
この辺が傷寒論の醍醐味だと思います。本条 (44) から始まって57条 (復煩) までの一節は、桂枝湯について解説されています。
もちろん私見です。ぼくは私見にこだわります。諸説紛々たる中、他の先生方の注釈は、参考にはしますが鵜呑みにはしません。特にこの一節は、注釈から逃げています。私見のほうがよほど理論的だと思っています。
傷寒論は「詩」です。詩を読み解くには、詩の世界を僕自身が持っている必要があります。その「詩の世界」を、偶然にも学生時代に培っていました。短歌を作っていたのです。万葉集的な写実が好みで、とくに有間皇子の歌が好きです。19歳のときに、どう評価されるか興味本位で月刊の短歌雑誌に投稿したところ、初投稿から2ヶ月連続で新人賞に選ばれたことがあります。父と祖父を相次いで亡くした悲しみを詠んだものでした。
そんなことをやっていたものですから、ほとんど特別な勉強をしなくても古典や現代文の成績は良かったですね。友達から「なぜそんなに成績がいいのか」と聞かれて困ったことがあります。
実践に根ざした文系なのです。いま書いているブログにしても、その経験が大きいです。短歌に比べたら簡単で、言葉は自然と湧き出てきます。
しかも、とことん突き詰めたがる性質は生来のものです。だから理論的に矛盾するのを非常に嫌う理屈屋でもあります。
そんな僕が傷寒論を読んだとき、他の先生方の解釈とは違うものが生まれて当然です。
もう一つ当然のことですが、ぼくは鍼灸師なので漢方薬は使いません。もちろんそれを使って経験を得ることは大切だとは思うのですが、使いたがらないのは星一徹なみの頑固さです。だからこそ、鍼でここまで来れたと思っています。
薬は使ったことがありませんが、病態は分かります。とくにこの44条から57条は「病態の流れ」という、もっとも大切かつ難解な部分です。張仲景という偉大な醫者が心血を注いで編んだ書であることは、ここを読むと非常に伝わってきます。
この一節を臨床に使っている先生は少ないと思いますが、逆に僕には、ここが一番面白く感じられるのです。張仲景先生の講義が非常に理論的かつ応用無限であると感じられるからです。それはきっと、ぼくの鍼灸臨床にも知らぬ間に具現化されており、患者さんを救う現実として形をなしていると確信します。
桂枝湯。あまりにも基本にして単純に過ぎるお薬でありながら、符合する病態の多様さと目まぐるしい変遷が生き生きと描かれ、それが今日の僕の臨床にみゃくみゃくと息づいている。そんな勉強が楽しくないはずがありません。

