「便秘でお腹がしんどいんです…」
電話があった。通院中の患者さんからだ。57歳。女性。2026/7/27、神戸から急きょ来院された。
「出口で詰まって苦しいんです。夜も苦しくて目が覚めるんです…。」
普段の診療では便秘は訴えたことがない。おだやかな様子で「おかげさまで…」とおっしゃるのが常である。外泊が続いたうえに食生活が乱れたのが原因だろう。
下剤は飲んでいない。病院にも行っていない。そういう人が神戸から2時間かけて、鍼灸院である当院に助けを求めてこられる。こういうときに結果を出せるか。ここは勝負どころである。
とはいえ、結果のことは全く考えない。体に矛盾があるかないか。それのみに集中する。プロセス (病因病理) が大切なのだ。それを大切にするがあまり、結果のことなど考えているヒマがない。そういうスタンスが勝負強さにつながる。
上巨虚に反応がある。これが原因だ。この反応は陽明病 (胃家実) を示す。いわゆる熱秘である。 “熱結” ともいわれる邪熱の塊が腸胃にあるのだ。夜も便秘が苦しくて目が覚めるということは、陽明気分の邪熱が強すぎて、営血分に影響しているのである。こっちの部屋 (気分) で壁をドンッと叩けば、隣の部屋 (営血分) に音が響いてしまうのと同じである。
連日酷暑日の報道がされるくらいの暑さが続いている。外泊で無理をした弱りと相まって、非常に強い邪熱を腸胃に形成したと言える。太陽の熱は最終的に地表を熱するのと同じように、外気やオーバーワークによる邪熱も最終的には脾胃 (土) に到達するのである。
上巨虚の反応を取り去る。そのためには…。
「こういう話は初診のときにしたと思うんですが、それをもうひと磨きしてもらいましょう。食事の時は、最初の一口目は白米だけを口にして下さい。覚えてますね? これに磨きをかけてもらいます。」

上リンクにある内容を説明した。そして説明し終えた。
すると上巨虚の反応が取れている。この説明によって取れたのである。
その後、関元に一本鍼。

3日後来院。
「その日の夜に出ました。抜けたって感じです。頭から全身が肛門みたいになっていたんですが、一瞬で消えました^^」
物理的に糞便が出ただけではない。熱結 (邪熱) が抜けたのである。だからあれだけ苦しかったし、これだけ楽になったのである。
それにしても、あれほどの強い熱秘が半日後にスッキリと治癒したのは、関元に鍼をしたことよりもむしろ上巨虚の反応を取ったことの方が大きい。「白米の一口目」の話をしていなければ、おそらく関元の後に上巨虚を瀉法する必要があった。あるいは正気が瀉法に耐えるレベルにまで達しなければ関元一穴で終わらざるを得ない。いずれにしても、それでも効きはするが、「白米の一口目」の話があったからこそ、なんの違和感も残らないこの効果があったと思われる。
「白米の一口目」の話は、感謝のトレーニングである。感謝とは、あって当たり前のものや、いてくれて当たり前の人、そういうものを深く味わうことであると僕は定義しているが、たとえば空気である。空気はあって当たり前、しかしないと困る。そういうものを我々は日々の忙しさにかまけて、深く味わうことなく過ごしてしまっている。しかし白米を味わうことくらいなら僕だってできるのである。
こういうメンタルは、気を深く下に引き下げる。逆に白米ではなく、蟹スキや牛スキなどのご馳走だと気は上にのぼってしまう。興奮するのである。そうではなく、下に行く、落ち着く。それが口から肛門にかけての管を、上から下へと、本来あるべき落ち着いた方向に導くのである。
上巨虚に鍼を打っても、そこ (感謝) までとどかない。そこまでとどいたからこそ、一度でこんなにスッキリしたのである。
感謝という、強烈に気を引き下げるメンタルに誘導することによって、上巨虚の反応を取る。上巨虚の瀉法…通腑法といわれる、ともすれば正気を傷つける危険な鍼を避け、その鍼にまさる効果を出す。この邪気の取り方は、正気は弱くても問題ない。できるだけ正気は犠牲にしないほうが良い。
感謝にいかに導くか。正気を力づけ、邪気を排除する。
上巨虚にまさる通腑法である。

