膵臓ガン(疑)患者のある日の臨床… 今朝から震えて歩けない

「どうですか。変わったことは? 」と問えば、普段は、
「何もありません。大丈夫。」と答えてくる方である。

82歳。女性。
初診は2020年11月 (当時77歳) 、もう5年以上の付き合いである。
2016年から膵嚢胞性腫瘍、2020年12月MRI検査で主膵管が急激に5mmに達し、主膵管型IPМN (膵管内乳頭粘液性腫瘍) の診断を受ける。膵臓ガンの可能性が極めて高いと言われた。

主膵管の内壁に腫瘍 (粘液産生性) ができるものが主膵管型膵管内乳頭粘液性腫瘍である。膵液の流れが悪くなるため、主膵管が太くなるのが特徴であり、主膵管が5mm以上のものをいう。

さらなる検査および手術を勧められたが断固として拒否し続けている。ドクターからは「もう知りませんよ」と言われたが、当院での治療のみを続行、病院では血液検査のみ行っている。膵臓の指標となるアミラーゼは当時231 (基準値44〜132) あったが、現在 (2026/1/7) は86と正常値を示す。毎日ウォーキング40分を日課とし、白米中心の清貧にして素朴な食事、早寝早起きを励行し、年に数回の家族との旅行も楽しみつつ、八十路 (やそじ) の坂をも越えられた。

ところが今日 (2026/2/13) は珍しく、こちらが問うのも待ちきれぬ様子で、
「ふるえるんです。駅からここまで歩くのにも体がフラフラして歩かれへん…。」
「え? いつから?」
「今朝から。なんでやろ。 (ベッドで) こうしててもブルブル震える。」
「寒い? 」
「寒くないんです。震えるだけ。」

こういう訳の分からないのを何とかするのも僕の仕事だ。寒くはないらしいが手足は冷たい。寒府を診ると反応が出ている。

「冷えがあります。朝一番でシッカリ服を着てる?」
「うん、着てる。」
「ツボの反応があるのでね、まだ着足りないんですよ。それ以上着られないなら… 耳あて、持ってる?」
「持ってる。しまったままやけど。」
「耳あて、朝一番でしましょう。セーター1枚分はゆうに違います。暑くなったら取ればいい。」
「ああ、そうですか。分かりました。」

その瞬間、寒府の反応が消失した。

脳の血流は非常に多い。よって耳の血流も多いのである。体幹部の温かい血液の多くは頭部に達し、耳をも流通して冷たい空気に冷やされ、冷やされた血液は体幹部に戻って体を冷やすのである。その耳に、一枚毛布を着せると血液はそこで冷やされることなく体幹部に戻る。つまり耳はラジエーターである。このラジエーターを機能させないようにするアイテムが耳あてである。後ろから付けるものがおすすめ、走ってもずれてこない。セリアで百円で売ってる。ダイソーはちょっと高い。年が明けたら売り切れるので、通販が良いだろうか。
>> 【冬の重ね着・冬のウォーキングのコツ】をご参考に。

「先生、震えが足から抜けてきた。」
「え? 足から?」
「そう、肩からも抜けてきた。」
「そうか、もう震えない?」
「ああ、楽になりました…」

足から抜けたのは寒邪である。
肩から抜けたのは邪熱である。肩井は邪熱を抜くツボである。

治ってから、鍼である。百会に一本鍼。
だから、さらに効く。震えを治す必要がないから。
だから、ガンにも届くのである。

しかし、寒くもないのに震えるという奇怪な症状が、耳あてを勧めるだけでその場で取れてしまうなどということがあるだろうか。こんな臨床があるとは世の中の誰が想像するだろう。薬を何億円も投じて開発生産するのとは、あまりにも卑近で世話がない。だが、瞬時に症状が取れる事実は、原因を見抜きそれを除去する「確かさ」を証明するものである。対症療法ではない、原因療法なのだ。

寒くないのに震えるのは邪熱である。邪熱が風 (ふう) を生むことを「生風」という。風が木の葉を震わせるように、風 (ふう) が体を震わせるのである。 >> 手のふるえ…40年来の振戦がその場で止まった鹿児島の患者さんの記録
急に震えだしたということは、急に邪熱がひどくなったということである。当該患者の場合、急に邪熱がひどくなったのは、急に冷えたからである。それを体は寒府に反応を出すことで僕に教えてくれた。冷えると魔法瓶状態となり、邪熱は逃げ場がなくなって急に悪化するのである。その解決方法 (耳あて) を示すことで “意識” が変わる。その意識は行動を変える。未来が変わるのである。その未来を、体はすでに反映するのである。
「あなたのそういうとこ、直してほしいんだ。こんなに震えてるのはね、困ってるんだ。」
「そうだったのか、ごめん。わかった。完ぺきにできるか自信ないけど、できるだけやってみるよ。」
「こころ」と「からだ」の会話である。この会話の直後、「からだ」はすでにニコニコしている。まだ何もやってもいないのに。

「 “意識” を臨床のマナイタに乗せたい。」

かつて、治療仲間にそう言ったことがある。目を付けたのは30代、誰も反応しなかった。そういうものがこの歳になって、やっとできるようになったのである。最初はマグレだった。今は意図してやっている。期待していなかった即効性もオマケで付いてきた。とうとう一人で、ここまで来た。

そうである。ガンであろうと何であろうと、その人の意識が行いとなり、その行い (生活習慣) の体にそぐわない側面が病気を作ることに間違いはない。例えば甘いものを食べたいという意識、それが食べるという行いになり、食べ過ぎれば病気になるのである。

根底である “意識” を治す。

それが薬よりも手術よりもはるかに、そして瞬時に効く。そんな治療が僕の夢だ。

「こころ (陽) 」と「からだ (陰) 」と「おこない (陰陽の境界) 」を、同時に治すのである。

ガンを治すと豪語する前に、まず目の前の臨床を片付けられなくてどうするのか。

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