勝負の心得… 2023WBCに学ぶ

2023WBC、盛り上がっていますね。

稀代の二刀流で現在28歳、野球選手として最盛期といわれる年齢に達した大谷翔平選手。
160キロ台の速球をつぎつぎ投げ込む佐々木朗希選手。
2年連続沢村賞の山本由伸選手。
36歳にしてメジャー自己最多の16勝を挙げたダルビッシュ有選手。
5年連続で打率3割を記録し、2年連続首位打者でメジャー移籍の吉田正尚選手。

そして、王貞治選手のシーズン最多本塁打記録を抜き、史上最年少の三冠王に輝いた村上宗隆選手。

豪華メンバー揃い踏みでここまで負けなし、いよいよアメリカとの決勝となりました。

とくに印象に残るのが、率先して声を出す大谷選手の前向きで肯定的な姿勢、キャンプから合流したダルビッシュ選手の犠牲的な姿勢です。うまくいく人は、こういうものを必ず持ち合わせていると思います。

村上選手は日本でプレーする日本人として4番を任されましたが、ここまで不振にあえぐ姿は、2009年WBCのイチロー選手を彷彿とさせます。最後でイチロー選手が決勝タイムリーを放った姿は、村上選手の準決勝メキシコ戦での逆転サヨナラ2点タイムリーと重なり合います。

そして、不振にあえぐ村上選手を使い続けた栗山監督です。名采配と言われますが、ぼくは「覚悟」であると思います。

まだ23歳、この才能を自分が潰すわけには行かない。それが栗山監督の思いではないでしょうか。優勝を期待されるこのメンバーで、日本を背負ったこの大会、誰もがプレッシャーを感じるであろう日の丸の4番を張り続けてくれ、みんなのプレッシャーを一身に背負い、みんなの犠牲となるかのように不振に沈む。メキシコ戦最終回、1点ビハインド、ランナー一塁二塁、代打という手も考えられるこの場面で、そのまま村上選手を打席に送り出した。

もしこの回、点が入らなければ決勝に進めない。そういう場面で栗山監督が選択したのは、村上選手という個人を「生かす」ことだったのではないでしょうか。打てなければ、負ければ、このオレが批判を浴びればいい。ここまで4番を張り続けてくれた村上を、ここで潰すことだけはオレにはできない。チームが負けようが、自分が批判されようが、どうでもよい。いま、大切なのは村上だ。

メンバーもその思いを共有している。

選択は一つ。迷いがない決断。

だから結果が出たのかもしれません。

一塁ランナーの俊足、周東選手にしてもそうですね。この試合4番に座り3ランを放ち、この回四球を選んだ吉田正尚選手に変えて彼を代走に送ったのは、ここで使わなければ周東選手を「生かせない」と考えたのではないでしょうか。私意なく、そこだけを考えるならば、迷いが生じない。

そういう決断があったからこそ、「名采配」といわれる結果が出たのだと思います。

結果は、二塁の大谷選手だけでなく、一塁の周東選手も生還してサヨナラゲームとなりました。

チーム一丸。

それは、他人の目を気にせず、自分自身 (の信念) に向き合い続ける姿勢、その姿勢が栗山監督を始めメンバーそれぞれにあった結果ではないかと思います。

スポーツをやっていると、どうしても相手 (他人) のことが気になる。他人と向き合ってしまう。すると、他人との戦いになります。これは良くない。他人との戦いの最終形態は戦争、人殺しです。また、人目ばかりを気にしているとうまくいくこともうまくいきません。

そうではなく、自分との戦いとする。自分に打ち勝つ。自分と向き合う。そうすれば、結果など関係ない。結果を気にするのは人目を気にしているのです。自分と向き合い続ければ、成長しかありません。成長さえし続ければ、勝っても負けても幸福感・達成感あるのみです。しかもそう考えていれば、自然と他人に勝る結果とならざるを得ない

これは体という他人と付き合うときも同じです。体 (症状) は自分の思い通りにならないですね? だから他人と同じです。症状 (体という他人が発する言葉) ばかりを気にしていると、治るものも治りません。体のことを思いやり、体を自分のことのように思い、自分と向き合いつつ成長してゆく。そうすれば、治っても治らなくていい、そこに成長がありさえすればいい。そして、成長さえあれば、おのずと結果が出る。治らざるを得ない

「他人との戦い」を好むならば、それは体という他人とも争うことになります。常にすれ違い、体と折り合いがつかなくなる。アルコール性肝硬変の患者の「体」は、アルコールを望んでいません。なのに患者の「心」は、アルコールを望んでしまう。これが、ケガ以外のすべての病気 (苦しみ) で見られる構図です。食べすぎを制御するのも、テレビを消して早く就寝するのも、寸暇をみてウォーキングに励むのも、すべて「自分との戦い」に打ち勝つことです。

治療する側もそうです。患者さんに向き合うのは、患者さんを自分自身と見て向き合うのです。他人として向き合うと、患者さんにどう思われているだろうか、鍼一本で本当に治せるだろうか…などと考え、治療に集中できません。患者さんや病気と戦うのではなく、親身になって寄り添うのです。日々勉強に励み、思い通りにならない臨床に向き合うのも、すべて「自分との戦い」に打ち勝つことです。

スポーツ選手が心身のバランスを崩したり、つぎつぎと故障に悩まされるのも、他人と向き合い、他人と戦い、他人の目を気にして自分を見失うからです。他人の目を気にしない人は、勝負に淡白です。

他人との勝ち負けでスポーツをしたり観たりすることはよくありません。
自分と向き合いつつスポーツと向き合うならば、多大な学びが得られます。

さあ、いよいよ決勝です。

なんとかアメリカに勝ってくれ!

とは思いますが、栗山監督はすでに十分結果を出しました。

感動を与えた。

村上選手 (を始めとする選手全員) のことを他人とせず、自分のことを考えるように思ったからです。
そして、深く深くご自分と向き合ったのです。
そして美しい「決断」を僕たちに見せてくれた。

われわれは、十分そこから学びを得ました。

だから、勝ち負けなんかどうでもいい。

結果などどうでもいい。

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