めに転職するように言われてるんやけど、何も準備できてないことかなあ。」

この瞬間、大都の反応が消える。

百会に一本鍼。
直後、「肋骨の痛み」7が、1に激減。

7診…8/23 (金)

前回治療後、「肋骨の痛み」が1になったが、その日のうちに3にもどる。
翌日 (8/21) は仕事で4、翌々日 (8/22) も仕事で4だった。

この日 (8/23) は休日、朝から楽で1になっていた。休みの日は痛みがマシになる。

「ウッの痛み」…0
「肋骨の痛み」…1

百会に一本鍼。
直後、1の痛みが、0に。

その後

24日 (土) は仕事だったが、痛み1ですんだ。夜に下痢 (水様便) をした。
25日 (日) 、朝に下痢 (水様便) をする。仕事だったが、痛みはさらにマシになり1未満 (限りなく0に近い) 。痒みが中心で、かいたら肋骨が痛い。
26日 (月) は休日、痛みは0に。友人と吉野の洞川 (どろがわ) に川遊びに行く。ましになったのだ。
27日 (火) 、朝から泥状便が出た。仕事だったが痛みは1未満。
28日 (水) も仕事、痛みは前日と同じ1未満。

下痢 (水っぽい) の後、痛みが0 になった。もちろん休日も関係している。
泥状便の後、仕事日ながら痛みは1未満、その後しばらくして痛みが完全に消失した。
このタイミングでの下痢や泥状便は、デトックス的に邪気 (邪熱・痰湿) が排出されたものであることが多い。

29日 (木) は、仕事中でも痛みは0であった。
30日 (金) 以降、痛みは0が持続、かゆさ・違和感ともになし。完治である。

8月30日の画像である。

その後まもなく元のきれいな肌に戻った。

まとめ

重なり合ったストレス

それにしても、肝によるストレスでは、こんなに多層構造になっているものは診たことがない。気滞は取れやすい邪気である…と簡単に言うが、取れにくい気滞 (ストレス) があることに、中医学は踏み込めていない。その解決の一つの糸口として、「脾気急躁」は使えると感じた。

我が家の家庭環境はかなり複雑である。そういう中で、ぼくは鍛えられた。

良いものは順境では生まれない。逆境の中でこそ生まれるというのは、世の中の真理だ。そこを耐え抜き、肥やしとし愛に変え、今はだんだん良くなってきている。そういう経験のおかげで、他の追従を許さない学びを得た。どんな場面でも軸を失わずに臨床にあたることができるようになった。

子どもたちは…。かなり這い上がってきたが、まだまだ抜けきってはいない。

幾層にも重なる「急躁」は、それを如実に示している。今回はここまで、またいつか準備が整えば、その片付け物を体は呈示してくるはずである。

ウイルス感染をきっかけに、押し入れに入った片付け物を整理するのである。感染症を上手く治すと、以前からの病が大きく改善する。感染症を下手に治すと、以前からの病がさらに悪くなる。症状は口封じしてはならない。その背後にある「理由」を片付けることこそ重要である。押し入れから出てきた片付け物を、片付けることなく再び押入れに戻してはならない。押し入れから出て一旦散らかった片付け物は確かに面倒ではあるが、いつかは片付けなければならないのである。片付けを短期間で済ませることこそ上手な治し方である。感染症を鍼で治すことができれば、「病抜け」するチャンスが生まれる。本症例では、8/24・27に水様便と泥状便が出ているが、整理した後にいらないものが排泄されたのである。

ああ、逆境に沈んではダメだ。負の環境を逆手に取って活かし、いろんな人の気持ちが分かる人になってほしい。世の中の役に立ってほしい。

乗り越えられるだけのハードルしか、神様は用意なさらない。

できすぎた偶然

そしてもう一つ、帯状疱疹である。

後遺症の残るような帯状疱疹は、やはり複雑なのだ。帯状疱疹後神経痛はストレスがあると痛みが激しくなりやすいが、非常に取れにくい。一般に気滞は取れやすいと言われるが、この神経痛はただの気滞ではないのだ。そのストレスによって、自殺する方もおられるのである。

今回、たまたま大都 (と胃兪一行) の反応に気づけたので治せたが、もしそれに気付けなかったら、どうなっていたか分からない。娘に一生、後遺症の痛みを背負わすことになったかもしれない。

なぜ大都に気付けたかと言うと、ある患者さんを治療して治せたからであり、その予習が大きかった。なぜその患者さんを治せたかと言うと、「脾気急躁」という概念を僕なりに作り上げることができたからである。なぜ作り上げられたかと言うと、「脾気急躁」という言葉に出会えたからである。なぜ出会えたかと言うと、夜泣きについて勉強しブログにまとめたからである。なぜまとめたかというと、たまたまネットでご質問を受けたからである。

  • 7月10日、夜啼 (夜泣き) についてのご質問を受ける。回答の原稿を書き始める。
  • 8月上旬、中医児科学の「夜啼」の中にあった「脾気急躁」という言葉に引っかかり、何日も調べまくって認識を深める。
  • 8月12日、脾に発したストレスが原因となる症例に出会う。 これにより、「脾気急躁」が臨床と合致することを経験。
  • 8月16日、次女の3診目で、「脾気急躁」を運用して帯状疱疹の神経痛に著効を得る。
  • 8月18日、次女の5診目で、2度目となる「脾気急躁」の運用。
  • 8月20日、次女の6診目で、3度目となる「脾気急躁」の運用。
  • 8月21日、ねりに練ったご質問の回答を、「夜啼 (夜泣き) …東洋医学から見た3つの原因と治療法」としてUP。
  • 8月28日、 脾気急躁… 肝ではないストレスがあった (8/12の症例) をUP。
  • 8月29日、次女の帯状疱疹の神経痛が完治。

このご質問に、もし真剣に回答していなかったら、脾気急躁という言葉の存在に気付くこともなく、よってこの独特な病態にも気付けなかった。よって娘の帯状疱疹も後遺症を残していただろうし、後遺症を取るのに相当な時間を要することになったと思う。

打算的に考えると、ご質問に答えたところで僕には何のメリットもない。しかし、ぼくはそういう考え方が嫌いだ。メリットなど、あろうがなかろうが関係ない。どうせいつかは死ぬのであるから、この世のメリットを求めたところで、それこそメリットがないのである。

そんなことよりも、ご質問された方 (ご縁) に対して、できるだけことがしたい。それが僕の勉強にもなるかもしれない。そういうことしか考えないのである。バカと笑われようが別にいい。

だがそんなバカに、出来すぎた偶然は舞い降りてくる。奇跡じみた必然として。

結果として、大切な娘が健康に復した。

情は人のためならず…とはこのことである。医療者の座右の銘たるべき言葉ではないか。

 

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