58歳、女性。
初診は30年前 (1995年)。ずっと通院していたが、近年は年に数回と治療回数がぜんぜん足りない。また、そのたびに間食に注意するよう指導したが、真剣に向き合おうとしない。
そんな中、2020年ごろから狭心症の症状を訴えるようになった。3か月に1回ペースで発作を起こし、自身も看護師として医院に務めているのでドクターに相談しながら、発作をおこすたびにニトロを使用していた。
そして2026年3月2日、はじめての大発作を起こす。それは仕事中、はじめて経験する胸の激痛、冷や汗がとまらず呼吸困難、血圧は70まで下降した。その場はニトロで治まった。
3月27日循環器内科を受診、不整脈を認め4月9日にCT検査の予定となった。
その足で当院を受診した。

そんなこんなで当院を受診したものの、前回治療から3か月も経っている。実は当該患者は僕が26歳で開業した時からの患者さんで、顔見知りだったものだから1000円で診させていただいていて、それが今も続いている。これは僕の信念だが、開業当初の頼りない僕を信用して治療を受けてくださった恩義を忘れたくない。だから今でも1000円据え置きなのである。
ここまで年に数回の治療、しかも前回治療から3か月、しかも狭心症という重症疾患である。コレステロールと中性脂肪が高く薬を飲んでいる。動脈硬化がある。

本当なら初診 (2時間かけて病状説明) を受けてもらわないと治療になるものではない。が、この日も予約もなしに突然来院して治療して欲しいと言ってきたくらいだから、初診を受けてくださいと言っても聞き入れてくれそうにもない。なので診察のたびに初診に相当する説明を少しずつ根気よくやっていこうと決心した。初診料相当分はもちろん無料である。もし正規の料金にすれば治療に来なくなる。なんとか治してあげたい、その一心である。その真心が通じるか。
「ぼくは今まで、たとえ1000円だろうが無料だろうが治療で手を抜いたことはありません。お金がほしくてやってるんじゃない。だだ良くなって欲しい一心でできるだけのことをやってきた。中途半端なことはできないんです。もし〇〇さんがここで治してほしいと思うなら、おたがいに中途半端にならないようにしましょう。まずは、ちゃんと通院してください。週に2〜3回は治療が必要です。それからアポなしで来るのは考えられないので、これからはちゃんと予約をしてください。昔のようにナアナアではいきませんので。」
「心カテ (心臓カテーテル手術) を言われると思うんです…。やっぱりやらないほうがいいですか?」
「やるかやらないかは〇〇さんが決めて下さい。今の状況で言えるのはそこまでです。たとえば産婦人科でも、通院もしてないのにいきなり臨月で取り上げて欲しいといっても、断られてしまうと思うんですね。それと似ています。今の状況では責任を持って言えることはありません。」
手術なしで良くする力は持っている。しかし最低限の前提、すなわち週に2〜3回の治療 (治せると見込める治療) ができるかできないか。それすら分からない状況では、コメントのしようがないのである。
3/27 (金) 臨泣に実の反応があり、瘀血を示す。瘀血とは「カチカチの硬いもの」をイメージすればいい。心臓冠動脈になにか硬いものがあって、それが血流を邪魔して狭心症発作を起こしている可能性が極めて高い。冠動脈が狭まっていたり血栓があったり、そういうものが瘀血であり、器質的問題 (狭くなるなど形上の問題) があることを示す。胸部に心臓異変の反応あり。関元に2番鍼を2分置鍼。胸部の心臓異変の反応が消えることを確認して治療を終える。
3/31 (火) 息苦しい。胸部に心臓異変の反応あり。臨泣に実の反応あり。正気スコアはマイナス5cm (非常に非常に悪い) 。関元に2番鍼を2分置鍼。治療直後に息苦しさ軽減。正気スコアはマイナス2cm (やや悪い) に回復する。胸部の心臓異変の反応が消えることを確認して治療を終える。
4/7 (火) 一週間治療が空いた。これでは良くなるなどとは口が避けても言えない。昨日、胸痛があった。間で一度治療できていればその胸痛はなかったはずである旨、指導する。胸部に心臓異変の反応あり。臨泣に実の反応あり。正気スコアはマイナス4cm (非常に悪い) 。関元に2番鍼を2分置鍼。正気スコアが皮膚裏面 (やや良い) まで回復する。4月9日にCT検査の予定。胸部の心臓異変の反応が消えることを確認して治療を終える。
4/10 (金) 昨日CT検査、冠動脈に細い部分は見つからなかった。よって心臓カテーテル手術は行わず、薬の処方もなし。発作時にニトロで対応すればよいとのことである。
臨泣の反応なし、かわりに公孫に実の反応がある。これは心臓を犯していた邪気が、瘀血から痰湿 (カチカチからドロドロ) に変わったことを意味する。鏡餅が柔らかい餅に変わったとイメージすればいい。またカチカチは血栓や血管を狭めるプラークなどを想像すればいい。ドロドロは血糖 (もともと高い) などを想像すればいい。つまり血管に器質的問題 (狭くなるなど形上の問題) はなくなり、これ以降は血液のドロドロを改善して血管に器質的問題が起こらないように管理していけばよいということを示唆する。
「CT受けたんですけど、心カテなしで行けるって言われたんです! よかったあ。」
「そうですか…。これ以上ない理想的な結果ですね。〇〇さんもそうだと思いますが、僕もカテーテル手術は言われると思っていました。で、それに反してこういう良い結果になるということは、大概この治療 (鍼治療) がおそろしくうまくいってるんです。」
「私もそう思います。もし先生の治療を受けていなかったら、どうなってたんやろうって。」
治療前の正気スコアはマイナス1cm (可もなく不可もなく)。胸部に心臓異変の反応なし。関元に2番鍼で治療後、正気スコアは皮膚表面 (良い) に達する。
4/14 (火) 胸痛なし。正気スコアはマイナス1cm。関元に2番鍼で治療後、正気スコアは皮膚表面 (良い) に回復する。良経過である。
4/17 (金) 胸痛はないが左下腹部に痛みがある。これは胸痛の代わりに出てきた痛みである。命に関わる痛み (胸痛) から、命にかかわらない痛み (下腹痛) に、「からだ」は場所を変えて当該患者を育てようとしている。足三里に実の反応、すなわち原因は、当該患者がどうしても向き合えない“間食” である。「食べること」で一番体にこたえるのは間食である旨、説明した。説明中に足三里の反応は取れ、痛みは治まってきた。腹膜炎の痛み (ブルンベルグ徴候⧻) をその場で止めたこともある。なぜそんな奇跡がおこるか、それは「からだ」を人間として扱うからであるという説明も詳しくした。体を物質的に診る西洋医学関係者 (看護師) には特に重要である。
「説明中に反応が取れるのは、体がね、 “間食つらかったんだよ、分かってくれてうれしい” と、喜んでいるからなんです。体とは人間でなんです。だから人間と同じ反応をとる。 “ごめんね、できるだけ気をつけてみるよ” と言えば相手は、 “ううん、話を聞いてくれただけで十分なの” という反応が返ってくる、それが人間なんです。その場で元気になる。ここで奇跡がよく起こるのは、ぼくがこの体を人間として扱っているからなんです。そんな僕を見て患者さんも自分の体を “人間あつかい” し出すんですね。人間はそれをすごく喜ぶんです。 “モノあつかい” にされるのを人間はすごく嫌がります。体もおんなじなんですよ。」
まだ少し時間があるので、問診室で既往歴などを聞きながら丁寧に説明した。この説明が大切である。体はどのようにして良くなり、どのようにして悪くなるかを患者さん自身が知る必要がある。ほんらいならば初診で3時間かけてやることの一部だが、先程いうように治療たびにその合間で少しずつ説明しているのである。
ところが…。
その説明の最中に「ちょっとすいません」と僕の話をさえぎって、「孫の風呂の時間だから帰ります」と言ったと思えば帰ってしまった。
? ? ?
「はい…」と答えて一人残された僕は茫然自失、しばらく席を立てなかった。
4月21日 (火) 来院。
「こないだはすみませんでした。」
「いえ、その話なんですけどね…。結論から言いますが、これから決まりどおりの料金で6000円をいただこうと思うんです。でもそうすると〇〇さんは此処に来なくなると思うので、実質は治療をお断りするということになろうかと思うんですが…。」
「え ! ? 」
「26歳で30年前に開業したとき、右も左も分からない頼りない僕を信頼してくださり僕の治療を受けてくださったこと、本当にありがたかったです。患者さんが少なかったにも関わらず、その後も治療を続けていただき、たとえ料金は1000円であっても、どれだけそれが励みになり経験になり勉強になったことか! その恩義を忘れないために今まで1000円で診させていただいたわけです。でもね、前回あんな形で診療を止められてしまって…。臨床30年になりますが、診療の最中に話をさえぎって帰ってしまうというのは始めてでした。それでもう、〇〇さんに対して真心を出すのがこわくなったんです。1000円というとタダも同然、無償の愛なんですよ。ぼくは真心マシーンじゃない。真心に対して、患者さんも真心で返していただければ、何も問題はないんです。でも、僕も人間です。真心を裏切られるというのはしんどいことで、そうたびたび経験したくないんです。」
「すみませんでした…。そんなつもりじゃなかったんです…。」
「前回の治療で、体は他人と一緒だ、だから人間として扱うことが大事だって言いましたね?」
「え? そんな話ありましたっけ?」
「覚えてないんですか…。そうですか…。ぜんぜん話を聞いておられないんですね。なんかそんな雰囲気ありましたわ。あのね、他の患者さんは現状で6000円いただいてるんですが、みんなその金額を出しても治療を受けたい、そして僕の話が聞きたいという方々が集まっておられるんですよ。〇〇さんはそこまで僕の治療を受けたいと思ってないんですね。だから途中で帰っちゃうんですよ。」
「そんなことはないです! 治療を受けたいからこうやって…。」
「僕はお金など関係なく診させていただいてます。事実、他の患者さんの何倍も時間をかけて診てきたし、いまもこんなに時間をかけて話をさせていただいているのはその証しとなろうかと思います。僕はお金を気にしてない。でも、お金を気にしているのは〇〇さんのほうですね。たぶん6000円だと来ないでしょ? 安いから来てる。僕の治療を受けたいから来てるのではない。だから話も聞く気がない。鍼は打てば効くというものではないです。体は、そんな機械仕掛けのようなものではないです。体を、人間として診るから此処では奇跡みたいなことが起こるんです。今回、カテーテル手術しなくてよくなったのも、僕は奇跡だと思っています。でも、もう続かないと思う。その奇跡は続く気がしない。この先ここでいくら治療してもです。まず僕の真心が続かないし、〇〇さんは僕のことを人間として扱ってくださってないからです。」
「そんなことありませんよ!」
「もし人間として扱ってもらえていたとしてもね、醫者としては見てくださってないと、これは最低限言えると思う。」
「そんなことありません。お醫者さんとして見てますよ!」
「いやいや、醫者としてなんか見てもらってないです。今まで、ドクターの診察を受けて、途中で勝手に帰宅したことありますか?」
「ないです…」
「そういうことなんだと思います。」
「大事に思って治療してくれてたのに、私は…。」
「とりあえず、今この場で決めなくていい。ゆっくり考えて下さい。どう考え、どう行動したか。そしてこれからどうするのか。ご自分と向き合うことが大切です。それができなければ病気なんて治りませんのでね。考えて、気持ちが定まったらお電話いただいたらいいです。」
その後、電話はない。
30年間つらぬいた真心。
甘え。
知り合いで長い付き合いであるということもあるだろうが、決定打は「1000円」である。高額の治療費を出しても診てもらいたいという方とは、そもそもの決意がちがう。熱心さがちがう。その決意や熱心さを、お金抜きで出すにはどうしたらいいか。
他人の真心にこたえる。
それを「誠 マコト」と言う。
お金の支払いは、「誠」の表現方法の一つに過ぎない。
当該患者は、その「誠 (お金の支払い) 」がほぼないので、別の表現方法が必要となる。無償の愛を提供する僕にとって、どんなものが力になるのか。一生懸命ぼくの話に耳を傾け、病気を治し健康になろうとすることである。それが何よりも僕の真心にこたえることになる。
だが、それがなかった。
今回のように、短期の真心ならいくらでも出せる。人をとっさに助ける。それが短期の真心だ。
だが、長期にわたる真心はそうはいかない。与えられた真心に応えようとする気持ち (真心)、それをもらうことによって、その都度出せるものである。
神様でも同じことだ。


