
治すべき便秘
61歳。女性。2024/10/25診。
2週間に1回、メンテナンスを目的とした鍼治療を行っている患者さんである。
ここ10日ほど大便が硬い。最初が兎糞便 (小さくてコロコロ) 、後はつながるが時間がかかって疲れる。
診察すると左右の上巨虚に実の反応がある。この反応は取らなければならない。腸胃に邪熱 (実熱) があることを示す。この邪熱が大便を乾かしてコロコロ便になるのである。
ただし、左右ともに出ているのでこのまま瀉法してもシャープには効かない。正気 (気血) をうまく補って、左右どちらかの反応にしてから鍼をすると、僕みたいな下手な鍼でも上手く邪気 (邪熱) が取れる。
ただし、もっといいやり方がある。原因そのものを改善するのである。そうすれば勝手に正気が補われ、勝手に邪気が除去される。その方法は…
「食事の際は白米を主食にしてくださいと言っておりますが、その時、最初の一口目は白米だけをよく味わってくださいという指導をしたことがあると思います。それにね、磨きをかけていただきましょう。もう一磨きです。」
「あ、はい、わかりました。」
この瞬間、上巨虚の反応が消える。
上巨虚の反応は、気が下に降らないことによる滞りである。しかもその気とは、口から肛門にかけて一方通行で流れるべき気である。これが滞ると実熱を生じる。傷寒論ではこれを「胃家実」表現しており、承気湯類が主治する。鍼では上巨虚の瀉法がこれに相当する。
しかし、こういうアプローチよりも、もっとシンプルでシャープなプローチがある。それが、「原因を除去する」という方法である。要は、気を下に下げれば良い。白米という最もありふれた料理をよく味わうこと、これは、あって当たり前のものをよく味わうこと・いてくれて当たり前の人をよく味わうこと (…つまり感謝) とつながる。ああ、おいしい…ああ、ありがたい…。

この瞬間、気は臍下丹田に向かって大きく引き下がる。今まで滞っていた口から肛門にかけての気が、急に流れ出す。邪熱を除去しつつ。
百会の鍼で、さらに気を引き下げる。
気を引き下げるということは、血の気が引くということではない。
落ち着く。安心する。リラックスする。
気が上るとは真逆の現象である。
そういう状態で便通がつく…というのは納得の行くところだろう。
その後の経過は…。
治療翌日から毎日便通があり、すっと出て時間がかからない。スッキリする。
1ヶ月後もその状態が持続、治癒とする。
治さなくていい便秘
21歳。女性。
14〜15歳のとき、体重が20kg台 (身長160cm) 、希死念慮、精神科閉鎖病棟入院。その後回復し日常生活を送るも、まもなく原因不明の右半身不随で車椅子が必要となる。だが2024年11月の当院治療開始から3ヶ月後に、走ることができるまでに奇跡的回復を遂げる。
そんなフィジカルの回復の喜びもつかの間、それと入れ替わるようにメンタルの問題が出るようになった。出るようになったというより、もともとあったそれが再び頭をもたげたのである。ものごころついた頃から、あれこれ考えて完璧な答えを出そうとするクセがある。
2月
思考が止まらずイライラと落ち込みを繰り返す。泣き叫ぶ。不安になる。怖い。これらメンタルの症状は夕方以降に顕著。
付き添いで来られた御母上が怯えた表情で訴える。
「以前に精神科に入院した時に似ているんです。これはやばいなって。」
本人のすぐそばで、この弱気はよくない。ここは分岐点である。力の入れどころである。精神科に送るか、乗り越えるか。
似ている? いいやちがう。似たように見えても、その時とは何もかもが違うのだ!
「思考が止まらないのなら、止めなくていい。〇〇ちゃんは今、走ることができるまで回復しているんやで。体は間違いなく良くなってる。生命力はあの時とは格段に違う。ただ、急にたくさんできることが増えたので、そうなってるだけ。指導しているウォーキング1時間30分、これをやる。その他は何もやらなくていい。イライラしても、それを止めようとしなくていい。」
「止めなくていいんですか…?」
「そう。いい!」
こう言い切ると、はっと気づいたような表情を見せた。
その場で表情が柔らかくなった。
その後、だんだん落ち着きを取り戻し、メンタルはややましになる。
それと入れ替わるように、便秘を訴えはじめる。もともと便秘があり、下腹が張ると浣腸して出していたが、そこまでの訴えではなかった。しかし、イライラが収まりつつある頃から、強く訴えるようになる。トイレに行っても思うように出ない、下腹が張る…というのが第一声の主訴となる。
血は、飲食物を材料として作られる。よって飲食物は、腸に長く留まっていた方が多く材料をチャージできることになる。気前よく毎日便通がつくと、血の材料が出ていってしまうので新血が効率よく作れない。ちなみに血が弱い人は食べすぎるとすぐ脾を弱らすので、ますます血虚が進行する。だから毎日便通がつかなくていいのだ。
以下リンクに10日間便通がつかなかった例を挙げた。失明を治すくらいの生命力 (血) を得ようとすれば、このくらい極端な現象が起こっても当然である。ここでの内容がさらに理解しやすくなるのでぜひリンクを読んでいただきたい。

リンクを読んでいただいだろうか。リンクでは “お腹の張りがないことが正常な便秘の条件である” と説明した。しかし後述するが、本ページではたとえお腹の張りがあっても便秘していて良いと言うところまで踏み込んだ。臨床でハッと気づいてその場で踏み込んだのであり、それによってさらに改善が進んだのである。これは臨床の現場でこそ言えることであるので、単純に真似しないようにしていただきたい。
血虚で便秘するのは、病理的側面と生理的側面とが同居する。その解決策は、こうした内容 (体が訴えること) を “理解する” ことである。理解して納得すれば、安心が得られる。安心すれば血は消耗しない。便秘だから出さなきゃ…と焦っていると、頭がくるくる回転してさらに血を消耗し、さらに便が硬くなる。
上巨虚の反応は出ていない。矛盾する便秘の反応がないのだ。
あんまり張るようだったら浣腸するよう指導した。
いま思えば、この指導は「逃げ」である。指導が間違っていたのである。
3月
メンタルはましな状態がつづいていたが、3/13からまた激しくなる。
恐怖がひどい。もの音すら怖い。
胆が弱っていると診て、胆に正気を集める治療を3/13・3/17の2回に渡って行い、胆は補われた。
3/20、恐怖はなくなったが、また便秘を訴える。左右の上巨虚に実の反応が出ている。最初の一口目を白米で味わう努力に磨きをかける指導を行う。ちなみに、10代のころに閉鎖病棟で両腕を縛られて無理に白米やパンを食べさせられた経験がトラウマとなって、炭水化物があまり食べられない。
「先生から、白米とおかずの割合は5:5と言われているんですけど、できていないんです。」
「うん、それはできるだけでいいよって言ってるな? 今の調子で合格やで。」
「でもやっぱり、できなあかんって思ってしまって…。」
「いま指導しているのは、 “最初の一口目” だけやで。それを、よく味わうだけでいい。全部やらなくていい。順番が大事やねん。1番目だけに向き合えばいい。」
「でも2番目はどうしたらいいんですか?」
「忘れたらいい。」
「え、忘れてもいいんですか?」
「そう! 忘れていい!」
表情がすっきりするとともに、上巨虚の反応は消えた。
よって矛盾する便秘の反応はない。
だが3/24、まだ便秘を訴える。メンタルはまし。前回の治療は手応えがあった。にも関わらず効いていない。おかしい!
だからこそである。ここで、ある確信が僕に得られたのである。
この便秘は解消してはならない。
無理に浣腸などで出すと、血がチャージできなくなり、またメンタルに来る。
この日、上巨虚は反応していないのだ。矛盾する便秘ではないのだ。
そう体が教えてくれている!
「便秘のお腹の張りと、メンタルと、どっちのほうがつらい?」
「それはメンタルです。」
「この便秘のつらさはね、置いといたほうがいい。これがなくなるとメンタルに来るから。」
「ああ、そうか…。」
なるほど、メンタル不安定のつらさに比べれば、便秘のつらさなど大したことはない。
この納得が大切である。
そのためには、僕が信念をもつことである。
胆を丁寧に補い、上巨虚の邪気を丁寧に取った。
これで良くなるはずなのである。なのに良くならない。
だからこそである。だからこそ新しい境地に踏み込めたのである。
この便秘と腹の張りは、消してはならない!
安易に浣腸で便秘を消すと、血をチャージしきれず不安定さが出る。その不安定さが、生まれつきの考えすぎる性格ともにメンタルの問題 (イライラ・落ち込み) を生み出す。メンタルの問題はさらなる考え過ぎ (頭くるくる) を生み出し、血を消耗する。血を消耗すると腸が潤せなくなり、また便秘となる。もちろんこの便秘は、メンタルの問題とともに気滞をともなっている。だから脾気滞 (お腹の張り) が出るのである。気滞・邪熱が心 (メンタル) にくるか、腸にくるか。メンタルに来たら悪化である。腸が身代わりとなってくれているときのほうがいいのであって、腸の気滞 (腹の張り) と腸の邪熱 (便秘) を消してはならない。消すからメンタルに移動するのである。
陽明胃経の経別は、胃 (腸胃) に属しつつも心を通じる。「通」とは、心を起点としてスッと伸びていくということである。これが病めば当然メンタルはスッと伸びないし、便秘にもなる。すべての精神疾患は陽明胃経が関わると言っていい。そして便通をどう扱うかが鍵となる。
その後
それ以降、メンタルは訴えなくなり、笑顔が戻った。調子がいいという。
便秘も訴えなくなった。あるが言わないだけなのか、もう大したことがないのか、その詮索はあえてしていない。そこにこだわると、また頭がくるくる回って血虚が進んでしまう恐れがあるからだ。
この経過中、鍼をした穴処は百会一穴のみである。選穴は単純だが、病因病理は深く細かく分析していることが分かるだろう。だからこそこの単純な配穴で効くのである。猿真似では効かない。
4月、簿記2級に合格したとの知らせを受ける。これには驚いた。この短期間で、しかも独学で成し遂げた頭の良さにも驚いたが、そんな勉強をしていたことを僕は知らなかったのだ。そりゃ血の使いすぎだ。メンタルにも来るだろうし便秘にもなって当然である。今となっては「終わり良ければ全て良し」だが。
5月、1時間30分のウォーキングを、早足で行うように指導。
筋肉痛になったと笑っている。
目の手術をしたおじいちゃんを助けて、農作業を手伝っている。
6月、玉ねぎを引く作業を30分、その他作業でトータル1時間30分ほど、腰が筋肉痛だと笑っている。
ウォーキングの最中も思考が止まらないことがあったが、早足にしてから考えなくなったという。
疲れるくらいに体を動かせば、しんどくて余計なことなど考えなくなる。一方に集中すれば、もう一方はおろそかになるという法則がある。筋肉に集中すれば、頭の方はおろそかになるのだ。そういうことができるのは、体を動かせるだけの体力を、先手先手で作ってきたからである。
現代人はメンタルを病む人が多いが、体を動かす体力がないのが大きな原因と考えていい。
頭のいい子である。この頭の思考に負けない体を、いま作っているのである。
そのために体は、便秘を利用した。便を長くとどまらせることによって、より多くの水穀の気をチャージし、より多くの血を作ろうとしたのである。それを受けて僕は、
「便秘していていい。それに不足を言って体の邪魔をしてはならない。」
と、的確なアドバイスをすることができた。
だから笑顔が戻ったのである。
また今度も、患者さんのお体から大切なことを教えてもらった。
血と気の関係も大切で、それも本人に説明した。
車で言うなら血はガソリン、気はスピードである。車輪がくるくる回ると、スピードは出るがガソリンは減る。あれこれ考えて頭がくるくる回ると血が減る (正確には “弱る” ) のである。もちろん手足をくるくる動かしても血は減る。しかし脈診で出したウォーキング1時間30分は、減りはするが投資と同じで儲けが出る。だから頭をくるくる動かす代わりに脚をくるくる動かすよう指導しているのである。
血には潤す働きがある。心が乾くとメンタルの問題が出る。腸が乾くと便秘になる。血が、心を潤せば安らぎが生まれる。血が腸を潤せばツルッと便通がつく。