たかがキャンセル。されど…
かつて、 “約束と「誠」…夢を現実化するトレーニング ” で、約束を守り抜くことの重要さを説明した。今回はその「実際」である。場合によっては生死をわけるほどの影響力を持つという実例を、舌の変化とともに紹介したい。

76歳。女性。
初診は2018年9月25日。治療を始めて8年になる患者さんである。初診の訴えは花粉症 (1年中ひどい) だった。近年はそういう訴えも無くなり、身辺の忙しさもあって治療に来たり中断したりを繰り返していた。
2023年の12月に転倒して右膝を打撲したをキッカケに、また治療に通うようになった。膝はまもなく治癒し、週に1回のメンテナンス的治療を続けていた。

ところが2024年6月11日、突如として舌中〜舌根に小さなハゲが現れる。これは良くない。拡大して舌中部 (舌の中央部) に迫ると命にも関わることがある。舌中部は命の中心を反映する。苔とは生命力である。苔は少なすぎても多すぎてもよくない。少なすぎは正気の衰えを意味し、多すぎは邪気が盛んであることを意味する。
そういうことなので、早めに消していきましょう…と、週に2回の治療を勧めたが、よい応答はなかった。むしろ治療の回数は減っていった。週に1回でもメンテナンスぐらいの効果なら出る。しかし積極的に良くしていこうと思えば週に2回以上の治療が必須となる。

2か月を経過してもハゲの改善は見られない。
必要な治療回数が得られていないからか。それとも何か命に関わる病気の存在があるのか。
11月頃から、ハゲの拡大が見られはじめた。

12月10日、関元に神シンが消失していることを確認する。

同時に左膀胱兪に虚の反応がある。無神の時は常に5〜10cmの虚の反応が診られた。これは舌の無神においても診られる反応である。
「得体の知れない反応があります。命に関わりかねないので、いそがしいでしょうけれども今のペース (週に1回) ではメンテナンス程度の効果しか期待できないので、やはり週に2〜3回の治療が必要だと思います。」
無理だと思いつつの指導である。伝えるべきことは伝えなければ、僕の責任が済まない。
だが予想通り、応答はあいまい。
いつの間にか重篤な状態になってしまっている。よって反応を診なおす。
・臨泣に実の反応があり、これは瘀血の存在を示唆する。
・長期邪気スコアは3段階の3。以前は2だったが悪化している。
・中期邪気スコアは30cm。以前は9cmだったが悪化している。
・正気スコアは5cm以下。以前は1cmだったが悪化している。
非常に状態が悪い上に、瘀血 (塊の反応) がある。さらに無神。
人中に反応がないので脳梗塞の可能性は低い。
よって、ガンの可能性が極めて高い。

来院のたびに、まず最初に神シン (関元) を診る。
無神である。そしてそのたびに、「得体のしれない反応が出ています」と声をかける。すると神シンが復活する。
想像の域を出ないが、今の自分の状態を正しく知ることが重要なのだろう。正しく知ると生命力が回復するのである。ただし注意点がある。みんなが正しい思っていることが、実は正しくないこともあるということである。
治療者側にとってもっとも大切なのは、正しい情報を伝えることである。世間の誰もが正しいと思っている情報でも、正しいとは限らない。正しいか正しくないかの定義がないものは、体に良いか体に悪いかで決めるといい。体に悪い情報が世の中に、いかに溢れていることか。これは「生き方」もそうである。正しい生き方か誤った生き方かの定義はないだろう。それを、体に良いか悪いかで判断するのである。体とは小自然である。大自然に生かされている我々としては、その窓口である小自然たる「この体」をよくよく観察して、大自然にそぐう生き方を学ぶべきである。
正しい情報は、それを伝えるだけで体が良くなる。即座に良くなることも別に珍しいことでもない。本ブログ愛読者には周知のこと、くどくなるので説明をはぶく。
情報を伝えた結果として患者が悪化するのであれば、それは真に正しい情報ではなかったと反省すべきである。
常に無神なのではなかった。2回無神があれば、1回有神がある。そういう頻度だった。
生と死、どちらにでも転がる段階であると見る。

ハゲの輪郭がハッキリしている。これはハゲがドンドン拡大しようとしていることを示す。
一つ気になることがあった。当該患者は、予約のキャンセルが多いのだ。約束を破るということは、未来のあるべき姿を破るということである。誰もが健康を願うが、そのあるべき姿 (約束) が破られてしまう。だから、キャンセルをしても平気な患者さんは良くなることはないと断言できる。
よって2025年の年末、キャンセルの注意を与えた。週に1回の改善が見込みにくい状況、それでもできることがあれば何でもする!
果たしてそれ以降、関元の無神の反応が出なくなる。バゲの拡大も止まったのである。
キャンセルの注意は簡単にできるものではない。場合によっては相手が怒り出すこともある。ついでにこっちも怒ったならば、それこそ治療にならなくなる。キャンセル料を支払わせる所もあるようだが、当院はそれをしない。支払わせるのは強制である。強制では人は成長しない。キャンセルがなぜよくないか。それをわかりやすく説明する必要がある。その説明が、約束と「誠」…夢を現実化するトレーニング である。熟読されたい。納得したうえで気をつけるから生命力が輝くのである。

ハゲの輪郭がぼやけてきた。ハゲが修復しつつある証拠である。

一度だけキャンセルがあったが、非常に謝っておられた。気にしておられると同時に、どうしても外せない急用があったということが推察できる。事情がある。そういうものは僕が許せるのと同じように、「からだ」も許してくれるのである。だから体に悪影響が出ない。

ハゲが消失した。
この時点での体の反応は以下の通りである。
・神シンあり。改善条件を満たす。
・長期邪気スコアは3段階の2。改善条件を満たす。
・中期邪気スコアは9cm。改善条件を満たす。
・正気スコアは1cm。改善条件を満たす。
・臨泣の反応は消え、公孫の反応に移行。瘀血 (カチカチ) が痰湿 (ドロドロ) に変化したことを示唆する。改善条件を満たす。
死を回避できた。そして健康に向かう道筋をいま歩んでいる。
〇
まとめてみよう。
キャンセルを注意した。すると神シンが復活した。ハゲが改善した。これは、キャンセルをやめようと思ったことが、死を回避するほどの生命力を生んだことを意味する。
どういう病気になりかけていたのだろう。前述のようにガンが疑わしい。ではガンとキャンセルがどう関係するのか。
ガンを擬人化すると利己主義である。
たとえばガンは、人体組織に協力しない。組織のために協力することは断じてない。にも関わらず栄養だけは独り占めしようとする。自分専用の太い血管まで作って、栄養と酸素を取り込み、巨大化することに余念がない。よって、ガンが大きくなればなるほど、全体は痩せてくるのである。
自分勝手な巨大化によって他の組織を犠牲にしようとも、自分の都合が最優先となる。しかしガンも人体組織の一員である限り、全体が死ねばガンも死ぬ。つまり「肺さん」に酸素を吸ってもらわなければ、あるいは「口さん」に食べてもらわなければ人体組織が死んでしまう…と同時にガンも死ぬ羽目になるのだ。
他の組織によって支えられ生かされているにも関わらず、組織全体をダメにする。そして自分もダメになる。
だから利己主義はいけないのである。
他への迷惑を考えない。自分さえ都合が良ければそれでよい。その考え方は自らを滅びの方向へ押し進めるという真理がある。
利己心は、僕を含めて誰もが持っている心である。ガンは例えとして分かりやすいので、たまたま今はこれをたたき台にしているが、あらゆる病気は利己心から来ることを知るべきである。あらゆる病気は生活習慣の乱れが一因としてあり、その乱れはまぎれもなく利己心に端を発している。
利己心のすべてを否定するのも間違っている。この世は玉石混交なのである。その実、この利己心がないと生きていけない。これがなければ、大根一本も引き抜くことが出来ず、魚一匹食することもできなくなる。自分さえ良ければ大根は死んでもいいと思えなければ、飢えて死ぬしかないではないか。
ただし人間に対しては断じてその心を向けてはならぬ。そういう心を表現しないように気をつける。利己心を、実際の行動に起こさないよう気をつける。約束と「誠」…夢を現実化するトレーニング でも説明したように、行動に起こすということは現実化するということである。約束を破るということは組織 (自分と他人との仲) を破るということであるということを、其処に分かりやすく説明した。
約束を破るということは、組織 (自分と体との仲) を破ることにつながる。
その分断はイコール死である。
そしてそのためにも、小さな約束であろうとも守り抜くべきだという「知識」が必要である。知とは光 (智=知+日) である。正しい知識は我々を、正しい方向に導いてくれる。
正しい方向とは?
家族の団らん。社会組織との融合。世界の平和。…他人との和合、社会での成功。
そしてもっとも身近な他人である「この体」と和合。…これが健康、生命での成功。
「この体」を大事にする。他人を大事にする。
だからこそ、約束を守ろうとする。
なにも矛盾はない。


草ぼうぼうの土地 (分厚い舌苔) では、野菜 (生命の根源たる食物) は育たない。
草のまったく生えないような痩せた土地 (舌苔がない;無苔) でも、生命は育たない。
肥料 (生命力の元) を与え、その副産物として生じる雑草の手入れをした畑なら、生命が育つ。その畑は、雑草の手入れを怠りなくしていても、短い雑草は無くなるものではない。これが薄苔であり健康者に常見されるのである。雑草が茂りすぎても無さすぎても良くないように、舌苔も厚すぎても無さすぎても良くない。中庸の薄苔を良しとする。