26歳。男性。2023.4.17.
手指・肘・頸・顔にアトピーがあったが、1週間に1回の治療を根気よく行い、手指の一部を除いて完治。今はメンテナンス的に治療を行っている。
前額痛の原因
と、今日の脈はなぜだか緩んでいる。緩脈 (かんみゃく) である。この緩脈は甘いものの食べすぎが非常に疑わしい。
「脈が緩んでるなー。で、調子は? 」
「仕事の方は早く上がれていて楽なんですけど、頭が痛くて…。」
額のあたりに手をかざしながら訴える。
前額痛は重さを伴う痛みが出るのが特徴である。足の陽明胃経が流注するため、前額痛と言えば脾胃の病変 (消化器の問題) であり、痰湿 (湿邪) が原因であると、まずは疑って良い。緩脈も湿盛を意味する。湿困脾胃証や脾虚湿盛証である。
間食は脾胃を弱らせる。甘いものは雨天と同じく湿邪を呼ぶ。雨天時に体が重いのと同様、甘いもので体や前額部が重くなる。この緩脈は湿が蔓延した姿だ。
「完璧」にできなかったのが原因…ではない
「甘いもの食べんかった?」
「え? あ、食べました。昨日、友達と遊びに行って、〇〇と△△を間食で食べました。今日は仕事の昼ごはんのすぐ後にラスクを食べました。そしたら、昼過ぎから痛くなってきて…。」
「それやな。」
と言いながら脈を診る。しかし、脈は緩んだままである。とうぜん、前額痛も変化がない。甘いものが原因にはちがいない。しかし、本当の原因はもう少し絞り込む必要がある。甘いものを控えるということが完璧にできなかったことが原因ではないのだ。
真の原因が特定できただけで体が良くなるのは、僕の臨床では日常的に見られることである。
腹痛… 望診の “その上” をご参考に。
だから緩脈が取れないのである。体は反応しないのである。
「できるだけ」ができなかったのが原因…だった
「友達が食べてるのに、自分だけ食べないのも変かなーと思って…」
その通りである。以前にも当該患者にそう教えたことがあった。
ただし大切なのは、完璧は✕、できるだけが〇、ということである。どうしようもない理由があるとき、これ以上どうしようもないときは、誰も責めてはこない。もう少しできることあるだろ?ってときに責めてくるのである。体も同じである。できるだけのことをしているときは体は見逃してくれる。できるだけのことをしていないときに体は “コラッ” と言ってくる。
“この体” は、厳しくも優しいのである。
ほんの少しである。ほんの少し、できるだけのことをしてくれたなら、それでもう十分なのである。完璧にしろなどとは誰も言っていない。
ほんの少しの気遣い、真心、それがうれしいのである。
他人とトラブルがあったときのことを思い出せば、すべてそうではないか!
“この体” もそう思っている。そう言っている。
間食のお菓子は、これを最も体は嫌う。しかし友人とのお付き合いでの昨日の間食は、しかたのないことだ。だから体は辛抱して「貸し」付きで見逃してくれた。三食の続きで摂るお菓子は、体は嫌うには嫌うが、間食ほど嫌わない。ところが今日の昼ごはんの後につづけて摂ったお菓子 (ラスク) を、今度は見逃してくれなかった。しかたなくはないからだ。「借り」を返すのはこの時だった。世話になったら世話で返す。それが誠意である。
夜間の呼び出し出勤 = ほんの少しの間食 をご参考に。
ほんの少し、体への「気遣い」が足りなかった。
「ほんの少しのことなんです。ほんの少し、体に気遣ってやる、ほんの少し、甘いものを減らしてやる。ほんの少しの “できるだけ” 。ここに大きな価値観を持てるかどうか。それができるかどうかが大きいんですよ。」
と言いながら脈を診る。脈は…。しまりが出た! 緩脈が消え去った!
「今もさっきと痛みは同じですね?」
「ん? 頭ですよね。」
といいながら額に手をかざし、
「痛みは…ない、ですね。あれ?」
「そういうこと。ほんの少しがやっぱり大きい。おもしろいね。」
「おもしろいですね。」
できるだけ、それが「中庸」
昨日は甘いものを間食しちゃってごめん。だから今日は食後の甘いものを控えるよ。
できるだけ。1でも2でもいいのだ。これなら、いついかなる環境でも可能である。極端に言えば死ぬ瞬間でもできる。いつも同じ努力が持続できる。持続可能なのである。
完璧は、できることもあるかもしれないが、できない環境もある。環境が整えば10をやればいい。しかし環境が整わないのに完璧を求めると、「じゅうぶん」の10でなければ意味がないと感じてしまう。10は0に戻る。0は、どうせ無理ならもういいや。これが自暴自棄 (ヤケクソ) である。ヤケクソは破滅のもとである。100か0かの極端はよくない。
真ん中 (中庸) が歩むべき道である。
1mm成長すれば、それが健康 をご参考に。
我々はたくさんできたことしか評価しない向きがあるが、そうではない。1も10も同じ価値がある。いやむしろ、環境が整わない時の「1」にこそ、大きな力がある。量の多少で評価してはならない。体は、自然は、そういうものを評価してこない。「できるだけ」を評価してくるのだ。
完璧は✕。できるだけが〇。
当該患者はそこに気づいた。だから痛みが取れたのである!
完璧は✕。できるだけが〇。
それが正しいのだと、体はハッキリ僕たちに教えてくれた!
っと、これから鍼を打つのだった…。